電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ベートーヴェンの序曲「シュテファン王」を聴く

2012年06月15日 06時07分47秒 | -オーケストラ
最近、公私ともに多忙かつ心配事も少なからずありますので、ややストレスがたまっております。本当は、音楽でも聴きながら果樹園でサクランボの収穫をやっていれば、ストレス解消でよろしいのでしょうが、なかなかそうもいきません。せめて、楽しいオーケストラ曲を聴きたいものだと思いまして、選んだのがベートーヴェンの序曲「シュテファン王」です。

この曲は、出だしこそ金管がハデに炸裂しますが、すぐにのどかな田舎風の音楽に変わります。そうして、ウキウキと楽しげな、活力ある音楽へと展開していきます。これが繰り返され、最後は金管も加わって、スカッとさわやかな終わり方です。実に楽しい。

青木やよひ著『ベートーヴェンの生涯』によれば、この曲は、ベートーヴェンがゲーテから手紙をもらって、彼に会えるかもしれないと思ったのか、1811年に出かけた温泉保養地で、今のブダペストの国立劇場のこけら落としのために依頼され、作曲されたものだそうです。なんと、それではあの「恋人」アントーニア・ブレンターノと落ち合っていたかもしれない、謎のボヘミア旅行の産物なのですか!であれば、このワクワク感、嬉しそうな音楽の気分は、祝典劇の付随音楽であるというだけでなく、作曲者の個人的な事情からも、よく理解できます。大公トリオと同様に、堂々として明朗なベートーヴェンの面を楽しむことのできる音楽です。

演奏は、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団。1966年の10月に、クリーヴランドのセヴェランス・ホールで録音されています。手持ちのCDは、交響曲全集の中の一枚で、第4番と第7番の組み合わせにフィルアップされたものです。付録というには貴重な演奏、録音です。

■ジョージ・セル指揮クリーヴランド管      7'31"

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消化器内科で胃カメラをのみ、鮮明な画像に驚く

2012年06月14日 06時01分15秒 | 健康
定期検診で判明した貧血症状の原因を、栄養や運動不足などに帰着させず、たまにある胃の痛みに結びつけて、胃カメラをのんで来ました。30代の終わり~40代のはじめ頃に一度胃カメラの経験がありますが、最近再読した吉村昭著『光る壁画』(*1)の影響で、また胃カメラを体験してみようかという、実は興味本位の部分もあります。予約した消化器内科は、初めてのクリニックでしたが、お医者さんもスタッフも、なかなか感じの良いところでした。

当日は、絶食して胃カメラに臨み、例のどろりとした麻酔薬で口の中がじわ~っとしびれてきたところへ、さらに別の薬をスプレーでシュッシュッと噴霧し、昔よりもぐっと細くなった内視鏡をのみます。のどを通過するときは少々苦しいけれど、あとはそれほどではありません。カラーの画像を見ていると、まるで映画の「ミクロの決死圏」を見ているような鮮明さで、実に興味深いものです。へぇ~、これが私の胃袋の中か~!と感動です。

小さな胃炎が数ヶ所あるとのことで、ファイバーを差し込み、一部の組織を取って、病理検査に回すそうです。うーむ、まさかガンのようなものではあるまいなと、少々「いや~ん」な感じです。でも、麻酔のさめ方もきわめて早くスムーズで、二十年ぶりの胃カメラ体験は、なかなか貴重なものでした。



お医者さんの説明の際には、なんと個人用のノートが渡され、これに先ほどの胃カメラの写真が貼り付けてあります。そこで診断を聞くわけですが、なるほど、具体的で説得力があります。ちなみに、写真中の黒い点々は、ドクターが説明のために入れたもので、私の胃袋にほくろがあるわけではありません(^o^;)>poripori
来月にもう一度来院して、病理検査の結果をお知らせしますとのことで、さっそく予約を入れて来ました。

(*1):吉村昭『光る壁画』を読む~「電網郊外散歩道」2012年3月6日
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高木仁三郎『市民科学者として生きる』を読む

