平成20年11月東福寺を訪ねた後、醍醐寺と泉涌寺を訪ねた。
太閤・秀吉の醍醐の花見で有名な醍醐寺の境内は、下醍醐のみを散策するには
広さも手頃で、素晴らしい紅葉を観賞できた。
また、同日に訪ねた泉涌寺も紅葉の中にあり、真言宗の名刹だけに立派なお寺
さんだった。
<解説> 醍醐寺 (現住所:京都市伏見区醍醐東大路町)
真言宗醍醐派総本山の寺院。山号を醍醐山(深雪山とも)と称す。本尊は薬師
如来、開基(創立者)は理源大師聖宝である。
聖宝理源大師が貞観16年(874)に小堂を建立して、准胝、如意輪の9両観音像
を安置したのに始まる。延喜7年(907)に醍醐天皇の御願による薬師堂が建立、
五大堂が完成し、上醍醐の伽藍が完成した。延長4年(926)に釈迦堂が建立。次い
で、天暦5年(951)に五重塔が落成し、下伽藍が完成した。
座主勝覚の時代に山上・山下共に伽藍が整備され、永久3年お(1115)に三宝院が
建立され、醍醐寺発展の基礎ができあがった。
五重塔 (国宝)
平安時代、醍醐天皇の冥福を祈るために朱雀天皇が起工、村上天皇の天暦5年
(951)に完成した。京都府下最古の木造建造物。
三宝院表書院 (国宝)
義演准后は豊臣秀吉と深い関係を持っており、その力によって伽藍、三宝院
殿舎・庭園の復興をなすと共に、一代の英雄(秀吉)の最後をかざる善美を尽く
した「醍醐の花見」を催させた。
醍醐の花見
太閤秀吉は1598年4月20日に醍醐寺にて花見の宴を催した。伽藍全体で700本の
桜が植樹された。北の政所、淀君を始めとする近親者、大名の妻・女中など1300人
を招待し盛大に行われた。(男は秀吉、秀頼、前田利家の3名で、他は全て女性)
太閤秀吉はこれに続いて、秋には盛大な紅葉狩りの宴を計画していたようであるが、
その年の夏に62歳の生涯を閉じ、紅葉狩りは行われなかった。
泉涌寺 へ
<解説> 泉涌寺 (現住所:京都市東山区泉涌寺山内町)
真言宗泉涌寺派総本山。山号は東山(とうざん)または泉山(せんざん)。
弘法大師がこの地に草庵を結び、法輪寺と名付けたことに由来し、後に仙遊寺と
改名された。1218年当寺を開山した月輪大使・俊芿(ガチリンタイシ・シュンジョウ)が大伽藍の
造営に着手し、1226年に完成した。この時、寺の一角から清水が湧きだしたところ
から泉涌寺と改名された。
本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏である。
<個別写真> 写真をクリックすると拡大します。
1.醍醐寺
2.泉涌寺
以上。