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電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

『藤沢周平のすべて』を読む

2006年10月16日 20時21分28秒 | -藤沢周平
文春文庫で『藤沢周平のすべて』を読みました。内容は、次のとおりです。

1 別れ 弔辞など 丸谷才一、井上ひさし、遠藤展子
2 周平さんと私 黒岩重吾、無着成恭、田辺聖子、宮城谷昌光、佐野洋、杉本章子、清水房雄、太田経子、倉科和夫、井上ひさし
3 藤沢周平が遺した世界 向井敏、川本三郎
4 半生を紀行する 土田茂範他座談会、福澤一郎、植村修介、金田明夫、高橋義夫、杉山透
5 藤沢周平作品と私 中野孝次、涌谷秀昭、丸元淑生、関川夏央、寺田博、吉田直哉、秋山駿
6 藤沢周平を語りつくす 吉村昭・城山三郎、秋山駿・中野孝次、皆川博子・杉本章子・宮部みゆき、仲代達矢・竹山洋・菅野高至
7 藤沢さんの頁 インタビュー「なぜ時代小説を書くのか」、エッセイ傑作選、小菅留治全俳句、他
8 藤沢さんへの手紙 出久根達郎、水木楊、鴨下信一、渡部昇一、黒土三男、辻仁成、佐藤雅美、ねじめ正一、落合恵子、小林陽太郎、小林桂樹

いずれも心に残るものばかりで、藤沢周平自身やその作品が、いかに多くの人に多面的に愛されたかがわかります。

私が関心を持ったのは、演出家の鴨下信一さんの「文章のカメラワーク」という一文です。ここでは、藤沢周平の風景描写の特徴として、「物語の背景となる風物の描写は、主人公の五感に触れるものに厳密に限られ」ており、「ちょうどカメラが移動しながら主人公の目に映り、身体に感じるものを次々に写しとってゆくように風景は描写されてゆく」と指摘されています。藤沢さんのエッセイ「わが青春の映画館」などで、山形師範学校時代に洋画に没頭したことが回想されていますが、この風景描写の特徴などは、洋画やミステリーの手法を意図的に時代小説に持ち込んだのではないか、と想像させてくれます。

また、とりわけ印象深いものに、福澤一郎「仰げば尊し 湯田川中学校教師時代」という一編があります。学校の先生あがりの作家はおおぜいいるけれど、藤沢周平はどうもちょっと違うような気がします。たった二年間の教員生活、しかも結核によって中断されてしまったものでした。ところが、教え子たちがずっと小菅先生のことを慕っている。藤沢周平自身が、小菅先生として、教え子たちとの交流を続けている。しかも、単に儀礼的なものではなく、かけがえのないものとして大切にしていたように思えます。こういう作家は、きわめて珍しいのではないだろうか。実は、こんな記事がBBSに投稿されていました。

藤沢周平インタビューより~たぶん未発表?~

もしかすると、元同僚や教え子の人たちが、もっといろいろな出来事をネット上に書き残してくれているのかもしれないと思うとき、インターネットの時代が、書籍出版とは無縁な人にも、記録と公表の手段を提供していることを感謝せずにはいられません。
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オーケストラの森「山形交響楽団」でマーラーの4番を聞く

2006年10月15日 21時18分16秒 | -オーケストラ
全国のオーケストラを紹介する番組「オーケストラの森」で、山形交響楽団が取り上げられました。NHK教育テレビで16時から17時までの1時間。1972年に東北初のプロ・オーケストラとして誕生し、創設名誉指揮者の村川千秋氏の指揮のもとでスクールコンサートなどを地道にくり返しながら、現在にいたる活動の経過を紹介。現在の常任指揮者は飯森範親(のりちか)さん。近年は意欲的に新しい活動にも取組み、作曲家と演奏者と聴衆とが共鳴しあうことが大切と、コンポーザー・イン・レジデンスや作曲賞を創設、千住明氏が委嘱作品を提供するなどしています。

今日の番組での曲目は、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲から。スクールコンサートなどでも頻繁に取り上げられる、自家薬籠中の曲目と言って良いのでしょう。思わずわくわくするような軽快さです。

