電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

アーネスト・サトウが聞いたクララ・シューマン

2006年10月19日 20時27分42秒 | クラシック音楽
1988年11月22日付けの朝日新聞には、幕末から明治の日英のキーマンの一人であった、アーネスト・サトウの日記抄をもとにした、萩原延寿「遠い崖~サトウ日記抄」第1579回が掲載されていました。この記事の内容に興味を持ち、なぜかこの回だけをスクラップしています。

これによれば、明治9年(1876年)、サトウは休暇を得てイギリスに滞在し、音楽会に頻繁に顔を出しています。

3月18日、クリスタル・パレスの音楽会。モーツァルト「フィガロの結婚」序曲、ヨアヒムのヴァイオリン協奏曲「ハンガリー風」、シューベルトの未完成交響曲、シュポーアのヴァイオリン協奏曲第9番アダージョなど。
3月23日、フィルハーモニック・コンサート。メンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」序曲、ウェーバー「オイリュアンテ」序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、シューマンの交響曲第2番、ショパンのノクターン嬰へ短調など。ピアノ演奏はシューマン夫人。
3月24日、セント・アン教会でバッハの「ヨハネ受難曲」
3月25日、土曜のポピュラーコンサート。シュポーアの弦楽五重奏曲、シューマン「クライスレリアーナ」2番・4番・5番・8番、シューマンのピアノ五重奏曲など。ピアノ演奏はシューマン夫人。
3月31日、エクセター・ホール。ハイドンのオラトリオ「天地創造」
4月1日、クリスタル・パレスの音楽会。モーツァルト「魔笛」序曲、ヨーゼフ・ヨアヒム・ラフのチェロ協奏曲、メンデルスゾーンの交響曲「スコットランド」、モーツァルト「フィガロの結婚」のアリア「恋の悩みを知る者は」など。

ほとんど音楽の飢餓状態のようですね。無理もない。日本では、生麦事件や薩英戦争に遭遇し、明治維新の動乱に立会い、通訳としてサムライとわたりあったのですから。しばらくぶりの休暇に、好きな音楽に浸っている気持ちがよくわかります。

この頃、クララ・シューマンは57歳、夫シューマンが亡くなり20年の歳月が過ぎていました。ブラームスは43歳、交響曲第1番を書いている真最中です。クララ・シューマンが、ハイティーンの娘たちを育てながら、夫の作品を精力的に演奏旅行して回っていたことが窺われる記録でもあります。

なんだか、教科書の歴史にはない、なまなましさが感じられます。
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