詩人の谷川俊太郎さんが亡くなり、若い頃に某出版社勤務の叔父さんからもらった谷川さんの詩集『手紙』を読み返してみました。1984年の1月に集英社から初刷が刊行されており、私がもらったのはちょうど1年後の1985年1月に刊行された第5刷です。
冒頭の「時」は、まだ若い頃にはおそらく描き得ない、愛し合った男女にも訪れる時の歩みを主題とし、次の「手紙」では若い二人の間でかわされた手紙と実際に会った時の差異を取り上げ、「あなた」「接吻の時」では若い男女の恋愛をかなり直接的に描きますが、どうも落ち着いた年代から振り返った恋愛の回想のようにも感じられます。「梨の木」「私の女性論」「裸」「もうひとつのかお」「奏楽」と続きますが、ふと気づきます。これらの詩は必ずしも同じ時期の連作ではなく、異なる時期に発表された作品を編集者が編み直した流れなのだ、ということ。そう考えると、次の作品との間に挟まれた電話の受話器の画像が、第2部の始まりということになるのでしょう。
第二部は「道二題」「宙ぶらりん」「未知」「水脈」「鎮魂」「サーカス」「終わりのない地平」「二十行の木」「種子」「陽炎」「色の息遣い」「音楽」「疲労」「Carpe diem」「眼」「途次」「アルカディア」「息」と続きます。ここでは、日常のひとコマを切り取りながら、青年期には強く意識しなかった中高年の視点が感じられます。
そう考えると、告別式に読まれたであろう1983年、作者52歳、友人知人を悼む三編の悼詩は、詩人にとっても切実なものだったのでしょう。「魂の戦場」は市川崑監督の映画の脚本を書いた脚本家で乳がんの闘病生活の後に亡くなった夫人の和田夏十さんを悼むもの。「音楽の道」は民族音楽の小泉文夫氏がガン闘病の末に亡くなったことを悼むもの。「五月に」は歌人・劇作家の寺山修司への弔辞として歌われたものだったようです。
その後に続く「子どもと本」「うたびとたち」は、子どもの成長へ贈るものであるとともに、与謝野晶子、石川啄木、上田敏、北原白秋への献辞のようでもあり、三編の悼詩を第三部とするならば、「詩が死に親しみつつ生に向かうもの」として、いわば未来へつなぐエピローグ兼序詩のようなものと言えるかもしれません。
巻末の作者の「あとがき」には、「詩集を編む楽しみ」について教えてくれた編集者への感謝が書かれています。この時代のこの出版社のこの姓の編集者といえば、たぶん母方の叔父さんのはず。なるほど、それで私に本書を送ってくれたのだなと、今更ながらに納得です。
本書を離れて個人的な回想を少しだけ。学生時代の記憶ですが、何年間か手紙でやりとりしていた一つ上の先輩との交流。詩の読み方として、きちんと言葉に表されているものに基づいた想像の大切さを教えられたことや、動物の産卵数についての自分の考えをまとめる良い機会になったことなど、わが不遇時代を耐える助けになったことに感謝するとともに、先輩のその後の幸いを祈っております。
もう一つ、若い頃は、「手紙」と言えば恋文か事務連絡くらいを想像するだけでしたが、古希を越えた今は少し違います。先ごろ「両親と祖父母、ゆかりの人々の記憶」をまとめた小冊子(*1)を作り、親戚等の関係者にお届けしましたが、それぞれに古い記憶を呼び起こすところがあったようで、手紙やはがきをいただきました。恋文でもなければ事務連絡でもない親しさの手紙が暖かく懐かしく、またありがたいものと感じます。