波風さんはこだわりのある人だ、とか、こだわりが強いなんて言われる。感心してくれる時に言われるから悪い意味ではないだろう。前にこのブログで、『したたか』が肯定的な意味で使われるのに違和感があると書いたことがあった。(※2016.7.5「『したたか』を考える」)『したたか』と同じように、『こだわる』やその名詞形『こだわり』も、言われると首筋あたりが少し熱っぽくなるような気がしてくる。辞書(画像参照)の意味では④なんだろうが。ママヨさんが言う時には、ほぼ、②や③の意味だ(笑)。
別の辞書(新明解国語辞典)ではこうだ。①他人から見ればどうでもいい(きっぱり忘れるべきだ)と考えられることにとらわれて気にし続ける。②他人はどう評価しようが、その人にとっては意義のあることだと考え、その物事に深い思い入れをする。「カボチャにこだわり続けた画家」。「材料(鮮度・品質・本物の味に)-」[②はごく新しい用法]
当然、肯定的な②の意味で使っているのだろう。「ごく新しい用法」とあるから老人の波風氏は馴染めないし、ママヨさんも旧来の意味でしか使えないはず。それにしても、相反する意味を持つような言葉の変化に驚く。この言葉を肯定的に、否定的に使うかで年齢がわかるはずだと、『やばい』を強調の意味で使わない、いや使えない波風氏は思うのであった。
では、『こだわる』の持つ肯定感を、波風氏がどんな言葉で表現するかというと、『センス』という言葉だろう。「①物事の微妙な感じ(よさ)を知る心の働き。『―抜群のデザイン/都会的な―が光る』②普通の人なら当然持っているはずの感覚。常識。『―の無い人』」(新明解)。「物事の微妙な感じをさとる働き・能力。感覚。『―のいい服/ユーモアの―がある』②思慮・分別」(広辞苑)。これなら迷わないで済む。
こんなのを書いているから、「めんどくさい奴」って、ママヨさんから言われるんだろう。だって、だって、気になるんだもん。皆さんはどうかなあ?「絶対は否定の副詞」だと信じていたら(この言葉そのままの合唱曲だってある!)、そうとは言えないのが現在は定説 公式裏ブログ「校長先生の話はなぜ長い」の文末の質問の回答=最初のは、オシッコをする人がいるから。次のは、早くその場を立ち去りたい心と動くと危険だという心の葛藤が「とりあえずオシッコをして落ちつきたい」という身体的反応を呼び起こすから。