ポプラ新書の2021年10月新刊で、増田ユリヤ著『世界を救うmRNAワクチンの開発者カタリン・カリコ』を読みました。現在、国内では小康状態を保っているけれど、国外ではまだまだ流行が再燃中と聞く新型コロナウィルス感染症で、重症化を防ぐ頼みの綱となっている mRNA ワクチン開発者の小伝およびインタビュー本です。
本書の構成は次のとおり。
第1章では、ハンガリーの田舎で精肉店の娘として生まれたカタリン・カリコ氏が、解体した豚の内臓や故郷の野山の動植物、自然に関心を持ち、良き指導者を得て才能を育てていく過程が描かれます。とりわけ、小学校6年生で生物学専門の高校教師アルベルト・トート博士に出会ったことが大きな影響を受けたようで、トート先生の勤める高校に進学し、生物学研究サークルに所属して活動します。この中で、ストレス学説の提唱者ハンス・セリエ博士や、ビタミンCを発見しノーベル賞を受賞したセント・ジュルジ・アルベルト博士(*1)に手紙を書き、文通の中で著書を贈られるなどの交流をしています。若い高校生たちは、世界的な科学者に大きな励ましを得たことでしょう。高校卒業後は大学に進学し、理学部生物学専攻の仲間と共に研究に没頭し、生体防御医学を目標に RNA 研究を開始します。当時の社会主義体制下のハンガリー社会の状況もコンパクトに解説され、理解を助けます。
第2章は、ハンガリー経済の悪化から研究費を打ち切られ、研究を続けられるポストを得ようと試みる中で唯一オファーがあったのが米国フィラデルフィアのテンプル大学のポスドクだったところから始まります。エンジニアの夫とまだ幼い娘と共に、日本円にして約20万円を持って渡米します。米国でも身分は安定せず、好条件のポストへの移籍も上司の嫉妬で妨害されたり、成果が認められずに降格されたりしますが、1997年、免疫学者のドリュー・ワイズマン博士との共同研究が始まるところから研究は大きな進展を見せていきます。
第3章は、mRNA が導入された細胞が炎症反応を起こしてしまうという隘路を克服するアイデアが形になるところから始まります。そのきっかけは、mRNA では不可避であった炎症反応が、tRNA では生じないこと。注目した mRNA と tRNA の違いが、成分の塩基ウリジンの化学構造でした。すなわち、tRNA ではウリジンの構造の一部が化学修飾されており、これが炎症反応を避けるカギだったのです。ところが、この成果も研究者以外には理解してもらえない。ハンガリー訛りの英語もあって大学に冷遇され、上級研究員から非常勤に降格されることとなりますが、2013年にがん治療を目指すドイツのベンチャー製薬企業ビオンテックに上級副社長として招かれることになります。つまり、mRNA の医学への応用のねらいはがんの治療法などの技術開発だったわけで、mRNAに関する基礎研究が「たまたま」新型コロナウィルス対策のワクチンとして形になった、ということなのでしょう。
◯
たいへんタイムリーで興味深い本です。専門的なレベルはあまり深くはなく、むしろ分子生物学や免疫学などには縁遠い一般の読者を想定して書かれているようで、スムーズに読むことができました。mRNA の医学への応用はまだ始まったばかりで、むしろ今後の展開が興味深いと感じました。
もう一つ、子供時代に動植物や自然に触れた経験や、学問に志す高校生〜大学生時代の自然科学に関する授業外(課外)活動の経験が、科学者の成長の大切な基盤となっていることをあらためて確認したところです。また、研究者の環境の悪化が頭脳流出を招くことも全く同様で、最近は米国だけでなく中国への流出が増加していることなども報道されており、なんだかなあとため息です。
そういえば、大学時代の恩師がもらした言葉で、こんな内容のものがありました。「大学に残って研究者を目指す人は、地方の高校を出た学生に多い。都会の出身の男子学生は、経済的成功へのプレッシャーが強いのか、お金にならない研究者などは目指さないように感じる。これからは女性が研究者の主役になっていくのかもしれない。」50年前の学生にそういう感想を持っていた恩師は、短期間に成果を出さないと生き残れない現在の日本の大学等研究機関の様子を見て、はたしてどう思うのでしょうか。
(*1): 私の若い時代は、アルバート・セント・ジェルジ博士と呼んでいたように記憶していますが、ハンガリー語に近い読み方なのでしょうか。
本書の構成は次のとおり。
第1章 科学者を知らなかったハンガリーの少女が研究に目覚めるまで
カタリン・カリコ氏を育んだ母国ハンガリーの自然
◆カリコ氏をめぐる人々①
・多大な影響を与えたふたりの科学者
・ビタミンCを発見しノーベル生理学・医学賞を受賞したセント・ジュルジ・アルベルト
◆カリコ氏をめぐる人々②
・カリコ氏の恩師 アルベルト・トート先生に訊く
・ハンガリートップレベルのセゲド大学理学部へ進学
・学問の世界にも社会主義政権の影 研究に没頭し、仲間との時間を大切に過ごした大学時代
・セゲド生物学研究所での最先端の研究とは
・RNAの研究に着手
・社会主義体制下でこその悲劇