もう一つの曲目は、マーラーの交響曲第4番。残念ながら放送時間の関係で第2楽章はカットされ、第1楽章と、第3・第4楽章だけが演奏されました。ホールは2階席まで満員の状態のようです。演奏としては、第1楽章の軽やかさ・爽やかさ、第3楽章のピーンと緊張感あふれる美しく深い表現が素晴らしいと思いました。終楽章でソプラノの佐藤千枝子さんがいつ出てくるのかとハラハラしましたが、ちゃんと独唱部に間に合うようにすっと出てきたのが、ステージの狭さをカバーしながら、なんともにくい演出です。佐藤千枝子さんの、よくコントロールされた声もたいへんにすてきで、堪能しました。演奏の最後、フライング拍手もなくて、静寂のまま聴衆の溜息と満足が充分に伝わりましたが、いつものブラボーがあってもよかったような気がする。もしかすると、テレビ放映を意識したのかな(^_^;)>poripori

指揮は、2004年の7月、第158回定期演奏会から常任指揮者に就任した、飯森さん。ドイツのヴュルテンベルグ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督も兼ねており、初めての定期演奏会でバルトークの「管弦楽のための協奏曲」を取り上げ、私もすっかりファンになりました。なんでも、山形の美味しいものを食べ、温泉に泊まり、飯森さんの指揮で山響を聞くツァーもあるのだとか。ご婦人方を中心に季節の良いときにはけっこう来県者がおられるのだと聞きました。

非公式情報によれば、収録はNHKの東京スタッフを中心に行われた模様。カメラワークなど音楽の動きにあわせたもので、このへんはかなりの人数が動員されているのでしょう。録音も低音がこもらず、よく録れていました。

一つだけ、練習場にしている議場ホールがある旧県会議事堂を文翔館とテロップで紹介していましたが、あれは間違い。文翔館は隣の建物で、国指定重要文化財。写真のような立派な歴史的建造物です。
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リンク間違い、だよね?

2006年10月15日 09時30分23秒 | コンピュータ
日頃お世話になっているgooのWEB版RSSリーダーですが、ふと妙なところに気づいてしまいました。画像をよくご覧下さい。タイトルは「気象」です。たしかにタイトルは「気象」です。う~む、しかしこの記事内容は、どう見ても「トピックス」だよな。
たぶん、リンク・ミスだと思う。copy & paste したが、直すのを忘れちゃったんだな、たぶん(^o^)/

素晴らしい秋晴れの朝、あたたかいコーヒーを飲みながら、BBC-3 のインターネット・ラジオ放送で、レスピーギの音楽を聞いております。ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」の音楽なのだとか。こういう未知の音楽に触れることができるのは、ラジオ放送のありがたいところです。
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10月15日(日)午後、山響のマーラー交響曲第4番を放送

2006年10月14日 22時15分35秒 | -オーケストラ
10月15日の日曜日、午後4時から1時間、NHK教育テレビで、山形交響楽団の演奏するマーラーの交響曲第4番が放送されるそうです。第174回定期演奏会の一部ですね。

NHK番組表から~オーケストラの森 -山形交響楽団-

▽東北で初めて作られたプロオーケストラ山形交響楽団。一人の情熱で始められた地方オーケストラが地域に根ざし、地域から全国に音楽を発信する。

【曲目】
(1)モーツァルト「歌劇“フィガロの結婚”序曲」
(2)マーラー「交響曲第4番 ト長調から 第1楽章、第3楽章、第4楽章」 
- 佐藤美枝子(Sop.)、飯森 範親(指揮)、山形交響楽団
- 平成18年7月22日、山形テルサで録画

とのこと。この演奏会は都合で行けなかっただけに、放送が楽しみです。
まさか、山形ローカル放送ではないと思いますが・・・(^_^;)>poripori
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仙台文学館で藤沢周平展を見る

2006年10月14日 21時35分31秒 | -藤沢周平
先日の地元紙で目にした仙台文学館の「藤沢周平展」を見に行きました。山形県は晴天でしたが奥羽山脈に入るとやや肌寒い曇天で、だいぶ紅葉が始まっており、今月下旬には見頃かな、という感じです。県庁・市役所前を過ぎ22号線に入ると、北仙台駅前を通過し左折北上します。台原森林公園のあたりを右手に見る頃、「仙台文学館」の標識が見えました。車の切れ間を右折し、無事到着。このあたりは土地勘があるので、なんとか大丈夫です。
入口を入ると、特別展「藤沢周平の世界展」平成18年9月16日(土)~11月5日(日)の大きなディスプレイが目につきます。入場料を払い、階段を登って展示室に入ると、そこは本当に藤沢周平ワールドでした!

