講談社文庫で、宮城谷昌光『孟嘗君』を再び読み始めた。今日、第三巻を読了。このWEBLOGによれば、ちょうど1年前の4月に、第2巻の記事を投稿(*)し第3巻について書こうとしたら、サーバがこみ合って記事が消失したことがわかる。最近はゴールデンタイムを避けているので、記事の消失という事態は経験していない。これはシステムの強化あるいは表示の工夫などが効果をあげているためもあるのだろう。
「決闘の時」では、捕えられた妻・翡媛(ひえん)を救うべく、単身で花館に乗り込む養父の白圭を田文は尊敬する。花館においてクーデターを計画していたのは、趙を頼る公子緩を中心とする公孫頎と政商・恢蛍らの一味だった。孫子をかくまいぬいた白圭らは、恢蛍を討ち果たすため、国境へ向かう。
「東方の風」の章では、斉召と厳建、白圭、そして鄭両らが斉巨の仇である恢蛍を討ち果たす。斉に戻ることができない翡媛は、孫子の助言に従い翠媛(すいえん)と名を変え、田忌将軍のもとに身を寄せる。白圭が戻れば斉の貴族・田嬰の実子である田文と翠媛との別れが近づく。
「斉の軍師」の章では、孫子がいかにして斉王の信頼を得て軍師となるかを描く。競馬で王の駿馬に勝つ方策を献じた孫子は、田忌により王に推挙され、魏に攻められた趙を助けるために、田忌将軍に従い出発するが、その背後には宰相・鄒忌の悪意があった。
「桂陵の戦い」では、孫子の兵略により、田忌の率いる斉軍が四万の魏軍を打ち破る。田文は生母・青欄に会うが、実父・田嬰は鄒忌の悪意により壊滅の危機にあった盟友の田忌を救うため外交交渉にあたる。
「再会」の章では、田文が夏侯章らの友人を得て成長するが、田嬰を仇と誤信する隻信の娘として育った蘭と運命的に出会う。田嬰の毒殺は未然に防いだものの、田嬰は文が実の子であることを知る。田文の優れた資質を田嬰家の人々は知るようになるが、田文は暖かい家庭を知らず、白圭と翠媛を思いながら孤独な生活を送る。
「馬陵の戦い」の章では、秦に唆された韓が魏を攻める。孫子に師事し孫子の真価を知るがゆえに、他国に奪われるより孫子を殺そうとした龐涓(ほうけん)は、将軍として出撃し、韓軍を撃破する。斉の威王は韓を助けると決意し、孫子を陰の元帥とし、田忌・田肦の二将軍を急派する。これが多くの説客を率いた田文の初陣であった。孫子の兵略は冴え、龐涓(ほうけん)はハリネズミのように多くの矢を受けて死ぬ。
この巻から、白圭が次第に後景に退き、田文が主人公として登場してきます。このあたりの自然な展開が実にうまい。
ところで、田嬰がなぜ実子・田文を赤ん坊のうちに殺すことを命じたのか。それは五月五日生まれの子どもは不吉だからだというのですが、ではどうして日本では五月五日が子どもの日なんでしょうね。ちょっと理解できません。
(*):宮城谷昌光『孟嘗君』第2巻を読む
「決闘の時」では、捕えられた妻・翡媛(ひえん)を救うべく、単身で花館に乗り込む養父の白圭を田文は尊敬する。花館においてクーデターを計画していたのは、趙を頼る公子緩を中心とする公孫頎と政商・恢蛍らの一味だった。孫子をかくまいぬいた白圭らは、恢蛍を討ち果たすため、国境へ向かう。
「東方の風」の章では、斉召と厳建、白圭、そして鄭両らが斉巨の仇である恢蛍を討ち果たす。斉に戻ることができない翡媛は、孫子の助言に従い翠媛(すいえん)と名を変え、田忌将軍のもとに身を寄せる。白圭が戻れば斉の貴族・田嬰の実子である田文と翠媛との別れが近づく。
「斉の軍師」の章では、孫子がいかにして斉王の信頼を得て軍師となるかを描く。競馬で王の駿馬に勝つ方策を献じた孫子は、田忌により王に推挙され、魏に攻められた趙を助けるために、田忌将軍に従い出発するが、その背後には宰相・鄒忌の悪意があった。
「桂陵の戦い」では、孫子の兵略により、田忌の率いる斉軍が四万の魏軍を打ち破る。田文は生母・青欄に会うが、実父・田嬰は鄒忌の悪意により壊滅の危機にあった盟友の田忌を救うため外交交渉にあたる。
「再会」の章では、田文が夏侯章らの友人を得て成長するが、田嬰を仇と誤信する隻信の娘として育った蘭と運命的に出会う。田嬰の毒殺は未然に防いだものの、田嬰は文が実の子であることを知る。田文の優れた資質を田嬰家の人々は知るようになるが、田文は暖かい家庭を知らず、白圭と翠媛を思いながら孤独な生活を送る。
「馬陵の戦い」の章では、秦に唆された韓が魏を攻める。孫子に師事し孫子の真価を知るがゆえに、他国に奪われるより孫子を殺そうとした龐涓(ほうけん)は、将軍として出撃し、韓軍を撃破する。斉の威王は韓を助けると決意し、孫子を陰の元帥とし、田忌・田肦の二将軍を急派する。これが多くの説客を率いた田文の初陣であった。孫子の兵略は冴え、龐涓(ほうけん)はハリネズミのように多くの矢を受けて死ぬ。
この巻から、白圭が次第に後景に退き、田文が主人公として登場してきます。このあたりの自然な展開が実にうまい。
ところで、田嬰がなぜ実子・田文を赤ん坊のうちに殺すことを命じたのか。それは五月五日生まれの子どもは不吉だからだというのですが、ではどうして日本では五月五日が子どもの日なんでしょうね。ちょっと理解できません。
(*):宮城谷昌光『孟嘗君』第2巻を読む