ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』物語、子どもの頃は漂着した無人島での生活を作り上げる様子が好きでした。
まず、住居の建設です。はじめは多くの物資を積み上げ、雨風をしのぐだけの帆布テント生活でしたが、海の見える台地の一角に住居を定めます。半円形に柵をめぐらし、後ろの岩山の自然のへこみを掘り進み、倉庫にします。地震や落石があったり、いろいろなことが起こりますが、ところでこの台地の広さはどのくらいなのだろう?
本文中から記載を探すと、実は幅が100ヤード、奥行きがおよそその倍の200ヤード、ということがわかります。1ヤード=3フィート、1フィート=1尺(30cm)ですから、1ヤードとは3尺つまり半間ということになります。すると、この台地は、100ヤード(50間)×200ヤード(100間)=100坪、ということに。実は、ロビンソン・クルーソーの家は、100坪ほどの土地に家を作り、半円形の柵を作ったものなのですね。なんだか、親しみがもてるというか、一人の人間の力で維持管理が可能な、ちょうどよい広さなのかもしれない、という気がします。
小学生の頃、夏休みに河原で遊んだ経験によると、隠れ家は、柱はなんとかなっても板なしでは壁が作れません。その点、雨風をしのぐために、ロビンソン・クルーソーは帆布を用いて二重テントを張っています。
私の単身赴任時代には、食事にしろ読書にしろ、生活の中心になったのはテーブルと椅子でした。その点で、椅子とテーブルが楽しみの元だ、というロビンソン・クルーソー氏の見解には賛成です。彼はだいぶ苦労して板を作り、椅子とテーブルを作っていますが、あれほどなんでも船から運んだのに、椅子とテーブルを運ばなかったのでしょうか。大洋を航海する帆船の揺れを考えると、テーブルは備え付けでしょうが、椅子は備え付けでないものもあったのではないか。ちょいと疑問な点です。
食料を得る手段として、銃による狩猟ができたことが、ロビンソン・クルーソーの幸運でしたし、後には山羊も飼育しています。偶然にも麦の芽生えを見つけたときの宗教的な感動は、狩猟民族が農耕に感じた神秘性をそのまま表したかのようですし、インクと紙の貴重さを述べた部分は、煤をワインにとかして巻物に著述したファリャ神父(*)とはだいぶ違います。
物語の前半の時系列的なあらすじは省略しますが、ロビンソンの生活建設はあくまで前向きです。そして、ときおり挿入される宗教的な対話が、彼の孤独を救っているようです。
(*):デュマ『モンテ・クリスト伯』に登場する、エドモン・ダンテスが土牢内で知り合った、第二の父とも言える大学者。
まず、住居の建設です。はじめは多くの物資を積み上げ、雨風をしのぐだけの帆布テント生活でしたが、海の見える台地の一角に住居を定めます。半円形に柵をめぐらし、後ろの岩山の自然のへこみを掘り進み、倉庫にします。地震や落石があったり、いろいろなことが起こりますが、ところでこの台地の広さはどのくらいなのだろう?
本文中から記載を探すと、実は幅が100ヤード、奥行きがおよそその倍の200ヤード、ということがわかります。1ヤード=3フィート、1フィート=1尺(30cm)ですから、1ヤードとは3尺つまり半間ということになります。すると、この台地は、100ヤード(50間)×200ヤード(100間)=100坪、ということに。実は、ロビンソン・クルーソーの家は、100坪ほどの土地に家を作り、半円形の柵を作ったものなのですね。なんだか、親しみがもてるというか、一人の人間の力で維持管理が可能な、ちょうどよい広さなのかもしれない、という気がします。
小学生の頃、夏休みに河原で遊んだ経験によると、隠れ家は、柱はなんとかなっても板なしでは壁が作れません。その点、雨風をしのぐために、ロビンソン・クルーソーは帆布を用いて二重テントを張っています。
私の単身赴任時代には、食事にしろ読書にしろ、生活の中心になったのはテーブルと椅子でした。その点で、椅子とテーブルが楽しみの元だ、というロビンソン・クルーソー氏の見解には賛成です。彼はだいぶ苦労して板を作り、椅子とテーブルを作っていますが、あれほどなんでも船から運んだのに、椅子とテーブルを運ばなかったのでしょうか。大洋を航海する帆船の揺れを考えると、テーブルは備え付けでしょうが、椅子は備え付けでないものもあったのではないか。ちょいと疑問な点です。
食料を得る手段として、銃による狩猟ができたことが、ロビンソン・クルーソーの幸運でしたし、後には山羊も飼育しています。偶然にも麦の芽生えを見つけたときの宗教的な感動は、狩猟民族が農耕に感じた神秘性をそのまま表したかのようですし、インクと紙の貴重さを述べた部分は、煤をワインにとかして巻物に著述したファリャ神父(*)とはだいぶ違います。
物語の前半の時系列的なあらすじは省略しますが、ロビンソンの生活建設はあくまで前向きです。そして、ときおり挿入される宗教的な対話が、彼の孤独を救っているようです。
(*):デュマ『モンテ・クリスト伯』に登場する、エドモン・ダンテスが土牢内で知り合った、第二の父とも言える大学者。