基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

県民のシンボル熊本城天守閣哀れ

2016-04-15 16:38:42 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜八時からテレ朝の捜査一課長を見ていたが、九時二十六-七分ごろ突然画面が変わり熊本地方で震度七の揺れを感じたとの特報が在り、以後この地震情報一辺倒と成ってしまった。

 熊本テレ朝の放送室が揺れて居る処、熊本市内の様子や車の動きなどが映し出されていたが、画面は普通の夜景の様に明るく大きな変化は無い様だった、その後博多市や大分市が移されていたが同じよう、マグネチュード六,五だったかで数字は大きいが大きな変化は見えない、しかし大変な事が起きているんだろうと想いつつ寝てしまう。

 そして今朝昨夜の夜景を想像してテレビ画面を見て驚いた、震源は熊本市のすぐ隣の益城町が震源の様、報道各社が現地に入って居る様、次々に映し出される映像に驚くのみ、幸い津波は無かったとのことだが町の建物の被害は大きい、何しろ余震の規模回数の多い事、この余震でもろくなった建物はさらに被害を多くしていたよう。

  テレビ画面の被害状況と解説図

 空からもカメラが入りさらに詳細な被害状況が見えてくる、シンボル熊本城が見えて来た、一見綺麗に見えた城も天守の入口左の石垣が崩れ、その奥も屋根は瓦が揺れかたの所為か左反面が大きく崩れてて落ちている、名物長壁も倒れてしまった様、

 テレビ画面の崩れた石垣と天守閣

 瓦の落ちた天守閣

 さすがの設計者綱張りの名人清正も自然の猛威には敵わなかったか。国宝熊本城の復興も含めた熊本の復興、勿論五年前の東日本地震特に東北の復興も含めてだが今後の大きな課題となるだろう、国はオリンピック予算を縮小しても急ぐべきだ、人間国民の生活を第一に考えるべきが国の務めだからだ。