18歳で中原中也賞を受賞した若い感性のきらめきことばの何ともいえない淡いのような生き物のようなゆるりとしたような
日本語の誘惑に確かに参ってしまう。
ことばの誘惑があるのはそのとおりのようでそのようなことばで現実なり全実存を掬いあげるというなんでもない日常がことばによって浮き立っていくそれもその通りなのだと納得する高木敏次さんの詩もそのようなことばの不思議そのものかもしれないし現実と自らの在り様との距離のようなそんな微妙な生きているということの空気そのものがことばとして表象されてもおかしくはない。
さりとてこのあと何年ゆらりとこの世界の空気をすって水を飲んで生きていくのかどうかも分からない女としてのありようもまた不思議に満ちていてそれでいてやはりこの世の見えない縛りの中に生きているのもその通りで一人カラオケで歌うのだという青年がいてそれもそれで面白い学生たちの書いた英文日記などを読みながらまたテストなど調べながら時がたつ最中にラジオで聞いた【人類館】についてのトークショウなども聴いていたりしたまえたけにしさんがHNKのラジオで長いこと話していたのをたまたま録音していてそれを聞くことになった【人類館】は何しろ私自身アメリカで大学院生たちと演出した思いで深い作品なのでコロンビア大学で人類学を学んだという彼の体験、9・11以降のイスラム教徒なり中東の人間へのアメリカの管理するシステムからこぼれる差別への言及と笑いが【人類館】と結びつくそんなトークになるほどなどと思っていたりした。
自らをペーソスにくるんで笑う他ない現実というのがあるお笑い芸人もよくやるがさほどテレビは見ないのでたまさかのお笑いがなぜか脳裏に焼きつくほどでただ悲惨さや腑に落ちないなりゆきの前にただそれを体験を笑いに包んで語るほかないスポットのようなものがあるのだろうと思いいたるだけである。
詩人の表現がもう大きなラベルのものではなく微細な生存の今の揺らぎをひたすら語る幽霊のような存在狂喜のような自らの中の怪奇じみた存在も含めそれらをすべて書いていく時人間の不思議さと面白さがまた浮き立つのもその通りなのだろうと思える。
深夜にでも朝4時過ぎに思わず気になる人にメールをしたりしたがそれも不思議の一つであれこれとやらなければならない事が重なって総べて投げ出したくなっているところになぜか顔や眼差しが浮かんでは消えていくちかちかと点滅するように脳裏に浮かぶ顔が何かを訴えているようにも思えされどそれもこちらの観念の中から繰り出されてくるものだとも思え以前見たものの正体を確かめたいという思いがつらつらそこにあるということかという思いもありでもそれが何なのか単なる固執なのか分からないままにそれらに流されてみるのもいいかもしれないと思ったりしているのもその通りで83歳のいつも賢明な女だと思う母の顔が澄んでいくその有り様に魅せられてもいていつまでもその澄んでいく女のわたしを産み育ててくれた女性の声に安らかさを覚えいつまでも見捨てることなく見つめている眼差しに感謝しながらも生きにくい世の中でどれだけこうして漂っていけるかもあやしいと思いつつ時に漂っているその深刻さがやがてどこかからやってくるのだろうがしばしそんな日常の規範の束縛は考えたくないがそれらがジワリとやって来る時ヤンバルの自然の中に逃げようなどと考えてもいるそれはその通りなんだつまりこの制度というものががんじがらめにもう背負いきれないほどのものをかぶせて来るそれらから逃げたいと思いつつ生きてもいるその時にどうなってもいいのだとつまり逃げられるなら逃げたいあの地獄の眼の正体を見たいという思いもあるその前に責務のストーカーが追いかけている人の営みがありそれらの営みの檻が待ち構えているような時がそこにありその中でおぼれそうな気配でもあるそれでも思念は燃えているところがありそれもどこまでことばとしてまとめることが可能かも良く判断できないままに流れている価値というものがあるどこに価値を置けばいいのか義務の中に埋没するのかそうはしたくないのであればこれらの課題にエネルギーをむけたりしてはいるされどどこに形を形として残そうとするのか何よりただ語りたいと思うかの人とのことばのエロスを感じていたいだけなのかもしれないそれすらも現実からの逃げなのかどうかわからない境目のなさの前に嘘を生きているのねと誰かが云い捨てればその通りよと素直に答えてしまうのも見えている。
これからパワーポイントに向きあわなければねフライトのチケットを大学に取りに行く必要もあったこうなれば30分で発表できる中身の整合性をしっかりすればいいのであって後は多くの研究発表やパネルなどとの恋愛がうまくいけばいいのであるすると新たな関係性が生まれるそこにロマンを持つだけであるこんな実験的な心も面白いね心の襞に触れる言葉を交わしたいものだが17歳が言うように人は生のことばで自らを伝えることは不可能で書かれた文字の方が伝えやすいかもしれないねなどというのも興趣がある。
早朝のざわめきは小鳥たちが先で蝉時雨はその後に襲ってくる昆虫の羽音がまた耳を敏感にさせる朝寺の僧侶の呻きが聞こえてくるようだ朝6時の寺の鐘の音色が強烈に響くこんな朝は久しぶりのことだった!
