地元紙「山形新聞」に連載されている「山響クロニクル〜50年の軌跡」の第18回「重い空気」(8/23付)と第19回「霧が晴れるように」(8/30付)は、飯森範親さんのもとに音楽的成果を着実に積み上げながら、しかし経営危機に陥っていた時期を描きます。2010年から園部稔さんが理事長に就任していましたが、直接的にはリーマン・ショック(2008年)や東日本大震災(2011年)の影響で景気後退が顕著になり、それまで冠コンサートなどでスポンサーになってくれていた企業の後援・協賛が減少したことにあったのでしょう。もう一つ、大きな背景として、少子化が進む中で学校が小規模化し統廃合は進まない時期のため、スクールコンサートの収益が減少していたこともあげられるでしょうか。2013年からは楽団員のボーナスもカットされるようになったそうで、賞与は業績次第とはいうものの、勤め人の立場から言えばこれは痛い! 定年制の導入や営業担当を置くなど、経営面の改革が図られます。


このころの印象的な出来事として、西濱秀樹さんが専務理事・事務局長として招かれたことが挙げられます。とにかく明るい。雰囲気がパッと明るく軽やかで、苦労も「そのうちなんとかなるだろう」と思ってしまうような登場(*1)でした。西濱さん、いろいろ聞こえてきたところによれば、関西フィルを再建した辣腕事務局長として有名だったのだそうです。ところが、なにかのいきさつで「もうオーケストラの仕事はしない」と決めて勇退したのだそうですが、音楽とは別の仕事をしているうちにもいろいろな挫折や印象的な経験があり、山形で素晴らしいオケが苦労しているという話に心を動かされ、再建に一肌脱ごうかと決めて山形に来られたのだとか(*2)。開演前のプレトークが明るくオシャレな雰囲気になったなあと感じました。


記事によれば、西濱さんは楽団員や指揮者、スタッフとの対話に四ヶ月をかけたのだそうです。同じ目標を持ち、同じ方向に歩き出すと、経費削減のためにそれまでの2回を1回に減らしていた定期演奏会を土日2回公演に戻し、魅力あるプログラムとゲスト招聘によって集客力もアップしていきます。楽団員のボーナスが復活しただけでなく、再び勢いのある山響が戻ってきた感じがしました。山新の伊藤律子記者による好感の持てる連載記事です。
(*1): 第244回定期演奏会で広瀬量平、チャイコフスキー、シューマンを聴く〜「電網郊外散歩道」2015年4月
(*2): 子どもたちへ、世界へ、届ける音色〜山形のオーケストラが見出した夢〜「山形会議」(藤庄印刷WEBメディア)


このころの印象的な出来事として、西濱秀樹さんが専務理事・事務局長として招かれたことが挙げられます。とにかく明るい。雰囲気がパッと明るく軽やかで、苦労も「そのうちなんとかなるだろう」と思ってしまうような登場(*1)でした。西濱さん、いろいろ聞こえてきたところによれば、関西フィルを再建した辣腕事務局長として有名だったのだそうです。ところが、なにかのいきさつで「もうオーケストラの仕事はしない」と決めて勇退したのだそうですが、音楽とは別の仕事をしているうちにもいろいろな挫折や印象的な経験があり、山形で素晴らしいオケが苦労しているという話に心を動かされ、再建に一肌脱ごうかと決めて山形に来られたのだとか(*2)。開演前のプレトークが明るくオシャレな雰囲気になったなあと感じました。


記事によれば、西濱さんは楽団員や指揮者、スタッフとの対話に四ヶ月をかけたのだそうです。同じ目標を持ち、同じ方向に歩き出すと、経費削減のためにそれまでの2回を1回に減らしていた定期演奏会を土日2回公演に戻し、魅力あるプログラムとゲスト招聘によって集客力もアップしていきます。楽団員のボーナスが復活しただけでなく、再び勢いのある山響が戻ってきた感じがしました。山新の伊藤律子記者による好感の持てる連載記事です。
(*1): 第244回定期演奏会で広瀬量平、チャイコフスキー、シューマンを聴く〜「電網郊外散歩道」2015年4月
(*2): 子どもたちへ、世界へ、届ける音色〜山形のオーケストラが見出した夢〜「山形会議」(藤庄印刷WEBメディア)