毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

庭の片隅に利休梅。[高き空を知る]努力を!

2015-05-21 07:07:31 | 日記

我が家の小さな庭の道路側。その片隅に白い花が咲いていた。今朝の散歩から帰る途中で我が家を外から眺め、白い花が咲いているのに初めて気づいた。花は赤と緑の二本のもみじの影になっていて、わが家の中からは見えにくい。

       

家に入り“うちの奥さま”に、「裏の白い花きれいだね。花の名を知っているの。」と今日の質問第1号。「利休梅よ、お茶花です」さらにつづけて「この利休梅ずいぶん前に買ってきて植えたもの」と、いまさら何よと言うかのような答えが返ってきた。

「利休梅」は、原産地中国、バラ科。明治末期に日本に渡来。安土桃山時代(戦国時代)の茶人の「千利休(せんのりきゅう)」とは関係ないようだが、白い清楚な5弁の花が咲く。5月~6月にかけて咲き、梅雨の花ともいわれる。

朝の散歩をはじめてから、花や木、草など、自然のものにとても気がいくようになった。もちろん余所のお宅の美しいお庭を拝見するのもその一つ。美しいお庭はその日の散歩を楽しくさせてくれる。

我が家の小さなお庭に訪れる鳥や、大きくなった植木、鉢に植わったバラの花など眺めながら、いつもゆっくりと過す暮らしに満足してしまい、外から我が家を眺めることはほとんどなかったことを初めて知った。“井の中の蛙大海をしらず”とことわざにはある。今朝の散歩で「利休梅」がわが身知らずということを教えてくれた。

“井の中の蛙大海をしらず”のことわざだが“されど高き空を知る”と後が続く。“高き空を知る”つねにその努力は欠かせないことだ。ささいなこともわが身に置き換える。まだまだ、知らないことが多すぎる。

 

 


奄美の梅雨入りが思い出させてくれた「月桃」の思い出

2015-05-20 15:37:46 | 日記

19日、全国で最も早く奄美地方が梅雨入りしたとみられると鹿児島地方気象台の発表があった。沖縄地方はまだ梅雨入りしていない。奄美が沖縄地方より早く梅雨入りしたのは2006年以来9年ぶりだという。

奄美市では午前を中心に時折雨が降り、梅雨の花として親しまれている「さねんばな」(ゲットウ)を濡らしていた。とニュースがでた。

 (ゲットウの花)

沖縄ではこの花を「サンニン」(月桃)とよび、サンニンの葉にム―チ―を包んで蒸す。ムーチー(餅、鬼餅)は、沖縄県で食される菓子の一種で「餅」の沖縄方言でもあり、 サンニン(月桃)の葉で巻くことから「カーサムーチー」と呼ばれることもある。沖縄ではこのほかに香り付けを兼ねて、肉や魚を包んで蒸し焼きにするなど幅広く利用されている。

仕事の関係で何度も沖縄を旅行している内に沖縄が大好きになった。那覇市の国際通り沿いにある公設市場で「カーサムーチ」をいただくのも楽しみのひとつ。月桃特有の生姜のような強い甘い匂いが何とも言えない。ムーチを食べ終わった後の葉には、独特のさわやかな匂いがいつまでも残っている。食べた後の何枚かの月桃の葉をわが家へ持ち帰えり、その匂いをいつまでも嗅いだものだ。

2年前。最後となった沖縄旅行の時だった。公設市場のお土産店で買い物の途中、珍しい見たことのない“ドライフラワー”が花瓶に挿してあるのが気になった。そっと触ってみた。欲しそうな顔でもしていたのだろうか。店のご主人が「お持ち帰りになるなら差し上げますよ。これは月桃の実です。」といって、新聞紙に包んでさしだされた。傷つけないように細心の注意を払い一緒に飛行機の旅を楽しんだ。