<母の家の庭に咲く花>
日本語の誘惑に確かに参ってしまう。
ことばの誘惑があるのはそのとおりのようでそのようなことばで現実なり全実存を掬いあげるというなんでもない日常がことばによって浮き立っていくそれもその通りなのだと納得する高木敏次さんの詩もそのようなことばの不思議そのものかもしれないし現実と自らの在り様との距離のようなそんな微妙な生きているということの空気そのものがことばとして表象されてもおかしくはない。
さりとてこのあと何年ゆらりとこの世界の空気をすって水を飲んで生きていくのかどうかも分からない女としてのありようもまた不思議に満ちていてそれでいてやはりこの世の見えない縛りの中に生きているのもその通りで一人カラオケで歌うのだという青年がいてそれもそれで面白い学生たちの書いた英文日記などを読みながらまたテストなど調べながら時がたつ最中にラジオで聞いた【人類館】についてのトークショウなども聴いていたりしたまえたけにしさんがHNKのラジオで長いこと話していたのをたまたま録音していてそれを聞くことになった【人類館】は何しろ私自身アメリカで大学院生たちと演出した思いで深い作品なのでコロンビア大学で人類学を学んだという彼の体験、9・11以降のイスラム教徒なり中東の人間へのアメリカの管理するシステムからこぼれる差別への言及と笑いが【人類館】と結びつくそんなトークになるほどなどと思っていたりした。
自らをペーソスにくるんで笑う他ない現実というのがあるお笑い芸人もよくやるがさほどテレビは見ないのでたまさかのお笑いがなぜか脳裏に焼きつくほどでただ悲惨さや腑に落ちないなりゆきの前にただそれを体験を笑いに包んで語るほかないスポットのようなものがあるのだろうと思いいたるだけである。
詩人の表現がもう大きなラベルのものではなく微細な生存の今の揺らぎをひたすら語る幽霊のような存在狂喜のような自らの中の怪奇じみた存在も含めそれらをすべて書いていく時人間の不思議さと面白さがまた浮き立つのもその通りなのだろうと思える。
深夜にでも朝4時過ぎに思わず気になる人にメールをしたりしたがそれも不思議の一つであれこれとやらなければならない事が重なって総べて投げ出したくなっているところになぜか顔や眼差しが浮かんでは消えていくちかちかと点滅するように脳裏に浮かぶ顔が何かを訴えているようにも思えされどそれもこちらの観念の中から繰り出されてくるものだとも思え以前見たものの正体を確かめたいという思いがつらつらそこにあるということかという思いもありでもそれが何なのか単なる固執なのか分からないままにそれらに流されてみるのもいいかもしれないと思ったりしているのもその通りで83歳のいつも賢明な女だと思う母の顔が澄んでいくその有り様に魅せられてもいていつまでもその澄んでいく女のわたしを産み育ててくれた女性の声に安らかさを覚えいつまでも見捨てることなく見つめている眼差しに感謝しながらも生きにくい世の中でどれだけこうして漂っていけるかもあやしいと思いつつ時に漂っているその深刻さがやがてどこかからやってくるのだろうがしばしそんな日常の規範の束縛は考えたくないがそれらがジワリとやって来る時ヤンバルの自然の中に逃げようなどと考えてもいるそれはその通りなんだつまりこの制度というものががんじがらめにもう背負いきれないほどのものをかぶせて来るそれらから逃げたいと思いつつ生きてもいるその時にどうなってもいいのだとつまり逃げられるなら逃げたいあの地獄の眼の正体を見たいという思いもあるその前に責務のストーカーが追いかけている人の営みがありそれらの営みの檻が待ち構えているような時がそこにありその中でおぼれそうな気配でもあるそれでも思念は燃えているところがありそれもどこまでことばとしてまとめることが可能かも良く判断できないままに流れている価値というものがあるどこに価値を置けばいいのか義務の中に埋没するのかそうはしたくないのであればこれらの課題にエネルギーをむけたりしてはいるされどどこに形を形として残そうとするのか何よりただ語りたいと思うかの人とのことばのエロスを感じていたいだけなのかもしれないそれすらも現実からの逃げなのかどうかわからない境目のなさの前に嘘を生きているのねと誰かが云い捨てればその通りよと素直に答えてしまうのも見えている。
これからパワーポイントに向きあわなければねフライトのチケットを大学に取りに行く必要もあったこうなれば30分で発表できる中身の整合性をしっかりすればいいのであって後は多くの研究発表やパネルなどとの恋愛がうまくいけばいいのであるすると新たな関係性が生まれるそこにロマンを持つだけであるこんな実験的な心も面白いね心の襞に触れる言葉を交わしたいものだが17歳が言うように人は生のことばで自らを伝えることは不可能で書かれた文字の方が伝えやすいかもしれないねなどというのも興趣がある。
早朝のざわめきは小鳥たちが先で蝉時雨はその後に襲ってくる昆虫の羽音がまた耳を敏感にさせる朝寺の僧侶の呻きが聞こえてくるようだ朝6時の寺の鐘の音色が強烈に響くこんな朝は久しぶりのことだった!
<母の家の庭に咲く花>