家の前にある川の土手にコスモスが今年も咲いている。
もう随分前に「花いっぱい運動」があり、町道沿いにコスモスの種を蒔いたことがあった。
その時の子孫が未だに芽を吹くのである。
当時は珍しかった黄色い花のコスモス(俗に言うキバナコスモスではない)や、花びらが筒状になる種などはいつの間にか絶えてしまった。
今でも、車を停めて眺めていく人もいれば、三脚を立てて熱心に撮っていく人もいる。
中には我が家に断りを入れ数本の茎を手折っていく人もいる。
この土手の草刈は主に父がやっているのだが、刈り払い機でコスモスだけを残して刈るのはなかなか難しい。
時には花が咲く間際の株を刈り倒してしまったりもするのだが、残りの株数が多いのでそれもご愛嬌である。
花が終わると種ができ、それがまた来年の楽しみとなるのだが、枯れた茎をかたずけるのが母の役目だった。
完全に枯れた茎は意外と丈夫で、力が衰えてからは長い柄のついた枝切バサミを使っていたようだった。
枯れた茎を幾束も結わえ、個輪車で田んぼか畑へ持って行き、焼き払っていた。
「秋桜(コスモス)」といえば「さだまさし」の名曲である。
そして、結婚を機に引退して久しい「山口百恵」の歌声が今も聞こえてくる。
「こんな小春日和の穏やかな日は もう少しあなたの子供でいさせてください」
(作詞:さだまさし 「秋桜」より引用)
もう随分前に「花いっぱい運動」があり、町道沿いにコスモスの種を蒔いたことがあった。
その時の子孫が未だに芽を吹くのである。
当時は珍しかった黄色い花のコスモス(俗に言うキバナコスモスではない)や、花びらが筒状になる種などはいつの間にか絶えてしまった。
今でも、車を停めて眺めていく人もいれば、三脚を立てて熱心に撮っていく人もいる。
中には我が家に断りを入れ数本の茎を手折っていく人もいる。
この土手の草刈は主に父がやっているのだが、刈り払い機でコスモスだけを残して刈るのはなかなか難しい。
時には花が咲く間際の株を刈り倒してしまったりもするのだが、残りの株数が多いのでそれもご愛嬌である。
花が終わると種ができ、それがまた来年の楽しみとなるのだが、枯れた茎をかたずけるのが母の役目だった。
完全に枯れた茎は意外と丈夫で、力が衰えてからは長い柄のついた枝切バサミを使っていたようだった。
枯れた茎を幾束も結わえ、個輪車で田んぼか畑へ持って行き、焼き払っていた。
「秋桜(コスモス)」といえば「さだまさし」の名曲である。
そして、結婚を機に引退して久しい「山口百恵」の歌声が今も聞こえてくる。
「こんな小春日和の穏やかな日は もう少しあなたの子供でいさせてください」
(作詞:さだまさし 「秋桜」より引用)