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画像は同僚が撮ってきた仙台空港近くの携帯画像(本人許諾済み)
中央に写っているのが航空大学校だというのだが・・・
(おそらく一番奥に写っている建物だと思う)
手前にあるのは海難事故などで使われる救命ゴムボートのようだ。
22日から何とか一部操業という事で出社してはいる。
しかし、素材メーカーが津波に流され入荷がストップ・・・
納品先も部品が揃わないことからメインの組み立てラインがストップ・・・
在庫のある職場は開店休業状態で朝から掃除三昧の日々。
一方、稼働中の職場は計画停電のために機械を止めざるをえず極端な変形シフトを組んで対応することに。
そんな中、同じ職場のAさんとB君が出勤していない。
どうしたのかと訊ねたら・・・
関連会社で救援隊を編成して被災した仙台空港近くの工場に派遣したとの事。
両名とも21日まで仙台にいて今日から出社したのだが、なかなか大変だったようだ。
出発した日は夜に出発して日本海側経由で仙台まで。
当日は雪が降っていて十時間以上かかったとか。
仙台到着=作業開始。
作業前のミーティングは開口一番「津波警報が鳴ったら即避難」。
車を使っての避難場所と万が一取り残された場合の次善の避難場所の説明。
被災した工場は鉄骨作りの二階建てで二階に逃げれば当日の規模なら助かるとの事。
実際、従業員は地震発生後に二階に避難して難を逃れたが、一名だけ連絡がつかない(行方不明)。
助かった従業員は救助されるまでの二日間二階に足止めされたそうで、二階の床には暖をとるための焚き火の跡があったそうだ。
工場内は津波が押し込んだ瓦礫の山。
まず一番にした作業は・・・
流されたアルミインゴットの捜索。
一本一万円する塊だそうで付近一帯を探して回ったそうだが、近くでは自衛隊が一列縦隊で行方不明者の捜索中。
「アルミ以外のものを見つけちゃったらどうしよう・・・」とビクビクしての捜索だったらしい。
工場内の一番の難物は一抱えほどもある大木が三本。
三箇所ほどチェーンソーで切って片付けようとしたら人力ではビクともしない。
持ち運びできるぐらいに輪切りにしたら休憩用の椅子になったそうだ。
現場から車で二時間以上はなれた場所に宿舎を確保し五日間、瓦礫の山を片付けるガテンな仕事の日々。
今日は会うたびに「腰がイテェ~」から会話が始まる・・・
もっとも、腰が痛いのはガテンな仕事のせいなのか車に乗り続けだったせいなのか本人にも分からないとのこと。