電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

河野義行『松本サリン事件~虚報、えん罪はいかに作られるか』を読む

2010年10月29日 06時07分17秒 | -ノンフィクション
1994年の松本サリン事件のとき、子どもはまだ小学生でした。テレビのニュースなど、当初の報道からは、なにか不思議な事件が起こったという印象を受けたことを記憶しています。ところが、第一通報者の自宅から青酸カリが発見されたというニュースあたりから、被害者であるはずの第一通報者(河野義行さん)が怪しいという報道がエスカレートしていきました。私も、自宅に青酸カリを保管するなんて、なんだか変な人だな、というのが第一印象でした。ところが、原因物質がサリンという神経ガスであることが判明したあたりから、第一通報者が犯人ではないだろうと思うようになりました。理由は単純で、化学屋の端くれである私もサリンなどという物質を合成することはできないから、第一通報者の会社員の人も、設備のない押入れや納屋で化学合成などできるはずがない、というものでした。その頃、小学校の保護者会か何かで、第一通報者の人は犯人なのでしょうかと話題になり、私は「違うと思います」と答えた記憶があります。後で、子どもの卒業謝恩会のときに、担任の先生から、「違うっておっしゃってましたね~」と、独自の判断を評価されたものでした。

しかし、それにしても、なぜ被害者であるはずの第一通報者が容疑者扱いされたのか。その真相はいったいどうだったのか。このことが、ずっと引っかかっておりました。たまたま、図書館で河野義行著『松本サリン事件~虚報、えん罪はいかに作られるか』(近代文芸社)を見つけ、借りてきて読みました。うーむ。わずかに131頁の小著ですけれど、この体験は重い。

第1章 松本サリン事件に巻き込まれて
第2章 犯人扱いのマスコミ報道で、嫌がらせ電話が殺到
第3章 松本サリン事件の犯人に
第4章 吹き飛んだ警察への信頼
第5章 逮捕にそなえて
第6章 松本サリン事件が教えること

いやはや、思わずため息が出るような経過です。真犯人を探すのではなく、容疑者を作り出すような捜査。怪しげな警察のリークに基づくらしい、予断と偏見に満ちた報道。翌年の一月に地下鉄サリン事件が発生し、河野さんが犯人ではありえないことがはっきりしますが、警察もマスコミも、謝罪しようとはしません。そんな中で、わすかに野中広務国家公安委員長(当時)が、率直に

「捜査内容には、口を挟む立場にないが、人間として、一政治家として、心情はよく理解できる。わたしとしても、断腸の思いだ。心からお詫び申し上げたい」(p.126)

と謝罪したことが、社会的な転機になっていったあたりに、ようやくほっとします。

先年、たしか奥様も亡くなられたのではなかったかと思います。多くの人々の人生を大きく狂わせた松本サリン事件は憎むべき犯罪です。さらに加えて、無実の被害者を犯人扱いするような捜査の恐ろしさ、たぶん正義感から発するのだろうけれど判断の根拠が怪しい報道や、過熱する競争により情報が操作されたときの世論のダイナミズムの怖さを感じます。
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