いくつか気づいた点をメモして来ました。

(1)日本加工食品新聞の記者時代に愛用したカメラは、キャノンのキャノデート。35ミリフィルムに日付を設定し写し込まれるしくみ。おそらく撮影日時に関するデータを大切にしたのだろう。
(2)小説を書く筆記具はもっぱらパーカーの万年筆を用い、インクは同社のQuinkのブルーブラックを用いている。
(3)山形新聞に連載されていた『蝉しぐれ』は225回続き、最終回はふくが助左衛門と対面し、ただ一度抱かれて去る場面で終わっている。「文四郎さんの御子が私の子で私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」の場面や、「階下に降りると駕籠が待っていた。」以下、「あの人の白い胸など~」等の記述は、単行本になる際に加筆されたものだ。
(4)『オール読物』誌の平成4年10月号で、好きなもの嫌いなものを聞かれ、いくつか興味深い答えがある。音楽ではイギリスのシンガーソングライターのクリス・レアをあげ、ナナ・ムスクーリにも一時凝ったという。嫌いなものとして、なんと合唱コンクールの合唱曲をあげており、湯田川中学校の教師時代に、合唱コンクールの指導で往生した経験があるのかもしれない。また、好きな言葉として「村」、嫌いな言葉として「生きざま」をあげている。
(5)晩年には、娘さんの音楽の好みがだいぶ影響しているようで、スティーヴィー・ワンダーの「心の愛」がたいへんお気に入りだったとか。葬儀の際も、このCDをお棺に入れたとのこと。
(6)ミステリー好きというのは承知していたが、1冊だけ新潮文庫の佐野洋『死者の電話』に巻末解説を書いているというのは知らなかった。また、高村薫さんが『マークスの山』で受賞候補となったとき、これを強く推したという。

お昼には、文学館内のレストラン「杜の小径」で、海坂藩の食卓を再現した御膳(1000円)を食べて来ました。庄内米のごはんとむきソバの汁物、棒タラと大根の煮物、小松菜と食用菊のおひたし、イカとわかめの酢みそあえ、小ナスの漬物と茗荷の酢漬けです。棒タラは短時間に軟らかくなるよう砂糖を使って煮込んだためか、やや甘過ぎましたが、他はやや上品な田舎料理の味でした。

常設展の方では、藤野先生が書き込みをした魯迅の仙台医専時代のノートや漱石の原資料などがデジタル化されており、コンピュータで見ることができるようになっていました。これはぜひ別の機会にじっくり見たいものだと思います。
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ブラームスがクララ・シューマンに出会った頃

2006年10月13日 20時11分27秒 | クラシック音楽
ここしばらくブラームスの音楽を聞いている関係で、気になっていることを調べてみました。それは、「シューマンがライン河に身を投げたとき、結婚指環を取り外していたのは、妻クララと若いブラームスが恋に落ち、嫉妬と病気の絶望感から入水自殺を図ったため」という説が、はたして成り立ちうるのだろうか、という点。もちろん、タイムマシンに乗って昔に帰ることはできませんし、できたとしても私はドイツ語の会話がわかりませんけれど、新潮文庫の三宅幸夫著『ブラームス』でわかる範囲での推測です。

