北川露頭をでて分杭峠へ向かい、途中、スミレや樹木を観察し、写真に撮った。「
ムラカミスミレ」らしい距が白いタチツボスミレが咲いていた。梨の木と思われる白い
花を付けた樹木も見つけた。
しばらく、152号線を北上していくと、「分杭峠」に至った。ここからは高遠藩の領地
だという立て看板があり、大鹿村側には「秋葉古道・入口」の看版があった。今日(5/
7)は、地元のイベントがあるらしく、高遠方面からは、シャトルバスが運行されていた。
一般車は進入禁止となっていたようでしたが、私達は反対の大鹿村からなので、難なく
通して貰えた。
さらに北上すると、高遠城の脇を通り、杖突峠に至る。ここから見る茅野市、諏訪市の
眺めは素晴らしいが、「根性悪」の茶店が邪魔をして、何か食べないと景色が見られ
ないように造作されている。ここの茶店は本当に根性悪だと思う。当然、何も食べてやら
ない。土地の所有権は持っているかもしれないが、山や諏訪湖や眺めは公共のものだ
と思う。自分中心の「もうけ主義」を情けなく思う。(茶店の柵の隙間から写真は撮った)
ここを下って、茅野市に入ったが、夕暮れまでに時間があるので、諏訪大社(上社、
本宮)/諏訪市に向かい、参詣した。今年は7年に一度のご神木の更改があり、この
5/6に新しいご神木が立てられたところらしい。良い時期に来てよかった。諏訪大社は
実家のある湖西市にも「お諏訪さま」と呼ばれる諏訪神社の末社があり、幼少の頃には祭
に「やぶさめ」の馬が走ったので、良く覚えている。祭りの神社に出かけるのが楽しみ
だった。この総本山に始めてお参りすることができて、感激し納得できた。ここで、社殿に
向かい家内安全と家族の健康、また、孫の息災と成長を祈願した。
この後、予約していた茅野市のホテルに向かい、宿泊した。
翌、5月8日は、諏訪大社の前に戻り、152号線を北上した。最初は北東に進み、途中で
299号と分かれ、北上して白樺湖方面へ向かう。最初の峠を超え白樺湖が見えてくると、
湖の先に蓼科山が聳えて見える。道脇に車を駐めて写真を撮る。地元の車に、「邪魔だ」
と叱られてしまった。お詫びを言って、すぐ発車した。
152号線とビーナスライン(霧ヶ峰への道)が交差するあたりに「大門峠」の標識があり、
標高1440mと書かれている。この辺では一番高い地点のようだ。峠を下り北上すると、
蓼科山の姿もだんだんに小さくなる。見納めに写真を撮る。
さらに北上すると、長和町(小県群)から上田市へ入るあたりに、道の駅「マルメロの駅
ながと」が現れる。ここでは、トイレ休憩をしただけで通過したが、マルメロとは何だろうかと
思い、あとで調べることにした。(マルメロについて、記事末に注釈を付けました)
いよいよ、上田市に入る。間もなく152号線の起点「大屋橋」の手前に「石井」交差点が
現れた。どこかで聞いたような気がするが、ここを通り過ぎると大屋橋に至った。152号線の
起点の標識か石碑でもないかと、近辺を回ってみたが、何も見当たらない。大屋橋の前後も
しつこく見たが何もなかった。が、ここが起点だと判断した。後刻、県の土木事務所に確認
したところ、「石碑などは無い」との返事であった。長い国道の起点表示がないのは、「さみしい
話」だ。世の中には未だに開通していない152号線の起点を見に来る人もいるのだという
変人の希望、期待に応えて、152号線の起点表示の石碑でも建ててくれるとありがたい。
さて、国道152号線の探索を終了したので、帰りは中央道(高速)でかえることにしたが、
更埴回りは大回りなのと、霧ヶ峰のサクラスミレを調べたいという理由で、一旦、大門峠まで
戻り、そこからビーナスラインで霧ヶ峰を通って、諏訪に下り、中央道で名古屋に戻ることと
した。霧ヶ峰では、車山への登山ルートを歩き、嘗て探索した「サクラスミレ」を求めたが、
この時期、まだ雪解け後間もない時期で、スミレは影も形もなかった。ただし、よく調べると
サクラスミレの葉芽が出始めていることは分かった。
以上、「サクラスミレ」は諦めて、帰途についた。諏訪ICから中央道へ入線し、18時半頃に
無事、自宅に帰ることができた。
解説記事、説明看板など (クリックすると拡大します)
長い記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。
(編集に時間がかかり、恐縮でした。) 途中で、記事を分割しました。前の記事は、下記の
アドレスで、ご覧いただけます。興味のある方は、再度、ご覧下さい。
国道152号線を北上_その1 アドレス:https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/08a3404074713a45bf6309fbdeb225c6
<後書き>
国道152号線は、郷里が遠州の私には興味があったが、普通の人はどんな道でどこを
通っていて、どういう役割を果たしているかなど、殆どの方は知らないと思う。昔は、信州から
高遠の山越えをして、天竜川の東岸を通り、遠州に抜ける戦国の軍用道路であったのだろう
と思う。中央構造線(断層帯)の上を通るこの道路は、トンネルが堀り辛く、周辺に産業都市も
ないので、産業用の価値が少なく、観光用として僅かに価値がある程度だ。上田市大屋橋(/
長野県)から浜松市の中心部に至る152号線は、途中、青崩峠と大鹿村の2カ所で通行止め
となっており、無理無理つなぎ合わせて、152号線と呼んでいるような気がする。勿論、各地域
ローカルな道路として、それぞれの地域では生活道路、産業道路としての役割は果たしている。
一貫した152号線としての意味がないだけの話だ。もう少し道路が整備されると、観光用として
脚光を浴びそうな気がした。以上、感想でした。