(太陽が輝いている朝)
前に書いた詩の続きを意図していた。「コウモリを食べた」話を詩にするつもりで、書いていたのだが、なぜか前にすすめなかった。彼女のことばは録音していた。それをじっくり確かめて書きたいと思っていて、取り組めなかった。次回は耳を澄まして残されたことばを受け止めたい。
前に書いた詩編に少し手をいれて出すことにした。ローゼルさん、感謝!
雨
雨がしとしと降っています
雨だれは 哀し八月 君の涙
来た道を振り返る真夏
一瞬に消える光景
繰り返される命のつらなり
再生する都市
何度でも消えて
生まれるのか
雨がしとしと降っています
国と国の峡間で降る雨
見える聞こえる雨だれ
見えない聞こえない雨だれ
しとしと しとしと
雨が降っています
配水管から流れる雨の音が聞こえてきます
屋上から落ちてくる音
川の流れのように
落ちていく
そこにヒヨドリがピーピーピーと
あたりの空気を制するように
鳴いています
雨がしとしと降っています
地球がしばし涙を流しているようです
今この時(最後の校正かな?)大分変った。
わたしはここにいておわらない作業をパソコンの前で続けている。イヤフォンから聞こえてくるバッハのピアノやヴァイオリンやフルートの調べはここちよく、やはり永久にここでキーボードを押しているのではという思いは過る。
骸骨になってパソコンのキーを打っている後姿が頭を掠める。
ヘッドフォーンでバッハを聴いていても、外から風雨の音がアルミサッシを通り越して進入してくる深夜、誰も居ない研究室にぽつねんとキーを打つ手が生きている証拠。意識は眠気も起こらず鮮やかすぎるほどはっきりしていて、地下水脈の根の郵便配達さんの詩など読んだものだから、それもブログで紹介されていて、かするように眼を通しただけなのだけど、かなたでは、いてつく寒さの中で難民になった生きるための闘いが繰り広げられていて、暖かい暖房のある研究室でキーを打つ手、それもしかし闘いに違いはないはずだった。期限という時との闘いがあり、それまでに形にしなければならない思念が、ことばがまっているという、紛れもない事実がある。ことばとの闘いだ。形にそった思念のまとまりが問われているということは、大小の無数のフレーム、形、形式、形態に取り囲まれて生き生かされていることを暗示する。
かの方も役割という役者を生きていて、それはあなたもわたしもかれもかわりはないはずなのだ。あなたの役割、わたしのやくわり、それぞれの役柄を演じているのだったね。そう、そして時の川にゆだねられた起源、期限がある。命の期限がある。ある日突然たちきられる不思議の時間を泳いでいるのか漂っているのか走っているのか歩いているのか、動いているのは確かなんだ。確か小学生の頃、祖母も両親も、みんな消えてしまうということにおののいたことがあった。
バッハはいい。ここちよいリズムに包まれて、ただPCに向かっているささやかな時、身体が揺さぶられる戦慄、旋律がある。それはあらゆる哀しみをこめた旋律・調べ・震え、それをきみといっしょに聴いていたい。
こうしているとただとほうもなくこの場にいるような、その錯覚に陥るのよね。その目覚めのとき、まだ終わっていないという不安がやってきたりする。すくなくともおわりに向かっているのは確かだ。小さなおわり、大きなおわりをくりかえしている。その小さな一つのおわりに次の期限がまっている。
彼女たち、お母さまたちの歌にあわせて踊りたい、という切実さは鎮魂に他ならない。あなたの娘であったわたし、あなたをあなたの美しさを、かなしさを称えたい、そして、永久のかなたであなたに会いたいという、彼女たちの激しい思いがストレートに投げられてきた。それは受け止めざるをえなかった。そうあなたもわたしもかれも永遠という明日が待ち受けているのだから~。
深夜の独り言、おわりがこないとこの作業はおわらない。
今この時
わたしはここにいておわらない作業をパソコンの前で続けている。おわらないままに永遠にそこにいるのではと恐れるわけではない。イヤフォンから聞こえてくるバッハのピアノやヴァイオリンやフルートの調べはここちよく聞こえてきて、やはり永久にここでキーボードを押しているのではという思いは過る。
骸骨になってもパソコンのキーを打っている後姿が掠めていく。