年譜によれば、ブラームスがデュッセルドルフのシューマン夫妻のもとを訪ねたのは1853年、ブラームス20歳、シューマン43歳、クララは34歳です。今で言えば、大学2年生が恩師の奥さんにポーっとなるようなもの。まだ子どもらしさを残した20歳の青年が、34歳のクララを一方的に敬慕したとしても、この時点でクララが青年に恋するとは考えにくいです。ちょいと「あっ、いい青年だな」くらいは思ったかもしれませんが、シューマンが嫉妬して身を投げるほど見せ付けたりするだろうか。これはどうも、シューマンの死後のブラームスとの関係を投影し、後から理由付けた結果論に思えます。

むしろ、運動機能障碍から精神障碍に進みつつあったシューマンの、クララを得るために法学の論文を提出し知力を証明したほどの知性が、創作をまとめあげる健康と時間が許されず、家族を残してやがて迎えるはずの恐ろしい結末を正確に認識したがゆえの絶望ではないか。これがライン河への投身の真相でしょう。救助時に指環をつけていなかったというエピソードが仮に事実であっても、それをブラームスに帰すほどの重さがあるとは思えません。ライン河を行き来する船に助け上げられたとき、誰かにちょろまかされたのかもしれない。

クララとブラームスの関係は、その後の四年間、1854年から1858年にかけてほとんど作品が生み出されていない、シューマン夫人とその娘たちへのブラームスの献身として知られています。21歳の才能ある若者から25歳の頼りがいのある青年へと成長していったブラームスの変容を目の当たりにしたクララの意識の変化は、この頃にはたしかにあったことでしょう。アガーテとブラームスの関係を知ったときのクララの態度や、後年までのアガーテへの冷淡さなどから推測されます。しかし、ブラームスは自分自身がまず生活しなければならなかった。クララはベルリン、ブラームスはハンブルグ。ウィーンに居を定めるのは1862年、29歳になってからでした。

結論。シューマンの悲劇に、青年ブラームスの関与はごく小さい。18歳のシューマンが病気に感染した責任は、あくまでもシューマン本人と相手の娘にある。悲劇の本質は有効な治療法がなかった点にあり、ブラームスではない。
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ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」を聞く

2006年10月12日 19時49分40秒 | -室内楽
東京に唯一持参したCDです。大雨のため待たされた電車の中で「雨の歌のソナタ」のCDを聞いていました、というのは実にシャレにならない状況です(^_^;)>poripori

さて、1878年から79年にかけて、スイスのペルチャッハで作曲されたというこの曲は、ヴァイオリン協奏曲で採用しなかった素材を生かして書かれたのだとか。廃物利用というにはあまりにも素敵な音楽です。そういえばブラームスは、ドヴォルザークが捨てた屑かごから素材を拾って交響曲が何曲も書けるくらいだ、と彼の旋律の才能をうらやましがっていたといいますから、案外屑かごあさりは得意だったのかもしれません(^_^;)>poripori

それは冗談として、新潮文庫の三宅幸夫『ブラームス』(カラー版大作曲家の生涯)によれば、ブラームスの友人ビルロートが「あまりにも繊細で、あまりにも真実で、あまりにも暖かく、一般の聴衆にとってはあまりにも心がこもり過ぎている」と評したというこの曲。東洋の島国の、一般の聴衆に過ぎない私には実際「ネコに小判、豚に真珠」なのかもしれませんが、そんな了見のせまいことを言わないで「この曲、いいなぁ~!」と言わせてほしいものです。それにしても、内省的なブラームスの室内楽の特徴をよく表している曲だと思います。

第1楽章、ヴィヴァーチェ・マ・ノン・トロッポ。ヴァイオリンが優しく繊細な旋律を奏で、ピアノがおおらかにこたえるうちに、しだいに活気を増してきます。
第2楽章、アダージョ。ピアノが深々とした旋律を奏でた後、静かにヴァイオリンが入り、ときおり重音を響かせながら哀感に満ちた音楽を聞かせます。
第3楽章、アレグロ・モルト・モデラート。歌曲「雨の歌」Op.59の旋律を主要主題として、ヴァイオリンがこれを歌うのだそうです。残念ながら一度も聞いたことがありませんが、きっと味わい深い歌曲なのでしょう。この楽章も、「晦渋な髭のブラームス」という印象を裏切る、ほんとに素敵な音楽です。

