私事で恐縮だが、戦死した父の供養のため特別に第72回忌の法要を行った。
(湖西市にある常霊山本興寺にて)
聞いてもよい方は少々お付き合い下さい。
父は昭和20年フィリピン・レイテ島にて玉砕・戦死した。その日が7月3日である。
昨年、戦後70周年でいろいろな催しがあったが、国が戦地に慰霊団を派遣している
ことを知り、インターネットで確かめて参加を申し込んだ。昨年末に選抜の通知を受け、
今年2月17日から26日まで10日間の行程で、国主催の現地・慰霊巡拝に参加した。
(その報告は、私のブログのカテゴリ「海外・慰霊巡拝」で掲載済み)アドレス: https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/bf8e94cb2e956ad3824e396ef712c226
その際、現地(レイテ島・カルプゴス山地)で慰霊後、父の霊を背負い、且つ現地の
砂と小石を拾ってきた。そこで、父のお墓に霊を納め、現地の砂と小石、また慰霊地の
報告書を一緒にお墓に納めるため、お寺様にお願いして今年6月18日に法要を行った。
永年の間、気になっていた父の現地慰霊と実家での供養ができ、人生の宿題を一つ果す
ことができてほっとしている。
余談 (常霊山・本興寺)
父が戦死していたこともあり、幼少の頃から曾祖母に連れられて良くお墓参りに出か
けた。父のお墓にお参りした後、信心深い曾祖母は、日蓮大聖人や本興寺・開山の上人の
お墓にお参りし、「南無日蓮大聖人、南無日朗上人様、日印上人様、日陣上人様、南無
開山日乗上人様、南無妙法蓮華経」と唱えながらお水を献上しながら拝んでいた。いつの
日にか自分も諳んじてしまっていた。
今回、法要を機にお寺の由来、お寺さんと各上人様の由来を調べてみた。
総本山は新潟県三条市の長久山・本成寺であり、法華宗陣門流という宗派だ。日蓮が
佐渡島へ渡る途中に寺泊で出会った日印が開山したお寺で、初祖日朗・開山日印となって
いるそうだ。(1314年初祖日朗上人、開祖日印上人。)
本興寺は南北朝時代、本成寺の主であった日陣上人が開山し、日乗上人と改名した。
日蓮宗は宗派の分裂、統合が盛んだが、現在、本成寺は法華宗陣門流と称し、本興寺は
その東海別院となっている。本堂 (寄棟造、茅葺、天文21年(1552年))は国の重要文化財
、本尊は三宝尊である。塔頭が4院あり、長勝院、光明院、玉葉院、東光院からなる。
方丈には小堀遠州作の日本庭園が、また谷文晁作の襖絵があり有名である。別称、文晁寺。
さて、先に書いた私のうろ覚えには間違いがあったようだ。日印上人を日卯上人と読み
間違えて読んでいた。漢字が読めるようになった頃に、印の字と卯の字を見間違えたのだ
と思う。これで、日印上人様のお怒りを受けなくてもよくなるでしょう。
以上。