電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

日本人のノーベル賞受賞者の生年から色々なことを考える

2010年10月09日 06時04分33秒 | 手帳文具書斎
今年、2010年のノーベル化学賞は、鈴木章氏と根岸英一氏に決定したとのことです。またまた化学賞で、日本の化学研究の厚みを感じます。
もう一つ、お二人の生年が1930年と1935年ということで、ふと体系的な化学に接したのは戦後なのだな、と考えました。まてよ、これまでの日本人受賞者の修行時代、体系的な学問に接した時代はいつなのだろうと疑問に思い、Wikipedia で調べてみました。考え方としては、生年に15~25年を足せば、高校から大学院、すなわち体系的な学問に接した年代とみなすことができるだろうとしました。この期間に、その学問を志すことがなければ、後のノーベル賞はなかっただろう、という見通しです。便宜上、15を加えた年齢から受賞までの期間を表示してみることとします。(南部洋一郎氏は、現在は米国籍ですが、志を立てたのは日本ででしょうから、この中に加えています。)



その結果、圧倒的に多いのが戦後~1960年代に青春時代、学生時代をおくった人たちです。なるほど、戦前・戦中の暗い時代を乗り越えた斯界の泰斗たちが実際に教科書を執筆し、混乱の中でも科学技術と若者に国や将来の希望を託していた時代です。若者は湯川秀樹氏や「鉄腕アトム」のお茶の水博士のような科学者に憧れ、科学者の声明や行動が社会的に注目され、尊敬を受け、一定の影響力を持っていた時代だったのでしょう。

現代のように、お金を握っている人が実際の力を持ち、学問や専門家としての力はさほど尊敬を受けないという状況では、科学者は若者の憧れの対象にはなりにくいのかもしれません。例の事業仕分けの映像は、力関係を見事に表しています。科学者たちは、仕分けされるほうの存在だったわけです。

「水を飲むときは、井戸を掘った人を思え」という言葉がありますが、例えば自分が飲んでいる薬が、鈴木氏らによるクロス・カップリング反応によって作られていても、そのことを知る機会は少ないでしょう。ノーベル賞のような形で顕彰されることで、「井戸を掘った」人たちに感謝する機会となりますので、その意味でも意義深いことだと思います。
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