演奏は、イツァーク・パールマン(Vn)とアシュケナージ(Pf)によるEMIのレギュラープライス盤(CC33-3517)。1983年にロンドンのアビーロード・スタジオでデジタル録音されたものです。

ちなみに、演奏データは次のとおりです。
■パールマン(Vn)、アシュケナージ(Pf)盤
I=10'42" II=8'03" III=8'16" total=27'11"

この11月には、安部敦子(Vn)+ヤン・ホラーク(Pf)のコンビでこの曲の演奏が聴ける予定。11月18日(土)19時、文翔館ゲミュートリッヒにトーク&クラシック Vol.4。楽しみです。
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平岩弓枝『道長の冒険~平安妖異伝』を読む

2006年10月11日 20時00分03秒 | -平岩弓技
東京駅ブックガーデンで購入し、ホテルで読んだ本です。

冬と暗黒の国・根の国に捕えられた少年楽士・真比呂を救うため、トラネコの化身である寅麿とともに、藤原道長が旅をします。この物語の下敷きは、日本霊異記か聊斎志異か。いやいや、実はモーツァルトの歌劇「魔笛」ですね。
藤原道長が王子タミーノ、不思議な力を持つ笛「小水龍」が魔笛に相当し、トラネコ寅麿がパパゲーノ、白猫の紅眼児がパパゲーナ、真比呂の姉の無明王がパミーナ、復讐を誓う夜の女神は、もちろん夜の女王という具合です。
ただし、道長は既婚者で二人の妻を持っており、最後の最後に道長を慕う心を持った無明王と紅眼児の犠牲によって邪神は滅びます。

『平安妖異伝』という題名の前作があるようですが、まだ見つけておりませんので、真比呂クンってだれだ?と少々はてなの部分もあります。『御宿かわせみ』シリーズの著者の作品とは思えないご都合主義の展開はまるでおとぎ話のようですが、実は中公文庫の『南総里見八犬伝』や学研M文庫の『椿説弓張月』のような自由な縮訳古典ものを持っている平岩弓枝さんの世界の一つなのでしょう。

写真は黄泉の国の入り口じゃなくて、甥の結婚式の会場となったホテル。最近の若い人は、ずいぶん贅沢なのですね。正直、うらやましさ半分、もったいなさ半分。
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藤沢周平『玄鳥』を読む

2006年10月10日 20時59分39秒 | -藤沢周平
甥の結婚式のために上京し、往復の車中たくさん本を読みました。その中の一冊、藤沢周平の『玄鳥』。庶民の暮らしではなく、武家ものに区分されるべき短編集です。

粗忽者の兵六に亡き父の無外流の奥義を口伝で伝える娘を描く『玄鳥』。婿として迎えた夫が格式が大事とばかりにツバメの巣を取り払わせるなど、家庭に人間らしさがなくなっていく中で、藩に抹殺されようとする兵六に奥義を伝え、人間らしさを大切にしようとするささやかな抵抗を描いたのでしょうか。
「三月の鮠(ハヤ)」、御前試合で岩上勝之進に完敗した窪井信次郎は、人目を避けて釣りに明け暮れる風を装っています。自信を失い自暴自棄に近い心情でいたとき、森の神社で一人の巫女に出会います。かつて岩上家老によって惨殺された土屋弥七郎の家族のうち、娘の葉津だけが行方知れずになっていました。このたった一人の生存者を狙う黒い影がちらつきます。藩主の帰国を機に御前試合が行われ、岩上勝之進と信次郎との対決が再現します。敗北感に打ちのめされていた青年が、三月のハヤのような不幸な少女を守り、相手を倒すことで自信を取り戻す、印象的な物語です。
「闇討ち」は、隠居している三人の仲間のうち一人を罠にはめて闇討ちした中老を、残る二人が逆に仕返しする話です。だいぶ年を食って人は悪くなったけれど、かつての少年時代の友情は不変、ということでしょうか。
「みそさざい」では、嫁に行き遅れた娘に、金貸しの倅がなれなれしく訪ねています。狂って家人を惨殺した小頭に対し差し向けられた討手が、その金貸しの倅でした。この娘の父親は、偏屈という点では「臍曲がり新左」といい勝負でしょう。
「浦島」は、酒で失敗した男の、これまた人間くさい話です。

