電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

老父の直腸ガン、転移なし

2005年12月10日 13時29分42秒 | 健康
先に直腸ガンが発見され、手術を受けた老父の病理診断の結果を、今日病院で、本人と私と妻と三人で聞いてきた。
診断は、中分化型腺癌で、直腸の内側に発生し、直腸内膜表面から徐々に内部に侵食していき、腹膜に達すると一気に腹腔内に広がる型とのこと。しかし、腹膜ぎりぎり近くまで達していたものの、まだ外側に出てはいなかったとのこと。また、リンパ節のかなり深くまで細胞を検索したが、癌細胞は見当たらなかったとのことで、今回の手術で取りきれたと判断する、とのことだった。
病期の分類は早期をI型とし末期をIV型としたとき、II型に相当するとのこと。追加の抗癌剤治療は必要なし、今後は定期的に採血とCTと内視鏡の検査を行うことで、食事・行動ともに制限なし、との判断だった。
手術後、私も切除組織を見せてもらったが、S字結腸の付け根のくびれの部分に丸い脂肪塊のような癌組織があり、その周囲を1cmほどの数個のクレーター上の癌組織が取り巻いて、いかにも悪そうな外観であった。執刀した医師の話では、典型的な進行癌だとのこと。
1年前には細胞レベルだったかもしれないが、ポリープ状の組織として肉眼で見えるようになってから数ヶ月で成長したものと思われるとのことで、「幸運でしたね」と言われた。たしかに、転移の可能性を考えると、いくら多忙でも1ヶ月診断治療を先伸ばしにすることのリスクの大きさを痛感したところだ。
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冠雪の朝日連峰とコレルリ「合奏協奏曲集」

2005年12月09日 22時43分18秒 | Weblog
夏であれば、早朝出勤時にもすでに太陽が昇っており、快適な郊外通勤が楽しめるが、冬期間は朝まだ暗い。ようやく明けかかる頃に自宅を出て、途中で朝日に輝く山々を見ながら車を走らせる。写真は、つい先日の晴天時に撮影した早朝の朝日連峰。

ここ数日、コレルリの合奏協奏曲集を聞きながら通勤している。もともと「クリスマス協奏曲」がねらいで聞き始めたのだが、今のところ、エンドレスで再生しているので、いつのまにか最初の曲に戻っている。だが、再生の途中で一つ一つの曲が区別でき、全体をつかめるようになるにはもう少し時間がかかりそうだ。楽しみではある。

ところで、コレルリの合奏協奏曲集、ヘンな言い方だが偉い数学のプロフェッサーの講義みたいだ。見た目は厳しくいかめしいが、語っている数学の理論は実に美しい、といった感じ。毎日、往復の通勤時に聞いていると、少しずつ少しずつなじんでくる。それとともに、作曲者や演奏家が工夫した美しさが感じ取れるようになる。
イタリア合奏団の演奏、デンオンのデジタル録音で、クレスト1000シリーズのありがたい2枚組。
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淡々と過ごす

2005年12月08日 21時34分19秒 | Weblog
昔はできなかったのに年を取ってできるようになったことの一つに、「淡々と過ごす」ことができるようになったことが挙げられる。
たとえば、世間はクリスマスだといえば、恋人と夜空を見上げたり一緒にワインの封を切ったり、といったシチュエーションを想像していじけて(?)いた時代があった。だが、今考えると、そんないじける暇があるのだったらそのぶん自分が楽しめばいいのに、と思う。
たとえば、クリスマスだからディケンズを読もうとか、まだ聞いたことのないバッハの大作「クリスマス・オラトリオ」を少しずつ聞こうとか、ビーフシチューの作り方をこの際マスターしようとか、そんなようなことだ。

ときどき、もし若い頃に戻れたら、という空想をすることがある。私の場合はきまって「うかうかと浮ついた時間を過ごさず、一つか二つのことに集中していれば」と考えてしまう。恋愛の高揚も失恋の痛手も知り、転職転勤も一通り経験し、結婚して郷里にUターンし2人の祖父母を見送り、子育てももうじき一段落しそうなときに思うことは、淡々と暮らして生きたいということ。それと、あまり欲張らず、一つか二つのことを丁寧に長く取り組み、このブログの表紙のようにまいど変わりばえしなくとも、長く続けていきたいと思う。