2012年06月13日 06時04分55秒 | -ノンフィクション
岩波新書で、高木仁三郎著『市民科学者として生きる』を読みました。著者については、詳しくは知りませんでしたが、太平洋戦争終結の玉音放送のときに七歳であったことからみて、私よりも一回り以上も年上だったようです。科学者として研究生活をおくっていた頃に、プルトニウムに関するシーボーグの記述に魅力を感じつつ、一方でシーボーグの著書中の次のような記述

実際の原爆の製造は、非常に独創的で輝かしい数多くの基本に関わるアイデアと、設計の詳細にわたる重要なアイデアを必要とした。(p.143)

に違和感を感じたと書いています。このあたり、ヒロシマで救援のため入市被曝し、長年にわたり原爆症で苦しんだ父を持つ私などは、違和感ではすまない、強烈な反感を感じてしまいます。

ところで、このコンパクトな新書の中でもっとも印象的だったのは、比較的初期に原子力研究の当事者であった高木氏による

原子力産業は、政治的意図や金融資本の思惑が先行して始められた産業であり、技術的進歩を基盤として自ら成長していった産業とはかなり性格を異にしていた。(p.72)

という指摘でした。

原子力発電の本質というのは、一度点火したら冷やして「おき火」にすることはできても消すことはできない、そういう「火」を使った蒸気機関の運転というものであり、産業というのは一定の技術的基盤の発展の上に成立するという常識から言えば、「消せない火」を飼いならす技術的進歩を基盤としない早期の産業化というのは、なんだかなあと思ってしまいます。
(かといって、3.11 を経た今となっては、技術的進歩が巨大地震や大津波等の自然災害を乗り越えられるとは思えませんが。)

原子力に関わる研究や技術に夢を抱いた世代の科学者が、原子力に疑問を抱き、自らの生き方を変えていった過程を振り返り、病の中で自伝として書き残した、興味深い本です。著者が62歳という年齢でガンに倒れた背景には、運転を停止した原子炉内の冷却水をバケツで汲んで汚染の程度を測定するという、若い時代の研究の過程で浴びることとなった放射線の影響があるのではなかろうかと、どうしても考えてしまいます。

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健診結果が届き、胃カメラを予約する

2012年06月12日 06時04分26秒 | 健康
先の定期検診の結果が届き、これまで十数年の間、まったく何も引っかからないで来た記録が途切れる「B」項目がありました。貧血症状を示す血色素値とヘマトクリットの値がぎりぎりでアウトでした。やや貧血症状と言ってよいでしょうか。そういえば、最近、たまにですが胃の上部で痛みを感じることがあります。潜血検査ではシロでしたが、たまに出血することもある、という状態の可能性もあり。診てもらったほうがよかろうと判断して、さっそく某消化器内科にて胃カメラの予約をしました。ワクワク、いや、ドキドキですね(^o^;)>poripori

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最初に読んだ吉田秀和の本

2012年06月11日 06時04分41秒 | 手帳文具書斎
先日来、98歳で亡くなった吉田秀和氏の著作を最初に読んだのは、果たして何だったのか、またいつ頃だったのか、調べてみたい(*)と思っておりました。テキストファイル備忘録では1989年までは遡ることができますが、間違いなくそれ以前のことですので、手帳やノートなど、紙の資料から探すことになります。読了した書名の記録は、学生時代からのものですので、探せばあるはずと思っていたところ、先日、偶然にデスクの抽出しの奥のバーチカルファイルの中から見つけました。1985年までの読書記録が、ちゃんと残っていました。

それによれば、最も古いのは1971年の9月、『現代の演奏』と『わたしの音楽室』の2冊のようです。この年は、10月と11月に、『音楽紀行』と『続・批評草紙』の2冊も読んでいますので、計4冊を読んだことになります。たぶん、図書館で借りたものと思いますが、レコード雑誌等における批評とは異なり、楽曲を深く分析しつつ、演奏の意味や方向性を考察するもので、たいへん感心した記憶があります。