文春文庫に収められた藤沢周平作品、いずれもいい文章、いい話です。解説は中野孝次さん。往復の電車の中で、結局二度読み返しました。なお、写真は帰路空き時間に立ち寄った伝通院の梵鐘です。
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大雨で列車が遅れN響定期は「ダフニスとクロエ」だけ。

2006年10月09日 20時53分54秒 | -オーケストラ
甥の結婚式のため上京した土曜日は、大雨でした。出発は順調でしたが、米沢駅で1時間半ほど停車。大雨のため国道は土砂崩れで、列車も安全確認のためしばらく待たされ、ようやく運転を再開したと思ったら、雨降りがひどくて板谷駅でまたまた2時間ほど停車。トンネルの中なので携帯電話も圏外で通じません。3時半頃にようやく動きだし、減速運転で東京まで8時間かかりました。私達は指定席で本を読んでじっとしていましたが、デッキで立っていた人たちは、さぞ辛かったことでしょう。この日は合計32本が運休し、午前中に運行できたのは結局この列車だけで、午後も1本だけだったそうです。

そんなわけで、東京駅に着いたのが17時50分。予定していたN響定期演奏会、開演まで10分ではとても無理ですが、とにかく原宿まで行きました。NHKホールについたときは、アシュケナージ指揮でエレーヌ・グリモー(Pf)とのバルトーク「ピアノ協奏曲第3番」は第3楽章の終わり頃にさしかかっていました。モニターでステージの様子を見ることはできましたが、うーん、残念無念!
それでも休憩を利用してホールに入り、後半のラヴェル「ダフニスとクロエ」第1・第2組曲を聞くことができました。栗友会合唱団というのかな、かなりの人数の合唱がオーケストラ後方にならび、合唱付の演奏を楽しみました。



ここからは脱線です。ネットで申し込んだため、座席を選ぶことはできません。残念ながら、あまりいい席ではありませんでした。巨大なホールのため、いかんせん客席からステージまでがやけに遠い感じがします。演奏家の表情や動作が間近に見える山形テルサホールで山響の演奏を見慣れているだけに、演奏は良かったのですが、どこかよそよそしい感じがします。地方都市の手頃な大きさのホールで、奏者の表情や動きがよくわかる、ステージとの一体感が持てる地元のプロ・オーケストラの価値を再認識したところでした。
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甥の結婚式で東京へ行く

2006年10月07日 05時24分16秒 | Weblog
この三連休、甥の結婚式があり、東京へ行かねばなりません。長い交際期間を経てようやく重い腰を上げたお相手は、北陸生まれの方だとか。まずはよかった。衣装など荷物が多いので、文庫本を少し持参しますがノートパソコンは持参せず、本Weblogも数日留守にいたします。皆さん、秋の連休を、どうぞ有意義にお過ごしください(^_^)/
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ピアノの調律と室内の変化

2006年10月06日 07時03分15秒 | Weblog
本日は、ピアノの調律の日。このところあまり弾いていないと思っていたら、子どもが帰ってきてがんがん弾いて行ったので、ちょうどよかったかもしれない。
いつも調律に来てくれる調律師さん、もう長年のおつきあいなので、私の部屋がどのように変化しているか、つぶさに承知している。一時、パソコンが6台、LANを組んでいたときには、さすがに驚いていたようだった。その後台数を半分に減らしたので、「普通の」部屋に近くなったかも。
世間では次期 Windows の話題が出ているようだが、MS-DOS→Win3.1→95→98→NT4.0→2000→XP と忠実に(さすがにMeはパス)追いかけてきたユーザーとして、今回は様子を見ることに。それよりも、SuSE Linuxが興味深い。現在のFMV6450CL3ではさすがに非力になってきたので、新規Linuxマシンにちょいとフラフラ~(^_^;)>poripori
写真は、某所のオフィスのユリ。あまりに見事なので撮影させてもらったもの。
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モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」を聞く

