私は以前済みませんの国日本 で「済みません」について書いたが、また違った意味でこのブログを書くことにした。
私はたまたまバスの最前列の席にかけていた。
そのバスがバス停に止まった時、はるかはるか前方から、60歳前後の男の人が手を振りながら走って来た。
足かそれとも心臓でも悪いのか、まるで歩くような速度で。
バスは乗客の乗り降りが済むとドアを閉めて走り出した。
私は思わず「客がいるよ」と運転手に声をかけようとした時、バスはその男の前で止まった。
バス停より50mも過ぎた所で。
その男の人は、バスに乗り込むなり知人でもいたのか、大声で話始めた。
普通の中高年の人達なら、運転手に「済みません」「有り難う」など声をかけるのに。
戦前派である私や家内などは、バスを待たせた時は運転手だけでなく、少しの間でも待って貰った乗客にも聞いて貰えるように大声で「済みません」と言うのだが。
このような時に、黙って乗り込むのは若い人の場合はありがちな事だ。
然し私はこの光景に驚かなかった。
何故なら同じ様な事を既に数回経験していたからだ。
遂に中高年までここまできたかと思うだけだ。
考えて見ると、私たち戦前、戦中派は、「人に迷惑をかけない」と言う日本古来の考え方が身に染みついているから、この様な場合に「済みません」の言葉が自然と出るのだ。
今の60歳と言えば、戦後の混乱した時代に、権利重視、義務や責任無視または軽視の中途半端な民主主義教育を受けて来た人達だ。
親達は、昔の価値観が抜けきらぬ人がまだ多かったと思うが、中には戦争の反省から今までの価値観を全て否定してしまった人もいたようだ。
だから、多くの家庭では、私が何度も書いたように、自信がないながらも「人に迷惑をかけない」的な昔の価値観に従った教育をしたと思うが、前に書いたような人達の家庭では、事実上の教育は殆ど無しの状態で育った人もおり、またその中に私の見た60歳前後の男の人を見るのは仕方がないのかもしれない。
ある批評家が、続出する凶悪事件の原因の一つとして、「直ぐ切れる世代の高齢化」と言っていたが、その人達は学校では日教組全盛時代のお手手繫いでゴール式の教育、家庭では子供を甘やかすばかりで我慢など知らぬまま育った人達だとと思う。
幸いその種の人達の数が少ないのは、昔からの価値観に従った家庭教育を受けた人達がまだ多いからだと思う。
いじめの例をとっても、それが問題になっている割合に、余り拡がっていないのは、「男らしい子は弱いものいじめしない」、「人に迷惑を掛けない」「お天道が見ている」「権利よりも思いやり」などの昔の考え方が残っている家庭が多いからだと思う。
青年研究所の高校生の意識調査の報告
しかし、偏った教育を受けた子が親になり、その子がまた親になると言う家庭の劣化の進行、市場経済主義などの新しい価値観とモラルの問題の発生など、日本の教育環境の劣化をどこかで止めないと、家庭内の暴力や殺傷事件を始めとする昔では考えられない凶悪事件の続発は止まらないような気がする。
バスを待たせても「済みません」も言わない世代の人達が増えるのは間違いないように。
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