電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

犬が人を咬んでもニュースにならないが

2013年11月08日 06時00分34秒 | ブログ運営
「犬が人を咬んでもニュースにはならないが、人が犬を咬めばニュースになる」という言葉があります。初めてこの言葉を聞いたときは、思わず笑ってしまいましたが、時が経つほどに、しだいに考えさせられました。変わったこと、普通でないことを追い求める報道の特性というか、本質を突いたものなのではないかと感じられたからです。

報道の性格と同様に、放送番組や新聞・雑誌の記事などでも、ありふれたことはあまり取り上げられず、新奇なものがもてはやされます。新聞の生活らんにいくらでもあるではないかと言われそうですが、どうも取り上げ方の背後にメーカーの新製品の販売促進キャンペーンが透けて見えるような気がして、やはり報道の特性と同様な傾向を感じてしまいます。

世の中の大多数は、ありふれた日常をおくっているわけですから、最も共感を呼ぶのは、実はごくありふれた日常を切り取ったものなのではなかろうか。そういう目で見たとき、普通の淡々とした日常とそれを構成している様々な事物、すなわち普段の暮らしの報道や情報は、意外に少ないのではないかと思います。

最近でこそだいぶ落ち着いてきましたが、数年前までのブログの流行には、実はこういう背景があったのではなかろうか。普通の人たちが他人を意識し、自分の日常の生活や考え方、感じ方を発表することにおもしろさを感じ始めたのがブログの流行であり、負担の少ない短い文字数で発表することが好まれてツイッターが流行し、匿名性の弊害を嫌ってフェイスブックが流行する、ということなのでしょう。世の中の多くの他人様も、多少毛色は違っているけれど、本質的には自分とさほどかわりばえしない日常を送っていると感じてしまうようになったときに、書くことに飽きが来て負担になり始めるのでしょうか。



ブログを通じて、プロの演奏家の日常生活や感じ方・考え方を知るにつれて、多様な音楽表現を一直線に並べて優劣をつけたりするような発想は、きれいさっぱりと消えてしまいました。ブログ以前にもその傾向はあったのですが、音楽表現の多様性こそが大切なのだ、という考えを明確に意識するようになったのは、このブログを運営するようになってからのことです。「人が犬を咬む」ような演奏の事件性・一回性などは、必ずしも必須ではない。一定の水準を維持しつつ着実に回数を重ねる継続性・日常性に、むしろ価値があると思います。

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