2006年10月05日 07時00分21秒 | -協奏曲
音楽には、思わずウキウキしてくるようなタイプの曲があります。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲などは代表的な音楽だと思います。たとえばこの第5番「トルコ風」。

第1楽章、アレグロ・アペルト。オーケストラの堂々とした序奏のあと、ソロ・ヴァイオリンがもったいぶってひとしきりカデンツァ風のアダージョを歌い、その後にワクワクするような第1主題が現れる、という仕掛けが面白い。全体に躍動感あふれる音楽です。
第2楽章、アダージョ。優しく流麗な音楽です。
第3楽章、ロンド、テンポ・ディ・メヌエット。トルコ風の、という愛称は、この楽章の途中にある印象的な旋律から来るものだとか。一度聞くともう忘れられない部分です。

このところ聞いていたのが、先ごろなくなったアルミン・ジョルダンが指揮した、ピエール・アモイヤル盤。70年代の中ごろから、エラートがアルミン・ジョルダンのLPをたくさん発表しました。でも、当時はなかなか買えなかったのですね。全集分売ものと思われる(The Best Collection of Classical Music,CDMC-1048)このモーツァルトは、ゆるやかなテンポでありながらダルにならず、ヴァイオリンの高音と中低音を対比させつつ優しく流麗に歌うアモイヤルのヴァイオリンを支えています。1979年10月、スイスのクリッスィールにおけるアナログ全盛期の録音です。

参考までに、演奏データを示します。
■ピエール・アモイヤル(Vn)、アルミン・ジョルダン指揮ローザンヌ室内o.
I=10'23" II=11'11" III=8'36" total=30'10"
■ジャン=ジャック・カントロフ(Vn)、レオポルド・ハーガー指揮オランダ室内o.
I=9'54" II=10'15" III=7'56" total=28'05"
■アイザック・スターン(Vn)、ジョージ・セル指揮クリーヴランドo.
I=9'35" II=10'50" III=8'42" total=29'07"

こうしてみると、カントロフ盤のテンポが特徴的です。こちらも快活で美音の演奏。1984年、アムステルダムのヴァールス教会におけるデジタル録音(DENON COCO-70454)。スターン盤(LP 20AC-1577)は、躍動的なヴァイオリンとシンフォニックとさえ言いたいほどのオーケストラが築く堂々たる演奏。1963年、クリーヴランドにおける録音です。
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パストラーレ室内合奏団でベートーヴェン「七重奏曲」を聞く

2006年10月04日 22時37分09秒 | -室内楽
今日は、山形県文翔館議場ホールにて、パストラーレ室内合奏団の演奏会に行きました。開場前に到着してしまい、噴水のある広場で待機。ベンチにはすでに数組のカップルが語らい、高校生のお嬢さんが携帯電話をいじっています。夜気は涼しく、18度くらいでしょうか、風はないので上着を着てちょうどよいくらいです。
18時30分に開場、年代は若い人から年配まで幅広く、勤め先から直行したサラリーマンもいれば白髪の老夫婦もいらっしゃるという具合で、やや女性が多いようです。

パストラーレ室内合奏団は、山形交響楽団の奏者を中心とする、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、クラリネット、ファゴット、そしてホルンの七名からなっています。プログラムは

(1)W.A.モーツァルト、ファゴットとチェロのためのソナタ、変ロ長調、KV.292
(2)M.ハイドン、ヴィオラとチェロとコントラバスのためのディヴェルティメント
(3)ニールセン、甲斐なきセレナーデ
(4)L.V.ベートーヴェン、七重奏曲、変ホ長調、Op.20

今日のお目当ては、もちろんベートーヴェンの七重奏曲ですが、聞いたこともないニールセンの曲も、ちょっと興味があります。

さて、演奏会の開始はプログラムにないバルトークのルーマニア舞曲から。板垣ゆきえさんが進行役をつとめ、ヴァイオリンの中島光之さんが挨拶をします。そして最初の曲目がモーツァルト。ファゴットとチェロの音楽ですが、ファゴットという楽器の音色がこんなに魅力的なものだとは知りませんでした。フルートを吹いていた小学生のときに、ストラヴィンスキーの「春の祭典」のファゴットの出だしを聞いて、ファゴットという楽器を志したという高橋あけみさん、とても素敵な山響の女性ファゴット奏者です。センシティヴで情熱的でよく歌う山響の若いチェリスト・渡邊研多郎さん、通奏低音に終わらず、ファゴットとメロディを交代して、19歳のモーツァルトのメロディを奏でます。

