goo blog サービス終了のお知らせ 

電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

パストラーレ室内合奏団でベートーヴェン「七重奏曲」を聞く

2006年10月04日 22時37分09秒 | -室内楽
今日は、山形県文翔館議場ホールにて、パストラーレ室内合奏団の演奏会に行きました。開場前に到着してしまい、噴水のある広場で待機。ベンチにはすでに数組のカップルが語らい、高校生のお嬢さんが携帯電話をいじっています。夜気は涼しく、18度くらいでしょうか、風はないので上着を着てちょうどよいくらいです。
18時30分に開場、年代は若い人から年配まで幅広く、勤め先から直行したサラリーマンもいれば白髪の老夫婦もいらっしゃるという具合で、やや女性が多いようです。

パストラーレ室内合奏団は、山形交響楽団の奏者を中心とする、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、クラリネット、ファゴット、そしてホルンの七名からなっています。プログラムは

(1)W.A.モーツァルト、ファゴットとチェロのためのソナタ、変ロ長調、KV.292
(2)M.ハイドン、ヴィオラとチェロとコントラバスのためのディヴェルティメント
(3)ニールセン、甲斐なきセレナーデ
(4)L.V.ベートーヴェン、七重奏曲、変ホ長調、Op.20

今日のお目当ては、もちろんベートーヴェンの七重奏曲ですが、聞いたこともないニールセンの曲も、ちょっと興味があります。

さて、演奏会の開始はプログラムにないバルトークのルーマニア舞曲から。板垣ゆきえさんが進行役をつとめ、ヴァイオリンの中島光之さんが挨拶をします。そして最初の曲目がモーツァルト。ファゴットとチェロの音楽ですが、ファゴットという楽器の音色がこんなに魅力的なものだとは知りませんでした。フルートを吹いていた小学生のときに、ストラヴィンスキーの「春の祭典」のファゴットの出だしを聞いて、ファゴットという楽器を志したという高橋あけみさん、とても素敵な山響の女性ファゴット奏者です。センシティヴで情熱的でよく歌う山響の若いチェリスト・渡邊研多郎さん、通奏低音に終わらず、ファゴットとメロディを交代して、19歳のモーツァルトのメロディを奏でます。

続いてミヒャエル・ハイドンの面白い編成のディヴェルティメントです。山響のヴィオラ奏者・田中知子さんのまじめな演奏ぶりと対照的な真っ赤な衣装がおちゃめでした。それともう一つ、山響コントラバス奏者の柳澤智之さんのニックネームが「ポチ」というのだということを初めて知りました(^_^)/

次にニールセンの「甲斐なきセレナーデ」。面白い曲です。第一次世界大戦の前後、恋しい人の窓辺で、この編成でこの響きでセレナーデを演奏したら、私のような中年が「おっ、いいなぁ」などと顔を出すでしょうが、若い娘さんは顔は出さないかも。確かに「甲斐なきセレナーデ」ですね。

10分の休憩のあと、ベートーヴェンの七重奏曲。大好きな曲の一つで、以前にも記事を書いていますが、実際の演奏を見るのは初めてです。唯一山響団員ではないクラリネットの渡辺純子さんの音色のきれいなこと。山響ホルン奏者・八木健史さんの、思い切りのいいリズム。いやぁ、良かった!第五楽章のチェロの伸びやかで朗々たる歌に、あらためてこの曲の魅力を再確認しました。

弦と管との室内楽というのは、なかなか実演で聞く機会はそう多くありません。地元にオーケストラがあると、こういう機会も生まれるのですね。ありがたいことです。パストラーレ室内合奏団の意欲的な活動に敬意を表するとともに、やはりオーケストラは地域の文化的な財産だと痛感します。

次回はぜひシューベルトの「八重奏曲」を聞いてみたいものです。
コメント (2)

葬儀と初七日と四十九日~儀礼と本質

2006年10月04日 21時49分53秒 | Weblog
先日、親戚の法事があり、出席してきました。8月に葬儀が行われ、ちょうど四十九日にあたります。今回は、長老たちも出席しないため、若い喪主をカバーして運営しなければなりません。葬儀関係を取り仕切る立場になってはじめて、儀礼ではない葬儀の本質ということを考えました。

まず、逝去した故人の死亡診断書を持って、市役所に死亡届を出しに行く必要があります。すると、市役所では火葬と埋葬の許可証を出します。仏式の場合、住職と日程調整を行い、葬儀屋等にも連絡し、入棺・火葬・告別式・初七日・四十九日等のスケジュールを決め、弔問客に見える位置に掲示します。

火葬の日には、住職の読経と近親者等の焼香の後、火葬許可証を忘れずに持ち、斎場に行きます。遺骨は、頭蓋骨と歯とその他と分けて収集し、白木の箱に入れて持ち帰ります。歯は別の小さな専用の容器に入れます。

この遺骨と遺影に、戒名を書いた位牌を飾って、故人と生前ゆかりのあった人たちが行う別れの儀式が告別式。家族が自宅で戒律を守り、静かに暮らす期間が忌引として認められます。この期間の終わりが初七日です。

当地では、四十九日と百ヶ日法要を兼ねて営むことが多いのですが、この眼目は、墓に遺骨を納めること。集まった親族等が少しずつ遺骨を墓に納め、線香を供えて祈ります。終了後、参会者が食事を共にしますが、このとき喪主が参会者に謝意を表します。

なぜ葬儀で香をたき、焼香するのか。それはたぶん、ドライアイスなどがなかった昔は遺体の損傷が早く、死臭がただようのも早かったためでしょう。香は嗅覚を麻痺させて不快感を抑制し、故人への尊敬や愛情の確認を保障したのでしょうか。

こういう筋立てが理解できるようになってはじめて、儀礼と本質が見えてきます。嘆き悲しむ家族は、こういう気持ちのゆとりはもてません。親族や近所の人たちが、冷静に判断しながら葬儀等を取り仕切ります。無償ボランティアは、結局お互い様なのです。
コメント (2)