それにしても、紙に書かれたパーソナルな記録というのは、意外に面白いものです。自分が若い頃に読んでいた本のリストを眺めていると、書名とともに読んでいた当時の状況が浮かんできます。懐かしいやら恥ずかしいやら、自分が耄碌する前に処分してしまえば、いつでも消せるという安心感はありますが、事故や病気で急死してしまえば話は別なのでしょう(^o^)/

(*):吉田秀和氏逝去~「電網郊外散歩道」2012年6月
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作業服のポケットの工夫に感心する

2012年06月10日 06時02分00秒 | 週末農業・定年農業
週末農業に従事する時は、専用の作業服に着替えます。素材はよく風を通し、着心地も良いので、重宝しています。一組が汚れたら洗濯をして、もう一組を代わりに着て仕事をします。ところで、この作業服のポケットについて、あらためてよく工夫されていることに感心してしまいます。



たとえば胸ポケットです。左胸のマジックファスナーをベリッと開けると、A6判のらせん綴じ小型ノートがすっぽり入る大きさであるだけでなく、ノートにはさんだボールペンの頭がちょうどのぞくように、ポケットのフタにペンさし穴があいていて、じゃまになりません。これはすごい。




そして、左胸のポケット内には、ストレート型の携帯電話を入れるのにちょうどよいサイズの区分がされており、携帯電話が内部で斜めになったり横になったりしないようになっています。もしかすると、これはタバコの箱を想定しているのかもしれませんが、非喫煙者の当方には、携帯電話用の工夫としか思えません(^o^)/



また、左上腕部にもボールペンを入れる程度の細長いポケットがついています。もしかすると、昔は計算尺等を入れていた(^o^;)のかもしれませんが、ここはクリップが強力なタイプでないと、上衣を脱いだときにポロリと落としてしまいそうです。ズボンにも便利なポケットがあり、全部にモノを入れたら、まるで超合金ロボットのようになってしまいそうです(^o^)/
いずれにしろ、作業服の便利な工夫に、あらためて感心してしまいます。

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農作業用ラジオを選ぶ

2012年06月09日 06時02分05秒 | 週末農業・定年農業
お天気の良い日に、畑で農作業に励み、水筒の麦茶で一息入れているとき、ラジオがあると良いなあと思います。ウォークマンは、一人だけで聞くには良いのですが、妻と一緒に同じニュースや番組に耳を傾けるには、単体のラジオの方が便利です。小型のポケットラジオがあるにはあるのですが、音量の点で、いかにも心許ない。量販店で眺めて見ると、けっこう各種のラジオがありました。先の震災の影響で、防災用品の一つとして用意する人が多かったためか、ポータブルラジオが何種類も並んでいます。しかも、千円札二枚で買えてしまうという恐ろしい価格の世界。昔、山登りをしていた若い頃に、気象情報を聞いて天気図を書くために小型ラジオを購入したときには一万円近くしたことを思うと、隔世の感があります。



一応、ソニー製品のものを選びました。SONY ICF-9 という型番の FM/AM 2バンドラジオで、単三乾電池2本で100時間以上聞くことができるようです。農作業用バッグに入れて、いつでも出動できるようにしておきましょう。



写真は、今が花盛りの白いシャクヤクです。中の方で、ミツバチがせっせと働いています。

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妻にプレゼントして喜ばれたCD

2012年06月08日 06時04分21秒 | クラシック音楽
先日の山形交響楽団の定期演奏会で、音楽監督の飯森範親さんにサインしてもらった、ニューイヤーコンサート2012のCD(*)を、妻にプレゼントしておりました。型番が EXCL-00083 というもので、いつもの山響自主レーベル「YSO-LIVE」ではなくて、エクストン・レーベルになっています。たぶん、会社側もこれなら商売になると判断して制作したものなのでしょう。実際、なかなかいい演奏・録音です。曲目は、

スッペ:喜歌劇「軽騎兵」序曲
レスピーギ:リュートのための古い舞曲とアリア 第3組曲
ベルリオーズ:「ファウストの劫罰」より 「ラコッツィ行進曲」
エロール:歌劇「ザンパ」序曲
ワーグナー:歌劇「タンホイザー」より「歌の殿堂をたたえよう」
ヴェルディ:歌劇「アイーダ」より「凱旋行進曲」
  ~飯森範親指揮・山形交響楽団、山響アマデウスコア