たぶん、こういうのを「オヤジの説教」というのだろうな。どうもスミマセン。通勤の音楽、ここ数日はコレルリの「合奏協奏曲集」を聞いております。クリスマス協奏曲がお目当てで、まだ曲のあらましを覚えるまでには至っておりませんが、厳粛な中にも楽しさが感じられます。
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藤沢周平『霧の果て・神谷玄次郎捕物控』を読む

2005年12月07日 19時35分36秒 | -藤沢周平
北町奉行所の定町廻り同心である神谷玄次郎は、探索の腕は抜群だがどこか世をすねたところがある。小料理屋「よし野」の女主人お津世のところに入り浸っている。
第1話「針の光」、狂った男の畳針が、若い女の命を奪っていく。お手先の銀蔵がいい味を出している。
第2話「虚ろな家」、子どもをさらって金をゆする。それも計画的な犯行だった。結果から見ると「やっぱり」な犯人だったが、そう思わせないところがうまい。
第3話「春の闇」、娘に惚れた男が、もっと前から同じ娘と好きあっていた男を憎むようになる。よくある話ですが、あきらめるしかないのですね、本当は。相手を陥れて殺そうなどと考えてはいけません。
第4話「酔いどれ死体」、神谷玄次郎の過去が語られながら、浮浪人の甚七殺しを探る。不義は死罪と定められた時代に、人目を忍んで20年間会い続けた女との関係が明らかになってしまうだろう。疫病神のような男の底なしの酒に恐怖を覚えた事情がよく理解できる。
第5話「青い卵」、二階の戸袋で見つかった大きな巣と青い卵。不気味さを表す小道具はどことなく洋風のサスペンス・タッチだ。小金をためていた老婆殺しで、犯人は小判を盗んでいったが、小銭は盗まなかった。では、犯行後に小銭を盗み使っていたのは誰なのか。なんとも後味が悪い話だが、現実にはすべての子どもがみな同じように善良だとは限らないのです。
第6話「日照雨」、米屋の次男坊のワルのどら息子が殺された。それも、恨みのめった刺しだ。犯人は挙げるが、立ち直ろうとする娘と支えようとする若者には罪を及ぼすまいとする玄次郎と銀蔵のコンビが、人情を感じさせる。玄次郎が取り組む過去の謎解きにも一歩近づく資料が出てくる。
第7話「出合茶屋」、女ざかりの内儀が出来心で同行した出合茶屋で、見てはならない人の顔を見てしまった。そこで災難が降りかかる。単行本では、どうやらこれが表題作だったらしい。地味だがテンポのよい、いい作品だ。
第8話は文庫版の表題作「霧の果て」である。井筒屋善右衛門が歓喜院という坊主にいかがわしい加持祈祷をさせた女たちの中に、御側御用取次就任を目前にした水野播磨守の愛妾がいた。事件の真相は判明したが、老衰した権力者の姿は、復讐するにも値しないものだった。

欧米の推理小説作品の熱心なファンだった藤沢周平の、ややハードボイルド風な作品。短編を読み、事件を一つ一つ解決していくうちに、いつのまにか亡父が探りあてた秘密のために斬殺された母と妹の事件の片鱗が目の前に現れてくる。霧の果てに見たものは、等しく訪れる老いと死の無残であったろうか。
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ハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」「五度」「日の出」を聞く

2005年12月06日 20時24分29秒 | -室内楽
ハイドンの弦楽四重奏曲は、よく聞くととても魅力的な作品が多い。作品20の「太陽四重奏曲集」や、「ひばり」を含む作品64など、何気なくCDに手が伸びる。

