天麩羅と洗濯は
したことがない。これはママヨさんの仕事。天麩羅は『火』で洗濯は『水』、こういうのがもう一つあって『金』。「お金」の管理もしたことがない。この三領域は、波風氏が立ち入ってはならない結界で自慢じゃないが生まれてこのかた無い。波風氏は独り暮らし体験が一度も無いからだが。
テンプラ、センタク、オカネは駄目だけど、便所掃除、ゴミ出し、あっ忘れちゃならない「仕事」(給料もらえるやつ)なんかはやる。清音のは結界内だが濁音のが領分みたいだ。別の分け方では、火と水と金はママヨさんで木(木工)と土(畑)が波風氏。時間を示す月日は入会地(畑もそうだけど波風氏の領域が拡大中)。
結界になった理由は
まず「水は恐ろしいものだから、根性のぬるい奴には使えない」(幸田文著「幸田文しつけ帖」)がある。手早く掃除好きの母親から、そんな拭き掃除があるものかと叱られトラウマになった。天麩羅は親戚母娘のイカ天調理による顔面火傷の衝撃が尾を引いている。紫色の塗り薬が2つ分の顔を被っていた。
「お金」の方は、金は欲しいが金を気にする生活は嫌だからで、給料もらっても自分の稼ぎという実感は無かった。給料袋は貰ったまま渡し中を見たことも無い。ママヨさんが財布を管理しなければ波風家の経済も民主主義(役割分担による対等意識)も成り立たないと思っていた。簡単に言うと、仕事以外の雑事を背負いたくない身勝手さ。波風夫妻は貧乏人の子どもなので、小銭は勘定できても10万円を越えると頭が混乱し計算不能に陥る危険性がある。何とかなってきたのは、「お金は借りない」と「儲かる話に乗らない」をモットーにガマグチの開け閉めをしてきたからだろうなあ、ママヨさんが。開けるのはボク、閉めるのはキミの世界。
貧乏なのは昔も今も
程度の差はあるが変わらない。だが「貧乏くさい」のは絶対に駄目、「貧乏(なので何か)ください」みたいで、自分で自分を嫌いにし周りも迷惑だろう。往年の大女優 小山明子さんの「口座にお金がなくて鬱になりました」(1/16「徹子の部屋」)に、浮世離れしたお金の使い方に驚きつつ、変な野郎の故大島渚氏と同列に置いていたが、お金の苦しみをこんなふうに品よく口にできるのは素敵だ。タモリ氏の「新しい戦前」とこの「お金で鬱になりました」は強く印象に残る。
画像は、「天麩羅」で思い出し久しぶりに開いた『散歩のとき 何か食べたくなって』(池波正太郎著)。30代のころから何度読んでも楽しい名著。「天ぷらを食べるときは空腹でなくてはいけない」の箇所で、「天ぷらの夜は、朝から天ぷら受容体質になっている」と思った(笑) 定期通院の今日、どれも良い数値なので次回の通院日を少し伸ばすと言われて嬉しかった。待合室で読んでいた本(昨日買った)が良かった。このことをずうっと知りたかったんだよ、と声を出しても良いぐらい大学共通テストのその後のことを裏ブログ「波風食堂、準備中です」にこれから書いておくよ。