普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

戦争犯罪問題に関連して

2007-04-18 11:29:39 | 国際社会

私は何度か慰安婦問題について同じ時代に生きてきた人間として、忸怩たる思いで何度かこれきりにしたいと思いながら書いてきた。
何故なら大戦時の日本の恥部をさらけ出すようなものだからだ。

然し昨日のブログで、同じ福岡県の方から、暖かいコメントを貰ってもう少し頑張る気持ちになった。

例によって悪文、順序不同、一方的な解釈でまたお叱りが出そうだが、意図するところをくみ取って行けば幸いだ。

<<私の軍隊での経験>>
私は某航空教育隊に入隊し、しばらくして本隊からかなり離れたところの分遣隊配属になった。

分隊が派遣された理由は説明されなかったが、今になって考えると、終戦直前のことで隠していた特攻機を守る目的があったのかも知れない。

ある時その隊を指揮していた上官が、将校マントで隠していたつもりだろうが、明らかに下半身下着のまま軍刀をつけて、点呼に来たのには驚かされた。
そんな将校に率いられた分遣隊の士気が上がらなかったのは当然だった。

そんな分遣隊にある日、隠していた飛行機についての話に来たと思われる一人の将校が来た。
引き締まった浅黒い顔だち、鋭い眼。勿論一部の隙もない服装。
明らかに実戦で戦う人の顔かたちだった。
彼は「鯖の腐ったような眼」の上官を見てきた私たち初年兵にとって圧倒的な迫力だった。

終戦後、特攻隊の人達の話を聞く度に、あの鋭い眼の将校と、頼り無い上官と、その下にいた私達と思い合わせて、胸が痛くなる。

<<戦争犯罪が起こった一つの原因>>
旧日本軍の名誉のため言うが、私たちの上官は、教育隊のしかもその分遣隊の長だから、最低レベルの将校だったのだろう。
つまり総力戦だった二次大戦で、体が丈夫だけの基準でかき集めた軍隊だから、その兵隊や将校の中に首を捻る人達も混じっていたと言うことだ。

戦地に派遣された軍人の殆どは、あの鋭い眼の将校のように立派な人達だっと思うが、中には私の上官のようなとんでもない一握りの将校も兵士もいたのは想像に難くない。

軍公認の慰安婦の部屋の前に多くの兵士が並んでいたのは、容易に想像できるし、それに対する何らかの批判を受けねばならぬのは、致し方無いことだ。

しかし、レイプや、一般人民の殺傷事件を起こした人は、日本軍の将校や兵士は極く一部に過ぎないと思う。
それも生命の危険に晒される極限状態での行動だから、ある程度は同情出来ても決して許されることではない。
しかもこれが誇大に宣伝されて、今の日本の外交の大きな壁となっているのだから。
今このことについて論議の的になっているが、既に書いているので省略する。

<<日本の現状>>
ここで若い方達に是非知って貰いたいのは、戦前の日本は全体として、軍国主義に向かってはいたが、日本全国のコミュニティーは今と比べて遥かに健全だった ことだ。
それでも、戦争になるととんでもない人達が出てくるのだ。

現在、止まらない「いじめ」、家族間の殺傷事件の続発、家庭内暴力、直ぐ切れる子供(それが40代ぐらいにまで高齢化して進んでいると言う人もいる)、援助交際、セクハラなどなど。

明らかに戦前、戦中に比べて日本の社会は比較にならぬほど劣化している。

万一日本が戦争に突入したら、現在、社会で問題を起こしている人達が戦地でどんなことをし始めるかは、容易に想像できることだ。

つまり戦争は社会の問題点を拡大して示す鏡の様なものだ。

<<平和の社会を作る為に>>
勿論、あれだけ悲惨な眼にあって、しかも世の中が変わってしまった今の時期にこちらから、戦争をぼっ始めるなど日本人は馬鹿ではない。

イラクで勝利を納めても、それ以上の代償を今もなお払い続けている米国を見れば判る。
米国は欧州、アジアとも離れているので、長距離ミサイル攻撃に対処する時間はあるかもしれないが、日本はアジアのどこの国からも中距離ミサイルの射程距離内にある。
つまり仮に日本が戦争に勝っても国内では相当の被害が出るのは間違いないだろう。

私は、戦争しない平和 は言うまでもなく、世の中を平和 にして貰いたいのだ。

特に現状に目をそむけて、平和主義を唱えている人達へ是非世の中を平和にするのはどうすれば良いか考えて貰いたいのだ。

<情報の発達がもたらすもの>

然し、明るい兆しもある。

関東大地震のときは、朝鮮人の襲撃事件があったそうだ。
しかし、兵庫県南部の大地震の時はそれに乗じた、悪質な事件は殆ど無かったそうだし、日本各地から善意のボランテイアが集まった。
中越地震や今度の能登の地震のときもそうだ。

これらの事を考えるのに一つの物差しがある。
情報の発達とそれに伴う生活空間の拡がりと、その反対の位置にある密閉社会だ。

私が経験した分遣隊はまだしも、国と遠く離れた戦地での軍隊と言う密閉社会では何でも起こり得るのだ。

東京大地震のとき、乏しい情報のなかのデマに踊らされて起こった襲撃事件。

その一方、国中の関心を集めた、詰まり溢れる情報によって国民の前で明らかになった、兵庫県南部の大地震を始めとする一連の地震では、それにつけ込んだ悪事の話はほとんどなく、逆に多くの人達の善意が集まった。

これとは逆に、今問題となっているいじめは、密閉的体質の学校の中の生徒だけで作る密閉空間で起こっいるし、核家族化やコミュニティーの崩壊から家庭が孤立し、密閉社会化した中での家族内の殺傷事件の続発、家庭内暴力などが起こり、プライバシーの名のもとで、個人が自分の殻の中で行う援助交際、密閉された部署の中でセクハラが起こると言えなくもない。

このことから考えれば、社会全体がもっとオープンになれば、解決出来る問題もあるような気がする。
例えばイジメの問題について言えば、生徒と教師の触れ合いの時間を増やすとか、コミュニティーの人達を学校に入れるとか、生徒達をコミュニティーの行事へ学校として参加させて生徒の生活空間を拡げるだけでも、いじめの数は相当に減ると思う。

逆に情報の発達や、世界空間の拡がりは、今度の一連の日本パッシングのように、一部の行動が誇大化され、歪曲されて、手の付けようまでに拡がる危険性のあることを示している。
前にも書いたように、日本の政治家、知識人、マスコミは、これに適切に対処して貰いたい。

私たちは、戦争中の悲惨な経験を教訓にして今の日本に活かして行きたいものだ。

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