というもので、これならクラシック音楽マニアではない妻も大歓迎。おすすめです(^o^)/

(*):クラシック・フェイヴァリッツ~オクタヴィア・レコード
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和田竜『のぼうの城(下)』を読む

2012年06月07日 06時03分57秒 | 読書
小学館文庫で、和田竜著『のぼうの城』の下巻を読みました。忍城攻防戦の序盤は、守る側の意外な善戦が小気味よく描かれます。甲斐姫のエピソードが少しばかり騒々しく華を添え、有効射程距離を読みきった騎馬鉄砲の連射作戦や、付け入りを逆手に取ったおとり作戦、あるいは忍川の流れをせき止めた濁流作戦など、いずれもお見事です。泥田に囲まれた忍城は、たしかに攻めにくそうです。

そこで、石田三成は、師匠の秀吉の真似をして、七里におよぶ堤防を築き、水攻めを敢行します。城も田んぼも水面下に沈み、本丸に逃れた成田勢と領民たちは気落ちして眺めるしかありません。ところが、「のぼう様」長親は、水攻めを破る方法はある、と言います。ここからは見せ場ですので詳細は控えますが、なるほど、そう来ましたか、という展開でありました。

映画の方は、今秋に東宝系で公開される予定だとか。面白そうです。観てみたいものです。なんとなく、若手タレントのタメ口が満載の戦国エンターテインメントであろうとは予想がつくのですが、映像としてどんなふうに見せるのかに興味があります。

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和田竜『のぼうの城(上)』を読む

2012年06月06日 06時05分48秒 | 読書
出先の書店で、平積みになっているのを見つけて、小学館文庫の和田竜著『のぼうの城』上下巻を購入しました。映画の原作になっているようで、たしかに明るい戦国エンターテインメントになりそうです(^o^)/

豊臣秀吉の北条攻めに連動して、忍城を攻めたのは、石田三成と大谷刑部らの軍勢二万五千人です。これに対して、主な軍勢は小田原城に派遣されており、守勢はわずかに残る者たちばかり。ところが、家臣はおろか領民からさえ「のぼう様」と呼ばれる「でくのぼう」の成田長親が、豊臣方の高飛車な降伏勧告を拒否し、敢然と戦を主張します。家臣も領民も、「のぼう様」が戦と決したならば、助けてやらにゃなるめぇ、というような具合で、忍城内の一同は、圧倒的な不利を顧みず、戦を前に奮い立つのです。

このあたり、実際の忍城の攻防戦はどんなふうだったのか、まったく知識を持ちませんが、バンカラ高校生や元バンカラ中年あたりが好みそうな痛快なストーリー展開ではあります。ただ、なんとなく違和感を持つのは、忍城を守る一騎当千の強者たちが発する台詞です。たとえば、柴崎和泉守が家臣たちに言う台詞「おめえたちゃ手え出すんじゃねえぞ」(p.155)とか、正木丹波の台詞「餓鬼みてえになんだ」(p.184)とか、思わずガクッと来ます。忍城のあたりでは昔からこういう口調が普通なのか、そのへんは不明ですが (^o^;)>poripori

「武ある者が武なき者を足蹴にし、才ある者が才なき者の鼻面をいいように引き回す。これが人の世か。ならばわしはいやじゃ。わしだけはいやじゃ」

という「のぼう様」長親の品格と比べて、ぐっと格調が下がるように感じるのは否めません。

さて、下巻はどうなる?楽しみです。
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散歩ついでにお買い物

2012年06月05日 06時03分20秒 | 散歩外出ドライブ
週末農業の合間に、少しだけ街中を散歩。たまたま入った書店にて、佐藤賢一『黒い悪魔』を見つけました。たしか、『モンテ・クリスト伯』等の作者アレクサンドル・デュマの父親が主人公の話ではなかったかと思います。また、同店の中にCDコーナーがあるのを見つけ、コダーイ・カルテットの演奏でハイドンの第三トスト四重奏曲集の第1集(Op.64-1~3)と、マッジーニ四重奏団の演奏でブリテンの弦楽四重奏曲集第2集を購入してきました。後者には、シンプル・シンフォニーの弦楽四重奏版も収録されており、ちょいとマニアックにうれしいところです(^o^)/