今も、その月桃の実わが家の手洗いに飾られている。2年もたって少し疲れが出てきたようだ。ぽろぽろと実が落ちる。知らずに踏みつけると足が痛い。そのとたんに沖縄を思い出す。

  (我が家の手洗いを飾るゲットウの実)

奄美の梅雨入りが思わぬ思い出につながった。梅雨は嫌いだが、月桃を思い出すだけでうれしくなった。

 


梅雨の走り(つゆのはしり)に

2015-05-19 19:45:20 | 日記

雨の日が続く、梅雨の走りというのだろう。

梅雨入り前の5月-6月ごろ、梅雨に似た天候がみられることがあり、これを走り梅雨(はしりづゆ)梅雨の走り(つゆのはしり)、あるいは迎え梅雨(むかえづゆ)と呼んでいる。

九州北部が梅雨入りするのは例年であれば6月5日ころ、昨年は6月2日に梅雨入りしたそうだ。

梅雨の季節はうっとうしい。水害や土砂崩れなどの災害が多発することが心配される。老人夫婦にとって地震や火災、台風は怖いが、雨もまた鬼門だ。早いこの時期に、雨に対する対策を考えておくこととしよう。もちろん避難場所も知っておくことが大切だ。

今年7月には傘寿を迎える。80年にわたる長い人生で、たびたび大水害を目にしてきた。思い出すだけでも怖いの一語に尽きる。

昭和28年の門司の大水害。当時山津波と呼ばれた土石流が町を襲った。死者は250名を超えたと記憶している。昭和53年の長崎大水害。長崎市の観光名所「思案橋」の暗渠が空高く舞い上がった。死者の数は数え切れないほどだった。

最近では、昨年、8月15日から20日にかけて広島を襲った大雨と土石流。悲惨だった。死者34名、行方不明者31名、負傷者23名、住家全壊8棟、半壊12棟、一部損壊26棟、床上浸水37棟、床下浸水102棟などの大きな災害が伝えられた。今にしてこの大災害とは、思いもつかない出来事だった。

気候変動の影響か、あるいは台風6号の影響か。それにしても例年梅雨入りが5月9日ころの沖縄で、未だ梅雨入りしていない。日本で梅雨がないのは北海道だけと言われる。沖縄もその仲間となるのかとシャレ一つも言いたくなるが、水不足が大変心配されていると現地の新聞が伝えている。

あと数日で梅雨入り。嫌いな梅雨だが避けては通れない。残り少ないこの人生で、これから何度、嫌な梅雨を経験することだろうか。



「安全保障法制の関連11法案」は民意を問え

2015-05-18 08:35:41 | 日記

「名護市辺野古への移設計画阻止を訴え」沖縄セルラースタジアムに3万5千人が参加した沖縄県民大会。

沖縄の怒りがよくわかる。「『オール沖縄』から『オールジャパン』へ。県外で「連帯」の動きも起き、共鳴の声が広がった。沖縄の絶対的な民意を知り、政府が真剣に腹を割っての話し合を続ければ、何処かに落としどころはあるはずだ。

今朝、最大のニュースは「大阪都構想・反対多数」の住民投票。17日に行われた投票の結果だ。その差は約1万。大阪都構想は廃案となった。

注目すべきは住民投票が、国民の民意を時の政府が知るための手段として、有効な手段であるとは考えられないだろうか。

自民党政権は先の衆議院選挙や参議院選挙で公約に基づき憲法改正について信任されたという。だが、その公約の小さなスペースに書かれた「憲法改正」の小さ文字が、はたしてすべての国民の信任を得たことになるのだろうか。

確かに先の選挙で、自民党の公約に対する期待は大きかった。だが、憲法改正を全部が支持していたものではない。その後の世論調査によると有権者の多くはデフレ脱却のための経済政策を期待し投票した。とある。

