志情(しなさき)の海へ

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ゴーヤーと言い慣れているのでゴーヤに違和感が起こった!

2024-11-01 03:15:00 | 詩、詩集
 (琉球新報10月31日) 
詩集の題名に登場したゴーヤである。ゴーヤーは苦いと決め切っているような表象が気になった。
 味の苦さにも確かにグレードがあるかもしれない。品種改良もなされている。しかし、ゴーヤーを特別苦いと感じないゆえに、と言うのも毎日でもゴーヤーチャンプルーは飽きない料理ゆえに、苦味の深淵さと人と人の違い、差異に比喩した詩篇に興味を持った。
 読んでみたい詩集だが、ゴーヤに心が躓いてしまった。
ゴーヤは、自ら種や苗から育ててきたゴーヤーとは異なったものに思えてしまって、まず違和感を覚える。
 ガザのジェノサイド、となんと安易に書けることか、スクリーンを通して、SNSの中から写真や映像が、生々しい瓦礫の山になった街や殺戮されるパレスチナの子供達や母親たち、若者たちが目に飛び込んでくる。
 チマナグサイ情景が突き刺してくる。しかし、目撃させられる街と人間の破壊、虐殺を、止められない。
 世界の良識は、止められない。一人、十人、何百人と殺戮される人々を救えない。国連も飢餓に襲われている人々を救えない。
 見殺しにされ、拷問を受け、家畜のように、餌を与えられ、人間としての尊厳を剥ぎ取られていく動画が流れる。
 目を背け、見ないふりをして、ゴーヤー棚のゴーヤーの実に一喜一憂しつつこなたで生きている。
 こなたの時間感覚の中で、ルーティーンを繰り返す。
 猫たちにドライフードやカツオ節や鶏の胸肉を焼いてあげる。
かなたでは、飢えた人々が食料配給車に鍋をもって押し寄せる。
 飢餓で痩せ細っていく。
Xをオンにする度に、死者が増えていくニュースが続く。
 殺戮がまるでゲームのようになされ、ターゲットになった子供たちは、瓦礫の中で死体になっていく。
神は存在しない。
 救える命をあえて救わない。この地球社会の悪魔の鞭は風を切ってブンブン唸っているのらしい。
 ゴーヤーはまだ実をつけている。ゴーヤは知らない。


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