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果樹園にシャクヤクが咲き、早生種サクランボは色づき始める

2012年06月04日 06時03分31秒 | 週末農業・定年農業
我が家では、自宅裏が果樹園になっています。先週はつぼみがだいぶふくらんでいたシャクヤクが、ようやく咲き始めました。果樹園には赤いシャクヤクが植えてあり、農作業の合間に目を楽しませてくれます。



2009年から本格的に始めた週末農業も四年目を迎え、すっかり板についてきました。六月に入ると、早生種サクランボの「紅さやか」が色づき始めます。この品種は、味は「佐藤錦」には劣るものの、さくらんぼの季節の到来を告げるもので、収穫作業も力が入ります。



また、もうすぐ佐藤錦に雨避けテントをかける作業が始まります。危険な高所作業ですので、自分ではとてもできません。昨年までお願いしていた人が、脚立から落ちて怪我をしたとかで断られましたので、別の人にお願いすることになりました。なんとか引き受けてもらって、一安心です。

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筆記具はお気に入りが数本あればよいのか?

2012年06月03日 06時03分00秒 | 手帳文具書斎
筆記具は、実用的には、良質のものが数本あれば足りるように思います。現に、私がふだん使うのは、
(1) Jetstream ボールペン(ラバー軸、インサイド)
(2) 万年筆 Pilot (M), Waterman(M)
(3) PowerTank ボールペン
これで十分に事足りてしまいます。それ以上のストックは、実はデスクの場所塞ぎなのではなかろうかと、最近は思うことがあります。物事をシンプルにする。そういう方向性です。

一方で、単身赴任生活をはじめたばかりの頃には、ストイックなシンプルライフの良さを感じましたが、やがて生活に潤いやゆとりを求めるようになりました。当面の衣食住はあっても、音楽を聴きたい、しかもタイマーで音楽を聴きながら目覚めたり眠りについたりするような便利な機能も、という具合です。同様に、筆記具くらいで気分が変わるのなら安いものだし、また無害でもあります。私たちの暮らしの振れ幅は、案外大きいのかもしれません。

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テレマン「パリ四重奏曲」を聴く

2012年06月02日 06時01分08秒 | -室内楽
生前には、大バッハの知名度はテレマンのそれに遠く及ばないものであったそうです。どんなふうにバッハ復興が行われたかも興味深いものではありますが、それにしてもテレマンの音楽がどんなものだったのか、当方はあまりよく知りません。このブログでも、「無伴奏フルートのための12の幻想曲」(*1)や、「ヴィオラ協奏曲」(*2)などについて、書いたことがある程度です。

そんなわけで、季節も良し、テレマンの「パリ四重奏曲」全六曲を、通勤の音楽として繰り返し聴いておりました。演奏は、有田正広のフラウト・トラヴェルソとトウキョウ・バロック・トリオ、すなわち寺神門亮(バロック・ヴァイオリン)、上村かおり(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、クリストフ・ルセ(チェンバロ)の四人。CDは DENON COCO-70521-2 という2枚組で、1992年8月にパリのコンセルヴァトワールで収録されたデジタル録音です。

Disc-1
(1) 四重奏曲第1番 ニ長調
(2) 四重奏曲第2番 イ短調
(3) 四重奏曲第3番 ト長調
Disc-2
(4) 四重奏曲第4番 ロ短調
(5) 四重奏曲第5番 イ長調
(6) 四重奏曲第6番 ホ短調

全六曲は、長調の曲と短調の曲とが同数含まれます。第3番が7曲からなるほかはみな6曲ずつで構成されており、組曲のスタイルをとっています。どれも数分程度の曲の集まりですが、いずれも魅力的な音楽、演奏で、ほぼ一週間の通勤の間、楽しく聴き続けることができました。



