少し前の朝日新聞に掲載された、デザイナー・川久保玲と彼女が1973年に設立したコムデギャルソンについて、40年超、ブランドを愛用しているという建築家・妹島和世が語った愛あるインタビュー記事はとても面白かった。
長いが引用する。
「コムデギャルソンとの出合いは大学生時代。これまでと全然違うタイプの洋服が出てきた、というのが第一印象でした。卒業後に就職した伊東豊雄建築設計事務所の近くにギャルソンの店舗ができて、メンズだったのですが昼休みに時々気晴らしに行っていました。
最初に買ったのは26、27歳の頃だと思います。黒い丸首のすとーんとしたワンピースで、今でも持っています。憧れの存在で、昔は1年に1回買えるかどうか。もちろん若いからお給料も少なかったし、すごく大切に丁寧に、どうしても欲しいものを選んでいましたね。今はほとんど毎シーズン買っていると思いますが、その頃よりちょっと真剣さが足りないと時々反省しています。
2010年にプリツカー賞の受賞が発表された翌朝、事務所に行くと真っ白なバラの小さなつぼみが集まった大きな花束が届いていました。川久保さんが贈ってくださったんです。感激しました。一生で一番きれいなお花だったと今でも思っています。
その後、授賞式に出席するための服を表参道のお店に探しに行きました。お店の方に相談して、川久保さんからもアドバイスをいただいて、その時にコムデギャルソンから発表されていた黒いドレスを着ることができました。ボリュームのあるギャルソンらしいフォルムの素晴らしいドレスで、とても嬉しかった。」
「川久保さんは半世紀、ファッション界の先頭を突き進んでこられた。今よりもずっと女性が活動することは難しかった時代だった。川久保さんを見て励まされた女性は多いと思う。以前、『いい物は高いという価値観も残って欲しい』と新聞でおっしゃっていました。ファストファッションが台頭してきた頃で、異常に安い値段というのはどこかの工程で誰かが泣いているかもしれない、と。きちっと表明された。
かつて、駐日イタリア大使に、「あなたは、色々社会に言う機会に恵まれているのだから、言わなきゃダメだ」と言われたことがあります。川久保さんのように年下の世代を勇気づけられる存在でありたいし、建築物として残していきたい。
建築の道に進んで40年以上。私のそばにはいつもコムデギャルソンがあります。」
物事を成し遂げた高名な女性が好きなブランドについて生き生きと語る。
ブランドのヒストリーとそのひとのライフストーリーがリンクした時、ひとは最強だ。
ファストファッションもいいけれど、こういった高揚感を得ることは決してできない。
僕も、進学で上京する1年前に日本上陸したブルックス・ブラザーズの青山本店の前を、ウキウキした気分で歩いたものだ。初めて購入したのは、妹島女史と同じように、就職してサラリーをいただくようになってから。
それから長い長い年月が流れて、気がつくと毎日なにかしらのアイテムを身に着けている。
スーツ、コート、ネクタイ、ポケットチーフ、シャツ、ポロシャツ、、かえって、一色にならないよう気をつけているくらいで、買い続けること、丁寧に着ることの結末って、こういうことなのだな、と思う。
「オレは『ブルックス・ブラザーズのシャツを着た男』(メアリー・マッカーシーの短編小説のタイトル)だからさ」と堂々と妄言を吐けることも。