タイトルは、『読書とはパンツを履くこと』の方がいいかなと迷った。
「古典を読むと自信が持てる」、「どんな本を読んでいるのかを他人に知られるのは恥ずかしい」という話し聞いて、ふと「パンツ」が浮かんだ。立派なパンツ(どういうのが立派かはわからないが、穴が空いてなく、清潔で、何かの拍子に見られても平気なパンツ)は、自分に安心と自信を与えてくれる。本もパンツも。
知られるのが恥ずかしいは『読書=パンツ論』の核心的な表現。どんな履き方(読み方)かは問題では無く、どんなパンツ(どんな本)なら「この人はこういう人だったのか」と低く値踏みされず、世間的に通りの良い評価になるのかが関心ごと。波風氏にもその傾向あるが、「見せるのが恥ずかしいパンツ(本)」は隠し、見せても恥ずかしくない(いわゆる『見せパン』)は口にする(笑)。それはそうだろう。元教員だし。
この論でいくと、「本を読まない」人はパンツを履かない(いわゆる『ノーパン』)趣味の人(笑)、「いっぱい本を買うけれど読まない」人は使わないパンツ集めが趣味、特定作家を読み続ける人は褌なら褌、ブリーフならブリーフの頑固者。寿命が短くなってきた波風氏が、『命尽きるまで読み続ける作家5人』を柱にした読書三昧もこの類い。
読書交流会『ほんのおつきあい』はさしずめ、パンツの見せあい・履き心地の交流会。この会が続く理由はこの辺にある。自分は履かない、いや履けないパンツの話を聞くのは何とも面白い。
今日は7月最初の波風食堂。Sさんご一家。まず、梅炭酸でお出迎えし、かけうどん、生姜稲荷、卵焼き、デザートに杏仁豆腐(クコの実乗せ)、うさこブレンド珈琲(波風ブレンドの上級版)。娘さんの仕事の話し含め、いっぱい話しができて楽しかった。先日の珈琲教室に感動したとのこと 2弾目の【老人の主張】。おわかりと思うが、偏見と妄想に支配された、ママヨさんの顰蹙かう話題をこのカテゴリーで今後も。裏ブログ『蕎麦でなく「饂飩』もこの傾向。