豊見山和行さんの『琉球王国の外交と王権』を読んで深夜を過ごしていた。『琉球は、島津氏の領分という従属した地位に置かれながらも冊封・朝貢関係をテコとすることによって幕藩制国家内に解消されない王国として存続していたのである。冊封には、臣下層連名の≪結状≫が不可欠だった。尚豊冊封も例外ではなかった。なるほどです。ひょっとしたら現在の沖縄の未来は歴史を紐解くことによって糸口が見えてくるのかもしれない。清と薩摩(江戸幕藩体制)があり、その中で泳いでいた琉球王国だった。今、日本とアメリカの間にあって、沖縄の自決権を求める闘いの方策は? 膨大な基地と共存させられている現実は、さらに厳しいが、-それを「シムル」にする手段はありえるか?沖縄の賢者たちの声はどこ? . . . 本文を読む
乾隆28年、1763年生まれ、衣冠を着けることのできる身分に生まれ、蘇州の名園「ソウロウテイ」のほとりに住んだ清の画家 沈復(沈三白)の自伝。解説の桶谷繁雄は「私にはたいへんに奇異な本であったといえる。日本では明治時代までその習慣が残っていたが、十八世紀の清においては、妾の存在は公然たるものがあり、畜妾をすることは男の権利のように思われていたことがわかる。」と書いている。また「松枝茂夫によれば、亡妻陳芸(ちんうん)に対する切実の情がライトモチーフになっているとのことである。妻にたいする優しい気持がよく現れていると思う。」と短い解説である。 . . . 本文を読む