ヘッドフォーンでバッハを聴いていても、外から風雨の音がアルミサッシを通り越して進入してくる深夜、誰も居ない研究室にぽつねんとキーを打つ手が生きている証拠。意識は眠気も起こらず鮮やかすぎるほどはっきりしていて、地下水脈の根の郵便配達さんの詩など読んだものだから、それもブログで紹介されていて、かするように眼を通しただけなのだけど、かなたでは、いてつく寒さの中で難民になった生きるための闘いが繰り広げられていて、暖かい暖房のある研究室でキーを打つ手、それもしかし闘いに違いはないはずだった。期限という時との闘いがあり、それまでに形にしなければならない思念が、ことばがまっているという、紛れもない事実がある。ことばとの闘いだった。形にそった思念のまとまりが問われているということは、大小の無数のフレーム、形、形式、形態に取り囲まれて生き生かされているのだね。
かの方も役割という役者を生きていて、それはあなたもわたしもきみもかわりはないはずなのだ。君の役割、わたしのやくわり、それぞれの役柄を演じているのだったね。そう、そして時の川にゆだねられた起源、期限がある。命の期限があるということが不思議で、ある日突然たちきられる不思議の時間を泳いでいるのか、漂っているのか走っているのか歩いているのか、動いているのは確かなんだ。確か小学生の頃、祖母も両親も、みんな消えてしまうということにおののいたことがあった。
バッハはいい。ここちよいリズムに包まれて、ただPCに向かっているささやかな時に感謝したい。身体が揺さぶられる戦慄、旋律がある。それはあらゆる哀しみをこめた旋律・調べ・震え、それをきみといっしょに聴いていたい。
こうしているとただとほうもなくこの場にいるような、その錯覚に陥るのよね。その目覚めのとき、まだ終わっていないという不安がやってきたりする。すくなくともおわりに向かっているのは確かだ。小さなおわり、大きなおわりをくりかえしている。その小さな一つのおわりに次の期限がまっている。
彼女たち、お母さまたちの歌にあわせて踊りたい、という切実さは鎮魂に他ならない。あなたの娘であったわたし、あなたをあなたの美しさを、かなしさを称えたい、そして、永久のかなたであなたに会いたいという、彼女たちの激しい思いがストレートに投げられてきた。それは受け止めざるをえない。そうあなたもわたしもきみも永遠という明日の期限が待ち受けているのだから~。
深夜の独り言、おわりがこないとこの作業はおわらない。
今この時
わたしはここにいておわらない作業をパソコンの前で続けている。おわらないままに永遠にそこにいるのではと恐れるわけではない。イヤフォンから聞こえてくるバッハのピアノやヴァイオリンやフルートの調べはここちよく聞こえてきて、やはり永遠にここでキーボードを押しているのではという思いは過る。
骸骨になってもパソコンのキーを打っている後姿が掠めていく。
存在そのものが罪に包まれていて、この存在が食らって食らってきた年月は生き物の生きているだけの罪を背負っているのだから、その罪をすべて振り捨てて消える。この意識からこのパソコンの前から消えるのは爽快なことなのかもしれない。
ヘッドフォーンでバッハを聴いていても、外から風雨の音がアルミサッシを通り越して進入してくる深夜、誰も居ない研究室にぽつねんとキーを打つ手が生きている証拠。意識は眠気も起こらず鮮やかすぎるほどはっきりしていて、地下水脈の根の郵便配達さんの詩など読んだものだから、それもブログで紹介されていて、かするように眼を通しただけなのだけど、かなたでは、いてつく寒さの中で難民になった生きるための闘いが繰り広げられていて、暖かい暖房のある研究室でキーを打つ手、それもしかし闘いに違いはないはずだった。期限という時との闘いがあり、それまでに形にしなければならない思念が、ことばがまっているという、紛れもない事実がある。ことばとの闘いだった。形にそった思念のまとまりが問われているということは、大小の無数のフレーム、形、形式、形態に取り囲まれて生き生かされているのだね。
かの方も役割という役者を生きていて、それはあなたもわたしもきみもかわりはないはずなのだ。君の役割、わたしのやくわり、それぞれの役柄を演じているのだったね。そう、そして時の川にゆだねられた起源、期限がある。命の期限があるということが不思議で、ある日突然たちきられる不思議の時間を泳いでいるのか、漂っているのか走っているのか歩いているのか、動いているのは確かなんだ。
