このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。
大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。
また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。
終戦記念日の15日、河北新報に太平洋戦争史上最悪の軍事作戦といわれるインパール作戦から生還した、宮城県栗原市の97歳の男性の証言記事が掲載されていた。
1944年、帝国陸軍が当時占領していたビルマ(現在のミャンマー)駐屯の3個師団約9万人を投入し、2000メートル級の山岳地帯と川幅600メートルのチンドウィン河を越えた先にある、隣国インド北東部のイギリス軍拠点インパールの制圧を目的とした無謀な作戦だった。
2017年にNHKスペシャル「戦慄の記録 インパール」でも取り上げられていたが、ジャングルと狭い山道を、一旦分解したトラックの部品を担いで進軍したという、それだけ聞いても狂気の沙汰だ。
兵站(ロジスティクス)の当てもなく始まった軍事行動は9万人のうち3万人が戦死、4万2千人がマラリアなどで戦病死するという、大損害を出して終わった。
農家の7人兄弟の長男だという栗原市の男性は生きて戻れて本当に良かったと思う。
僕の祖父は同じ栗原市出身で、戦前戦中は妻子を仙台に残して満州で農園を経営していたが病に倒れて帰国、終戦の年の昭和20年暮れに病死して祖母や母を戦後の混乱と貧困のどん底へ置き去りにした。
インパール作戦を主導した司令官の牟田口中将だが、戦後BC級戦犯として戦争裁判にかけられたものの嫌疑不十分で釈放されたのちは、「作戦の失敗は部下の無能によるもの」との自己弁護に終始し、亡くなった兵士への謝罪の言葉もなく、葬儀では遺言により自説を記した冊子を配布したという、最低最悪の日本人だ。