続いてミヒャエル・ハイドンの面白い編成のディヴェルティメントです。山響のヴィオラ奏者・田中知子さんのまじめな演奏ぶりと対照的な真っ赤な衣装がおちゃめでした。それともう一つ、山響コントラバス奏者の柳澤智之さんのニックネームが「ポチ」というのだということを初めて知りました(^_^)/

次にニールセンの「甲斐なきセレナーデ」。面白い曲です。第一次世界大戦の前後、恋しい人の窓辺で、この編成でこの響きでセレナーデを演奏したら、私のような中年が「おっ、いいなぁ」などと顔を出すでしょうが、若い娘さんは顔は出さないかも。確かに「甲斐なきセレナーデ」ですね。

10分の休憩のあと、ベートーヴェンの七重奏曲。大好きな曲の一つで、以前にも記事を書いていますが、実際の演奏を見るのは初めてです。唯一山響団員ではないクラリネットの渡辺純子さんの音色のきれいなこと。山響ホルン奏者・八木健史さんの、思い切りのいいリズム。いやぁ、良かった!第五楽章のチェロの伸びやかで朗々たる歌に、あらためてこの曲の魅力を再確認しました。

弦と管との室内楽というのは、なかなか実演で聞く機会はそう多くありません。地元にオーケストラがあると、こういう機会も生まれるのですね。ありがたいことです。パストラーレ室内合奏団の意欲的な活動に敬意を表するとともに、やはりオーケストラは地域の文化的な財産だと痛感します。

次回はぜひシューベルトの「八重奏曲」を聞いてみたいものです。
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葬儀と初七日と四十九日~儀礼と本質

2006年10月04日 21時49分53秒 | Weblog
先日、親戚の法事があり、出席してきました。8月に葬儀が行われ、ちょうど四十九日にあたります。今回は、長老たちも出席しないため、若い喪主をカバーして運営しなければなりません。葬儀関係を取り仕切る立場になってはじめて、儀礼ではない葬儀の本質ということを考えました。

まず、逝去した故人の死亡診断書を持って、市役所に死亡届を出しに行く必要があります。すると、市役所では火葬と埋葬の許可証を出します。仏式の場合、住職と日程調整を行い、葬儀屋等にも連絡し、入棺・火葬・告別式・初七日・四十九日等のスケジュールを決め、弔問客に見える位置に掲示します。

火葬の日には、住職の読経と近親者等の焼香の後、火葬許可証を忘れずに持ち、斎場に行きます。遺骨は、頭蓋骨と歯とその他と分けて収集し、白木の箱に入れて持ち帰ります。歯は別の小さな専用の容器に入れます。

この遺骨と遺影に、戒名を書いた位牌を飾って、故人と生前ゆかりのあった人たちが行う別れの儀式が告別式。家族が自宅で戒律を守り、静かに暮らす期間が忌引として認められます。この期間の終わりが初七日です。

当地では、四十九日と百ヶ日法要を兼ねて営むことが多いのですが、この眼目は、墓に遺骨を納めること。集まった親族等が少しずつ遺骨を墓に納め、線香を供えて祈ります。終了後、参会者が食事を共にしますが、このとき喪主が参会者に謝意を表します。

なぜ葬儀で香をたき、焼香するのか。それはたぶん、ドライアイスなどがなかった昔は遺体の損傷が早く、死臭がただようのも早かったためでしょう。香は嗅覚を麻痺させて不快感を抑制し、故人への尊敬や愛情の確認を保障したのでしょうか。

こういう筋立てが理解できるようになってはじめて、儀礼と本質が見えてきます。嘆き悲しむ家族は、こういう気持ちのゆとりはもてません。親族や近所の人たちが、冷静に判断しながら葬儀等を取り仕切ります。無償ボランティアは、結局お互い様なのです。
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