作品76の弦楽四重奏曲は、「五度」の愛称を持つのがニ短調の第2番。同じく第3番ハ長調が「皇帝」、そして第4番変ロ長調が「日の出」の愛称を持つ。明朗で親しみやすい音楽が多いハイドンの音楽の中で、特にニ短調の響きが印象的な「五度」では心を揺さぶられるような面がある。
ハイドンがこの作品76の弦楽四重奏曲集を完成させたのが1797年。かつて「ハイドン・セット」という六曲の弦楽四重奏曲集を献呈したモーツァルトはすでに世を去って久しい。ハイドンの音楽は、後輩モーツァルトの音楽的成果をも吸収し、ますます明快に、かつ深みを増していく。

演奏は、コダーイ・クヮルテット、1988年6月に、ブダペストのイタリア協会でデジタル録音されたナクソス盤(8.550129)で、録音も明瞭である。
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年賀状作成はどう変わったか

2005年12月05日 20時09分15秒 | コンピュータ
若い頃は、あまり年賀状などは出さなかったが、就職してお世話になった方々に年賀状を出すようになると、印刷した賀状の味気なさを感じて、手作り年賀状をいろいろと工夫するようになった。つい最近まで、プリントゴッコという謄写版印刷を応用した道具を用いて、自作のイラストを入れた年賀状を作っていた。プリントゴッコは、カーボンを含むインクでないと感光しないので、わざわざ製図用インクを使ったりした。昭和の終わりごろまでは、住所もすべて手書きだったが、平成に入ってからはパソコン・ワープロで文字を印字し、手書きのイラストを添える形で版下を作成、データベースで宛名シールを印字して貼り付けるようにした。だが、プリントゴッコで200枚も印刷すると、翌日まで乾燥させるのが大変だった。部屋中に敷き詰めて、文字通り足の踏み場もない状態。

インクジェット・プリンターとインクジェット用年賀状の普及で、近ごろは年賀状もパソコンで作成するようになった。以前はつまりやすかった用紙送りもだいぶ改善されて、あまり失敗もなくなったようだ。プリントゴッコのインクに比べると、乾燥も比較的速く、親戚には家族の写真入りの年賀状、仕事上の付き合いには個人名だけの年賀状と、何種類かに分けて作成することもできる。宛名もプリンターで印字でき、だいぶ楽になった。

もっとも、電子メールが使える範囲では、電子メールで賀状を送ることにしているので、こちらのほうが実はありがたい。お正月には、日頃御無沙汰している人からも近況をいただくことがあり、賀状の配達が休みの日でも、メールチェックするのが楽しみである。
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コダーイの「ハーリ・ヤーノシュ」組曲等を聞く

2005年12月04日 20時34分52秒 | -オーケストラ
今日は、日中は晴天に恵まれて小春日和の一日となった。リンゴの収穫をしようかと考えているところに娘夫婦が訪ねてきて、老父の見舞いに病院に行くが、子どもを連れて行ったものかどうかと相談された。孫はまだ六ヶ月。自前の免疫を持たず、母乳を通じた免疫もそろそろ切れかかる頃だろう。院内感染を防ぐためにおいていきなさい、とアドバイスした。で、その間に孫の子守りと昼寝。
ハンガリーの作曲家、ゾルターン・コダーイの「ハーリ・ヤーノシュ」組曲等を聞く。演奏は、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団。1969年1月、クリーヴランド、セヴェランス・ホールでのアナログ録音である。
「ハーリ・ヤーノシュ」は、同名の代表的なオペラの音楽の中から組曲としたものだそうで、1927年12月15日に、メンゲルベルクの指揮するニューヨーク・フィルの定期演奏会で初演されたという。曲は、次のような構成になっている。
第1曲、序曲「お伽話が始まる」 (3'38")
第2曲、ウィーンの音楽時計 (2'14")
第3曲、歌 (5'23")
第4曲、合戦とナポレオンの敗北 (4'02")
第5曲、間奏曲 (4'45")
第6曲、皇帝と廷臣の入場 (3'04")
作曲年代からは想像できないほど、親しみやすい表情を持った音楽だ。特に、第2曲でのど自慢の鐘(チューブラー・ベルか?)とともに軽快な音楽が奏されるところや、第3曲で独奏ヴィオラと民族楽器のツィンバロンの音色、第5曲の生き生きとしたリズミカルな音楽など、魅力的なところが次々に出てくる。なお、この演奏でのツィンバロン(*)奏者はトニー・コヴェス・シュタイナーという人。音色からはハープのような楽器かと想像したが、バチで奏するチェンバロのようなものなのですね。