バッハはいい。ここちよいリズムに包まれて、怒りなくただPCに向かっているささやかな時に感謝したい。身体が揺さぶられる戦慄、旋律がある。それはあらゆる哀しみをこめた旋律・調べ・震え、それをきみといっしょに聴いていたい。
こうしているとただとほうもなくこの場にいるような、その錯覚に陥るのよね。その目覚めのとき、まだ終わっていないという不安がやってきたりする。すくなくともおわりに向かっているのは確かだ。小さなおわり、大きなおわりをくりかえしている。その小さな一つのおわりに次の期限がまっている。
彼女たち、お母さまたちの歌にあわせて踊りたい、という切実さは鎮魂に他ならない。あなたの娘であったわたし、あなたをあなたの美しさを、かなしさを称えたい、そしてとわのかなたであなたに会いたいという、彼女たちの激しい思いがストレートに投げられてきた。それは受け止めざるをえない。そうあなたもわたしもきみも永遠という明日の期限が待ち受けているのだから~。
深夜の独り言、おわりがこないとこの作業はおわらない。
やはり詩は時間をかけてことばを練りあげるものだ。即興の欠陥をいつも印刷後に見つけている。反省
今この時
永遠にわたしはここにいておわらない作業をパソコンの前で続けている。おわらないままに永遠にそこにいるのではと恐れるわけではない。イヤフォンから聞こえてくるバッハのピアノやバイオリンやフルートの調べはここちよく聞こえてきて、やはり永遠にここでキーボードを押しているのではという思いは過る。
骸骨になってもパソコンのキーを打っている後姿が掠めていく。それも悪くはないのだ。存在そのものが罪に包まれていて、この存在が食らって食らってきた年月は生き物の生きているだけの罪を背負っているのだから、その罪をすべて振り捨てて消える。この意識からこのパソコンの前から消えるのは爽快なことなのかもしれなかった。
ヘッドフォーンでバッハを聴いていても、外から風雨の音がアルミサッシを通り越して進入してくる深夜、誰も居ない研究室にぽつねんとキーを打つ手が生きている証拠。意識は眠気も起こらず鮮やかすぎるほどはっきりしていて、地下水脈の根の郵便配達さんの詩など読んだものだから、それもブログで紹介されていて、かするように眼を通しただけなのだけど、かなたでは、いてつく寒さの中で難民になった生きるための闘いが繰り広げられていて、暖かい暖房のある研究室でキーを打つ手、それもしかし闘いに違いはないはずだった。期限という時との闘いがあり、それまでに形にしなければならない思念が、ことばがまっているという、紛れもない事実がある。ことばとの闘いだった。形にそった思念のまとまりが問われているということは、大小の無数のフレーム、形、形式、形態に取り囲まれて生き生かされているのだね。
かの方も役割という役者を生きていて、それはあなたもわたしもきみもかわりはないはずなのだ。君の役割、わたしのやくわり、それぞれの役柄を演じているのだったね。そう、そして時の川にゆだねられた起源、期限がある。命の期限があるということが不思議で、ある日突然たちきられる不思議の時間を泳いでいるのか、漂っているのか走っているのか歩いているのか、動いているのは確かなんだ。
バッハはいい。ここちよいリズムに包まれて、怒りなくただPCに向かっているささやかな時に感謝したい。身体が揺さぶられる戦慄、旋律がある。それはあらゆる哀しみをこめた旋律・調べ・震え、それをきみといっしょに聴いていたい。
こうしているとただ永遠にこの場にいるような、その錯覚に陥るのよね。その目覚めのとき、まだ終わっていないという不安がやってきたりする。すくなくともおわりに向かっているのは確かだ。小さなおわり、大きなおわりをくりかえしている。その小さな一つのおわりに次の期限がまっている。
彼女たち、お母さまたちの歌にあわせて踊りたい、という切実さは鎮魂に他ならない。あなたの娘であったわたし、あなたをあなたの美しさを、かなしさを称えたい、そして永遠のかなたであなたに会いたいという、彼女たちの激しい思いがストレートに投げられてきた。それは受け止めざるをえない。そうあなたもわたしもきみも永遠という明日の期限が待ち受けているのだから~。
深夜の独り言、おわりがこないとこの作業はおわらない。