週末に、山形市の霞城公園を散歩して来ました。銀杏の樹はまだまだ緑色です。広葉樹も一部に黄色い葉がちらほら見える程度で、紅葉にはまだ早いようです。でも、気温は暑くもなく寒くもなくちょうど良いくらいです。

山形市郷土館「済生館」が移築後の周年記念展をやっていました。県立博物館も、プライム企画展ということで、「寶幢寺至宝展~よみがえる古の大寺院」を開催中(*1)でした。

出羽国寶幢寺(ほうどうじ)というのは、まだWikipediaにも記述がないようですが、明治の廃仏毀釈で廃寺になってしまった、中世から近世にかけての山形の真言宗の大寺院だったそうで、最後の住職であった佐伯菅雄資料と共に、ご遺族から寄贈された旧蔵の宝物と同時代資料を集めたもののようです。学芸員の説明を脇で聞きながら拝見して来ましたが、なかなか見応えのある展示となっていました。
一部の展示替えを予定しているそうで、10月18日からはかつての寶幢寺の仏像も展示されるそうです。

最上義光の時代には石高1300石を越えたという寶幢寺があった場所は、現在のもみじ公園のところだそうで、護国神社の近くにある薬師堂はもとの寶幢寺の建物を移築したのだとか。かつての大伽藍を惜しみ、あちこちに寺宝を移して可能な限り残そうとしたのではないかと想像しています。堺市博物館に所蔵された「南蛮屏風」(*2)も、寶幢寺旧蔵品だそうで、おそらくは廃寺にともなって流出してしまったものなのでしょう。末寺も多く、寺侍もいたでしょうから、今で言えば大企業の廃業のようなもので、再就職先や退職金のような形で、処分し分配せざるをえなかった事情があったのではないかと思われます。
(*1):寶幢寺至宝展~山形県立博物館
(*2):堺市博物館館蔵品紹介拡大画像~ページをスクロールした中ほどにある「南蛮屏風」がそれ

山形市郷土館「済生館」が移築後の周年記念展をやっていました。県立博物館も、プライム企画展ということで、「寶幢寺至宝展~よみがえる古の大寺院」を開催中(*1)でした。

出羽国寶幢寺(ほうどうじ)というのは、まだWikipediaにも記述がないようですが、明治の廃仏毀釈で廃寺になってしまった、中世から近世にかけての山形の真言宗の大寺院だったそうで、最後の住職であった佐伯菅雄資料と共に、ご遺族から寄贈された旧蔵の宝物と同時代資料を集めたもののようです。学芸員の説明を脇で聞きながら拝見して来ましたが、なかなか見応えのある展示となっていました。
一部の展示替えを予定しているそうで、10月18日からはかつての寶幢寺の仏像も展示されるそうです。

最上義光の時代には石高1300石を越えたという寶幢寺があった場所は、現在のもみじ公園のところだそうで、護国神社の近くにある薬師堂はもとの寶幢寺の建物を移築したのだとか。かつての大伽藍を惜しみ、あちこちに寺宝を移して可能な限り残そうとしたのではないかと想像しています。堺市博物館に所蔵された「南蛮屏風」(*2)も、寶幢寺旧蔵品だそうで、おそらくは廃寺にともなって流出してしまったものなのでしょう。末寺も多く、寺侍もいたでしょうから、今で言えば大企業の廃業のようなもので、再就職先や退職金のような形で、処分し分配せざるをえなかった事情があったのではないかと思われます。
(*1):寶幢寺至宝展~山形県立博物館
(*2):堺市博物館館蔵品紹介拡大画像~ページをスクロールした中ほどにある「南蛮屏風」がそれ