なお、長く楽しんできたLPは、CBS-SONY の 13AC-803 で、プロコフィエフの交響組曲「キージェ中尉」が併録されており、これもたいへんに魅力的な演奏。CDはソニークラシカルの SRCR-2557 で、通勤カーステレオ用に購入したが、「キージェ中尉」のほかにボロディンの歌劇「イーゴリ公」から「ダッタン人の踊り」とリムスキー・コルサコフの「スペイン奇想曲」、リャードフの「魔法にかけられた湖」が併録されていた。全般に録音も充分に鮮明で楽しめ、おすすめの一枚である。

(*): ツィンバロンという楽器はこんな姿
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老父、歩き出す。

2005年12月04日 10時50分14秒 | 週末農業・定年農業
入院・手術後、老父の経過は順調のようで、邪魔なチューブ類も全部取れて、歩いてトイレにいけるようになった。枕元で文庫本を読むのが楽しみらしく、手術前に読んでいた司馬遼太郎の『功名が辻』を読み終え、先日私が持参した藤沢周平『三屋清左衛門残実録』を読んでいた。なかなかおもしろいと言う。泊り込んでいた老母も先日帰ってきて、家でゆっくりしている。白菜やらたくあんやら、各種の漬物が心配で、早速様子を見ているようだ。
今秋最後のリンゴの出荷受付が先日終わったが、我が家では結局全く出荷できずじまいだった。もっとも、全部が「ふじ」なので、みばえはわるいが雪があたったほうがおいしくなる。今月下旬まで、お天気と仕事の合間を見て、少しずつ自家用のリンゴを収穫することを計画している。
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朝日土曜版に「個人情報取り扱い注意」

2005年12月03日 11時06分38秒 | コンピュータ
朝日新聞の土曜版beに、「あなたもうっかり漏らすかもしれない」「個人情報取り扱い注意」「仕事熱心から処罰も」「最後は人間関係」などという見出しのついた記事が掲載(*)された。この手の記事には普通なのかどうか、松浦新氏の署名入りである。
パソコンを盗まれると被害者だが、そのパソコンの中に仕事で集めた個人情報が入っていると、会社や社会に損害を与える加害者になる。公表されている関連事件の大半はうっかりミスであり、仕事でパソコンを使う人には他人事ではない、という趣旨のようだ。たいへん要領よくまとめられており、参考になった。

ふと感じることだが、多くの事件の報道を見るたびに、管理的な立場にある人や部門が、個人情報の取り扱いに関して充分に機能していない例が多いと感じる。これはなぜだろうか。たとえば、本記事中でも、銀行の中堅行員が自宅で融資先管理の仕事をしていたところ、パソコンが調子が悪くなったので交換してもらった。すると、中古となったパソコンから情報の漏洩が起こったと言う。また、愛知県の小学校の教務主任が自宅に持ち帰った全校生徒の名簿データ等が、自宅のパソコンがウィルスに感染したために流出してしまったという。

たぶん、従来の管理職や部門のやり方は、人を管理し仕事ぶりを評価することが主体であった。だから、こうした人たちは、熱心な仕事ぶりで高い評価を得ていたことだろうと思われる。だが、業務プロセスとして評価するならば、情報を職場から持ち出して日常的に作業していたという点で、これらの人たちのやり方は掟破りである。むしろ、自宅に持ち帰らないと間に合わないような事態を改善することに、管理職や部門としての課題があるというべきだろう。組織・機構をいじるだけでは問題は改善されない。管理職や部門は業務のプロセスを管理することが主眼であって、情報化の時代に、熱心であるとか根性があるとか、表面的な人的評価を主体とする管理では問題であるとするのは、厳しすぎる見方だろうか。これは、自戒の意味も含むけれど。

(*): 朝日新聞土曜版の「個人情報取り扱い注意」の記事
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「生協の白石さん」はなぜ流行るのか