◆カリコ氏が生きた激動の時代を知るために
・ハンガリー事件とは何だったのか
・第二次世界大戦からハンガリー事件前夜まで
・民主化を求めたハンガリー市民たち
第2章 娘のテディベアにお金をしのばせて渡米
40年に及ぶ挫折続きのRNA研究
・研究費の打ち切り、新天地アメリカへ
・娘のテディベアにお金をしのばせて渡米
・研究者としてゼロからのスタート
・mRNAの研究で新しいタンパク質の生成に成功
・逆境に立ち向かい続けた研究者としての信念
・共同研究者ワイズマン氏との運命的な出会い
◆カリコ氏をめぐる人々③
・アメリカでの研究生活を支えてくれた娘のスーザン
・忍耐強く、好きなことをやり遂げるためには何事も諦めない母
・これまでの研究成果がいよいよ花開く
第3章 mRNA研究の画期的な発見 新型コロナワクチンの開発へ
・ようやくmRNAが引き起こす炎症反応を克服
・ビオンテックでmRNAワクチンの実現化へ
・新型コロナウイルスの世界的流行が起きて
・mRNAワクチンとは ワクチンの有効性、安全性
スペシャルインタビュー 山中伸弥教授に訊く
第1章では、ハンガリーの田舎で精肉店の娘として生まれたカタリン・カリコ氏が、解体した豚の内臓や故郷の野山の動植物、自然に関心を持ち、良き指導者を得て才能を育てていく過程が描かれます。とりわけ、小学校6年生で生物学専門の高校教師アルベルト・トート博士に出会ったことが大きな影響を受けたようで、トート先生の勤める高校に進学し、生物学研究サークルに所属して活動します。この中で、ストレス学説の提唱者ハンス・セリエ博士や、ビタミンCを発見しノーベル賞を受賞したセント・ジュルジ・アルベルト博士(*1)に手紙を書き、文通の中で著書を贈られるなどの交流をしています。若い高校生たちは、世界的な科学者に大きな励ましを得たことでしょう。高校卒業後は大学に進学し、理学部生物学専攻の仲間と共に研究に没頭し、生体防御医学を目標に RNA 研究を開始します。当時の社会主義体制下のハンガリー社会の状況もコンパクトに解説され、理解を助けます。
第2章は、ハンガリー経済の悪化から研究費を打ち切られ、研究を続けられるポストを得ようと試みる中で唯一オファーがあったのが米国フィラデルフィアのテンプル大学のポスドクだったところから始まります。エンジニアの夫とまだ幼い娘と共に、日本円にして約20万円を持って渡米します。米国でも身分は安定せず、好条件のポストへの移籍も上司の嫉妬で妨害されたり、成果が認められずに降格されたりしますが、1997年、免疫学者のドリュー・ワイズマン博士との共同研究が始まるところから研究は大きな進展を見せていきます。
第3章は、mRNA が導入された細胞が炎症反応を起こしてしまうという隘路を克服するアイデアが形になるところから始まります。そのきっかけは、mRNA では不可避であった炎症反応が、tRNA では生じないこと。注目した mRNA と tRNA の違いが、成分の塩基ウリジンの化学構造でした。すなわち、tRNA ではウリジンの構造の一部が化学修飾されており、これが炎症反応を避けるカギだったのです。ところが、この成果も研究者以外には理解してもらえない。ハンガリー訛りの英語もあって大学に冷遇され、上級研究員から非常勤に降格されることとなりますが、2013年にがん治療を目指すドイツのベンチャー製薬企業ビオンテックに上級副社長として招かれることになります。つまり、mRNA の医学への応用のねらいはがんの治療法などの技術開発だったわけで、mRNAに関する基礎研究が「たまたま」新型コロナウィルス対策のワクチンとして形になった、ということなのでしょう。
◯
たいへんタイムリーで興味深い本です。専門的なレベルはあまり深くはなく、むしろ分子生物学や免疫学などには縁遠い一般の読者を想定して書かれているようで、スムーズに読むことができました。mRNA の医学への応用はまだ始まったばかりで、むしろ今後の展開が興味深いと感じました。
もう一つ、子供時代に動植物や自然に触れた経験や、学問に志す高校生〜大学生時代の自然科学に関する授業外(課外)活動の経験が、科学者の成長の大切な基盤となっていることをあらためて確認したところです。また、研究者の環境の悪化が頭脳流出を招くことも全く同様で、最近は米国だけでなく中国への流出が増加していることなども報道されており、なんだかなあとため息です。
そういえば、大学時代の恩師がもらした言葉で、こんな内容のものがありました。「大学に残って研究者を目指す人は、地方の高校を出た学生に多い。都会の出身の男子学生は、経済的成功へのプレッシャーが強いのか、お金にならない研究者などは目指さないように感じる。これからは女性が研究者の主役になっていくのかもしれない。」50年前の学生にそういう感想を持っていた恩師は、短期間に成果を出さないと生き残れない現在の日本の大学等研究機関の様子を見て、はたしてどう思うのでしょうか。
(*1): 私の若い時代は、アルバート・セント・ジェルジ博士と呼んでいたように記憶していますが、ハンガリー語に近い読み方なのでしょうか。