モノクロテレビの中でマッシュルームヘアの大学生らしき若者を中心に歌を歌っていた。
それまでの恋を歌ったフォークソングや岡林信康などのプロテストソングとも一風変わった理屈っぽい早口言葉のような歌だった。
「ヤング720」
司会はブロード・サイド・フォーの黒沢久雄と俳優の小柳徹が日替わりだった。
黒沢は「ブロード・・・」のメンバーというより黒沢明監督の息子で、「若者達」の歌唱ということで知られているのかもしれない。いや、林寛子の元旦那としての方が今は有名かも・・・
小柳徹はドラマの子役時代から活躍していた。子役時代の役柄の愛称アンパンそのものの顔だったが何処か石原裕次郎に似た雰囲気の若者であった。
しかし、この番組の司会を担当していた時期に惜しくも二十歳の若さで交通事故で他界してしまった。
当時、「広島フォーク村」というアマチュアのフォーク集団があり、なにやら小難しい歌を歌う大学生がいるというのはその手の雑誌でも時おり取り上げられていた。
この日が初のテレビ出演の日だったのである。
大学生の名は「吉田拓郎」
歌った歌はもちろん「イメージの詩」
その後、同曲でデビューし三十六年。
彼に心酔した同世代の人間も数多い事だと思う。
LPレコードが今でも物置に眠っている。
(たぶんこれからもズ~ッと眠ったまま・・・捨てられないんだろうなぁ!?)
TVやFMラジオでエアチェックしたライブ音源がカセットテープに二・三本。
LPはCD化されているのでともかくとしても、エアチェックの音源は市販されていない。
カセットの時代でもなくなってきたのでなんとかCDに焼きなおさなくてはと思っているのだがいつになる事やら。
先日、嬬恋でのライブがあり、地上波TVでも放送された。
車で移動する拓郎がやけに年老いて見えた。
還暦ともなると致し方ないのかもしれない。
ステージ上を走っている姿は「無理すんなよ・・・」
というものがあった。
しかし、拓郎は輝いていた。
三十一年前の力任せのステージより輝いて見えた。
老いたのではなく歌詞の重みに負けない円熟味が増したのであろうか?
BS2では後日、別編集の放送があるようだ。
LIVE DVDも年内に発売されるとか。
誰か私にプレゼントして
それまでの恋を歌ったフォークソングや岡林信康などのプロテストソングとも一風変わった理屈っぽい早口言葉のような歌だった。
「ヤング720」
司会はブロード・サイド・フォーの黒沢久雄と俳優の小柳徹が日替わりだった。
黒沢は「ブロード・・・」のメンバーというより黒沢明監督の息子で、「若者達」の歌唱ということで知られているのかもしれない。いや、林寛子の元旦那としての方が今は有名かも・・・
小柳徹はドラマの子役時代から活躍していた。子役時代の役柄の愛称アンパンそのものの顔だったが何処か石原裕次郎に似た雰囲気の若者であった。
しかし、この番組の司会を担当していた時期に惜しくも二十歳の若さで交通事故で他界してしまった。
当時、「広島フォーク村」というアマチュアのフォーク集団があり、なにやら小難しい歌を歌う大学生がいるというのはその手の雑誌でも時おり取り上げられていた。
この日が初のテレビ出演の日だったのである。
大学生の名は「吉田拓郎」
歌った歌はもちろん「イメージの詩」
その後、同曲でデビューし三十六年。
彼に心酔した同世代の人間も数多い事だと思う。
LPレコードが今でも物置に眠っている。
(たぶんこれからもズ~ッと眠ったまま・・・捨てられないんだろうなぁ!?)
TVやFMラジオでエアチェックしたライブ音源がカセットテープに二・三本。
LPはCD化されているのでともかくとしても、エアチェックの音源は市販されていない。
カセットの時代でもなくなってきたのでなんとかCDに焼きなおさなくてはと思っているのだがいつになる事やら。
先日、嬬恋でのライブがあり、地上波TVでも放送された。
車で移動する拓郎がやけに年老いて見えた。
還暦ともなると致し方ないのかもしれない。
ステージ上を走っている姿は「無理すんなよ・・・」
というものがあった。
しかし、拓郎は輝いていた。
三十一年前の力任せのステージより輝いて見えた。
老いたのではなく歌詞の重みに負けない円熟味が増したのであろうか?
BS2では後日、別編集の放送があるようだ。
LIVE DVDも年内に発売されるとか。
誰か私にプレゼントして