2005年12月02日 21時27分00秒 | Weblog
大学生協の無名の職員「白石さん」が、学生の珍問奇問にまじめに正攻法で答える「一言カード」がおもしろいと評判になり、これを取り上げたブログが盛り上がって一躍人気者になってしまったようです。私も、ほのぼのとした回答がおもしろく、何度か読ませてもらいました。と同時に、こんなに人気が出てしまったあと、白石さんの将来はどうなってしまうのだろうと、余計な心配をしてしまうほどです。

と同時に、単なる「一言カード」の内容に、なぜこれほど人気が出たのかに興味を持ちました。思い当たるフシがあります。テレビのバラエティ番組もドラマもお笑いも、かわされる言葉はきつくとげとげしく、人をけなして笑う種類のものが多いと感じます。そこでは、ほのぼのとした暖かさが感じられません。家庭や学校では、子どもたちが「早くしなさい」「もっとちゃんとしなさい」「どうしてできないの」などと叱られせかされるし、会社では実績と数値が厳しく求められます。本当は、皆さんが白石さんの回答のような丁寧で暖かい言葉を、心のどこかで期待しているからなのではないでしょうか。
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レスピーギ「ローマの松」を聞く

2005年12月02日 21時14分13秒 | -オーケストラ
師走の週末、明日は出勤日ではないので、少々朝寝坊ができそうだ。自宅でビデオと音楽CDで楽しむ。今日は、N響アワーの録画で、レスピーギの「ローマの松」を見る。この映像は、平成16年10月10日に放送されたもので、ネルロ・サンティ指揮NHK交響楽団の演奏会より、
(1)ロッシーニ「ウィリアム・テル」序曲
(2)モーツァルト 交響曲第35番「ハフナー」第1楽章
(3)レスピーギ 「ローマの松」
という内容だ。ネルロ・サンティというイタリアの指揮者は、近年N響アワーでしばしば取り上げられ、再認識している素晴らしい指揮者だ。番組中で池辺晋一郎氏が紹介しているところによると、サンティ御本人は尊敬する作曲家としてヴェルディとブラームスをあげているという。ウィリアム・テルやモーツァルトはもちろんだが、「ローマの松」は特によかった。時々取り出して聞きたくなる演奏だ。

ここ数日、通勤の音楽としてカラヤンとベルリンフィルによる「ローマの泉」「ローマの松」ほかを収録したCDを聞いているためだろうが、映像を見ながら演奏を聞くと、楽しみも増すように感じる。
ただし、カラヤンとベルリンフィルの演奏するレスピーギは、ピアニシモが連続する場面ではロードノイズに遮られ、ほとんど聞き取れない。あまりに能天気な爆演もどうかと思うが、ほどよく聞き取れるようでないと、通勤の音楽には向かないようだ。自宅で、静かな環境で聞くには、とてもいいと思うけれど。

写真は「ローマの松」ならぬ「我が家の松」を植木屋さんが剪定しているところ。この植木屋さん、大学を卒業したあと脱サラして植木屋修行をした人。寡黙ですが、なかなかいい仕事をしてくれます。今年の夏の撮影です。
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エンジンポンプの水抜きをする

2005年12月01日 19時52分18秒 | 週末農業・定年農業
12月の声と共に、ひたひたと冬の足音が聞こえるようだ。このところの冷え込みは、いつ雪が降ってもおかしくない。実際、今朝は少しばかり雪がちらついていた。
老父が入院しているため、各所の冬越しの準備が必要になっている。病院のベッドからなんとか指示をする様子を見ると、再び回復して来春の畑仕事に備えたいという気力が感じられ、喜ばしい。
昨日、病院の帰りにエンジンポンプの水抜きをした。地下水をくみ上げるポンプは、凍結するおそれがあるため、冬季間は水抜きをしておく。写真の中央下部にある赤いネジが水抜きバルブになっている。これをまわして水を抜くと、水位が下がり、ポンプ内の水も排出された。これで来春まで大丈夫だ。

ふと思ったが、このWeblogは、季節の様々な作業を記録していくと、毎年の農事メモになりますね。しかも、検索機能つき。
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