総選挙の結果、1強となった自民党安倍総理は「国民から選ばれ国の最高責任者」であると、その後、立憲主義の象徴でもある憲法を無視するかのような政策に励んでいる。数の力で「特定秘密保護法」を成立させ、武器輸出3原則を弛め、さらには集団的自衛権を認める閣議決定をなし、今国会に集団的自衛権を行使できるようにするための武力攻撃事態法改正案など安全保障法制の関連11法案を束ね国会に提出した。

長い間にわたって積み重ねられてきた憲法解釈を、簡単に時の政府が変更する。これはまさに憲法違反であり暴挙に他ならない。法案のこれからの国会審議が大切なことは言うまでもないが、民意を知ることはそれ以上に大切なこと。

過去、小泉政権が郵政改革を進めるために衆院を解散し民意を確かめようとした例もある。安保体制の変更は戦争にもつながりかねない重大事項。これこそ総選挙または住民投票で民意を確かめなければならないこと。政治を預かる人達は「反対意見に耳を傾け、時間をかけて論じあう。そのうえで、より多くの国民が『そいうことなら』という着地点を見出だす」。 総選挙または住民投票はその後でよい。今の国会だけで結論を出すには無理がある。

16.17の両日行われた朝日新聞の世論調査では。安全保障法制の関連11法案を今国会で成立させる必要があるかどうかの項目で、「成立させる必要はない」が60%、「必要がある」は23%となっている。

 


沖縄県民の悲しみと心を理解しよう

2015-05-17 15:16:17 | 日記

沖縄の本土復帰から43年を迎えた15日、米軍基地や戦跡を巡る恒例の「5.15平和行進」がはじまった。全国各地からの参加者を含む2600名が、沖縄県名護市を出発点に、2日間で約22㌔を歩いた。

17日午後1時からは、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古新基地建設阻止を訴える「戦後70年・止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇で開かれた。2014年の名護市長選、県知事選、衆院選などで相次いで示された「辺野古新基地催設反対の沖縄の民意」をあらためて国内外に発信するための県民大会。県内外から数万人が集まり会場を埋め尽くしたとある。政府への県民の怒りが透けて見えるようだ。

沖縄の新聞「琉球新報」の「社説」の一部を転記させていただく。 

ことしは戦後70年の節目の年である。私たち沖縄県民は悲惨な地上戦により住民の4人に1人が犠牲となった。

戦後27年間は米軍占領統治下に置かれ、日本国憲法は適用されなかった。本土復帰から43年目を迎える今も、米軍基地あるが故の事件や事故に苦しみ続けている。

私たち沖縄県民は長年にわたり、自ら望んで持ってきたわけではない米軍基地を挟み「容認派・反対派」と県民同士が対立し、分断され続けてきた。

こうした中、昨年の名護市長選挙、名護市議選挙、沖縄県知事選挙、衆議院選挙の沖縄4選挙区の全てで、米軍普天間基地移設に伴う名護市辺野古への新基地建設反対の圧倒的民意が示された。

ところが安倍政権は、前知事が公約を翻し行った公有水面埋め立て承認を盾に、民意を無視して辺野古新基地建設を粛々と強行している。

翁長雄志県知事による海上作業の停止指示を無視し、反対する市民に対しては、海上保安庁や沖縄対衛局による過剰警備によって国圧を加えている。

また、去る4月28日、沖縄県民にとっての屈辱の日には、日米首脳会談において辺野古新基地建設推進を再確認している。・・・・(以下略)                          

「政治は国民のもの」「民主主義国家」である以上、民意を尊重するのは当然のこと。しかし、この国の為政者はこれを無視し続けている。沖縄県民の怒りが爆発寸前にあることを知った。普天間飛行場の移設と辺野古基地建設。民意を柱に話し合えば、何らかの解決はできると確信するがいかが。

それにしても「大和とんちゅう」の他県の方々の関心は余りにも薄すい。もっと「沖縄県民の悲しみと心」身近に考えてほしいものだ。