古楽器による、いわゆるピリオド・スタイルの演奏は、たいそう生き生きと活気があります。一昔前の重厚な演奏スタイルでは、たぶんこういう音楽は生き生きとは聞こえないのだろうと思います。ハンブルクに居を構えたテレマンは、生涯にただ一度、外国旅行をしたのだそうで、それがパリ旅行だったのだそうな。この曲集は、予約者名簿にJ.S.バッハの名前もあり、パリではたいへん人気があったとのことで、なるほどと納得です。

(*1):テレマン「無伴奏フルートのための12の幻想曲」を聴く~「電網郊外散歩道」2011年8月
(*2):テレマン「ヴィオラ協奏曲」を聴く~「電網郊外散歩道」2011年9月
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吉村昭『生麦事件(下)』を読む

2012年06月01日 06時03分33秒 | -吉村昭
新潮文庫の吉村昭著『生麦事件』下巻の始まりでは、イギリス艦隊が鹿児島湾に来るのを迎え撃つ薩摩藩の対応が描かれます。英国側の最高責任者である公使ニールと薩摩側の交渉は行き詰まり、事態はイギリス艦隊側が、薩摩藩所有の蒸気艦三隻を拿捕・曳航したことから、戦闘状態に入ります。たまたま嵐が来ていたために、艦隊側の砲撃も照準が定めにくく、武力の差にもかかわらず、互いに大きな被害を受け、イギリス側の圧倒的勝利というわけにはいきませんでした。

しかし、城下を焼かれ、大きな損害を出した薩摩藩では、島津久光が英国との和平を図り、圧倒的な武力の差を思い知った薩摩藩たちは、攘夷の無謀を体で実感し、藩論は急速に開国へとまとまっていきます。このあたりの描き方は、島津久光が名君へと成長していったことを示しており、説得力があります。

薩摩藩とイギリス公使館側との和平交渉は、オランダ語を介しての二段階通訳となりましたが、重野厚之丞とニール代理公使とのやりとりはなかなか緊迫したもので、読み応えがあります。とくに、軍艦購入を仲介してほしいとの条件は、たぶんニールもイギリス側の他の人も驚いたことでしょう。なんとなく、将棋で、取った駒を持ち駒として使えたり、「歩」が敵陣に入ると「金将」に変わったりする融通性に通じるところかなと思いますが、実に効果的に作用しました。徹底的に叩きのめすよりは、商売相手として組んだ方が良い、という判断を引き出したのですから。これによって、薩英同盟が成ったと見ることもできるでしょう。

いっぽう長州はどうなっていたか。薩摩藩は、長崎丸が長州側の砲撃を嫌って逃げ出したものの、機関過熱で火災となり、多くの人材を失います。当然のことながら、薩長はいがみあうことになりますが、ここに休暇を終えて再来日した公使オールコックが登場、代理公使ニールと交代します。オールコックは、英仏蘭米の四ヶ国と横浜村で会議を開催し、長州藩に対して実力行使を行うことを決定します。ここに、密出国して英国へ留学中に列強が長州藩に実力行使を決定したことを知って急遽帰国した伊藤俊輔(博文)と井上聞多(馨)の二人が登場、長州藩に攘夷の無意味を説得しようとするのですが、まったく効果がありません。結局、長州藩は四ヶ国連合艦隊にボロ負けするのですが、逆に薩摩藩に次いで攘夷の無意味さが骨身にしみた藩となります。こうなると、薩摩と長州は同じ土俵に立ったわけですね。な~るほど!

南北戦争の終結によってダブついていた銃砲が東アジアに流れてきて、これを薩摩名義で長州にも提供するという形で薩長同盟が成立します。このあたりは、武器商人が暗躍する世界であって、あまり胸をはって威張れるようなものではないような(^o^;)?poripori
西郷隆盛が言ったという、「明治維新は南北戦争のおかげでござる」という言葉の意味の一つは、たしかにこのあたりの事情を指すのでしょう。

吉村昭の歴史ものは、例外なく興味深い物語であるように思いますが、本書は題名の地味さにもかかわらず、歴史の大きな転換点となった時代を見事に描いています。抜群に面白いです。

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