時間かかって、『13歳 「私」をなくした私』(山本潤著:朝日新聞出版)読み終わる。副題「性暴力と生きることのリアル」。冒頭の「私は、父親からの性的虐待のサバイバーだ。私が13歳のとき、父は私に性加害するようになり、それは母と父が別れるまで7年間続いた。」から最後まで、読むのが辛かった。「サバイバー」とは生存者の意味、性暴力からの生還だけでなく、死にたい状態でも生き続けることと作者。
ジェンダー平等を特集した新聞記事で、見出しの「性暴力にもっと向き合う社会を」と山本さんの輝くような笑顔のギャップに目がとまり、レイプ被害者が女性の13人に1人、男性の67人に1人に驚き、「知るべきことが書いてある」と思い本を買った。
性暴力は『関係性の病』の言葉に立ち止まる。加害者と被害者の関係だけでなく、自分に対する適応、男性中心社会の歴史と制度。読み続けられたのは、筆者の勇気と知性に励まされたからだ。最初の20頁ほど(「はじめに」と「性暴力が始まった」)で読めなくなり、放り出したのをママヨさんが2日で読み「男のあなたが読むべきだ」と言われ、2週間少しづつ修行みたいな感じで読んだ。性暴力が人間を『もの』として扱う犯罪であり、精神性を無慈悲に葬る非人間的な行為という考えに納得。
性問題を越え、人間という生き物の譲れない『精神』というものを考える。幼くても備わっている人間の核。強くねじ曲げられたり折られたなら、意識の問題で時間が解決するなどという自然治癒は極めて難しい。根本的な関係性は変わらないのだから。『サバイバー』として生きる選択に驚嘆する。著者のような過酷な体験とは違っても、生き方の選択は誰もがしなければならない。その場合の根本的な問題を孕んだ一冊だと思う。
「人と接触しないように」と「人と話をしたい」の矛盾入り乱れる今。ケイコさんが遊びに来てくれて、ブログや読書のことなどを話する。楽しかった 筍ご飯を2度いただく今週。「1年に一度は食べたいもの」の春の部トップのメニュー。薄皮とワカメの味噌汁、ホッケの塩焼きでママレード、お団子、筍ご飯、刻んだり丸めたりで「手が疲れ切った一日でした」とママヨさん。