志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

季刊詩誌『あすら』が佐々木薫さんからローゼル川田さんにバトンタッチされた!ローゼルさんは第45回山之口貘賞受賞、貘生誕120年の2023年だった!

2023-12-26 01:03:23 | 詩、詩集
ローゼル川田さんは、水彩画&随筆で新聞連鎖を続けている方で、俳人であり、2018年から詩集を出版、4冊目にして、記念すべき年に第45回目の貘賞受賞者である。第2刷改訂版発行、おめでとうございます!『あすら』に投稿されていた詩編がまとめられている。ああこれはすごいなーと思った長編詩が圧巻で、受賞されたのはふしぎではなかった。普段は設計アトリエを主催されている多忙な方だ。
 
詩集『今はむかし むかしは今』をひも解くと、水彩画&随筆者の物を、対象を見すえる眼差しの鋭さ、柔らかさに引き込まれていく。
 冒頭の「木造映画館」は昨今建物が壊されることになった「首里劇場」の在りし日の思い出が綴られている。少年の時、毛布にくるまって実際に二階席で舞台ではなく映画を観た経験がほのぼのとして浮かび上がってくる。実際にその場にいたのである。
 首里劇場ではあの木造の椅子に座って実際にわたしも映画を観たことがある。劇場オーナーの金城さんに舞台や周りの様子をご説明してもらい、それを映像と写真に撮ったことは懐かしい。芝居小屋だったのだ。舞台の上に寝泊まりしながら一座のみなさんはそこで料理をし、1週間の興行を続けてきたのである。その時のかまども残っていた。
 首里劇場は幽霊どころとしても知られていたようだが~。
その劇場は「夏は風通しの良い大空間であり 冬も風通しの良い寒い空間であり 毛布付きで快適だった 時代の流れを敏感にキャッチしながら 逞しく生き延びたてきた 72歳になった沖縄最古の木造映画館 セミの大合掌が 観客のいない 首里劇場の大屋根に 降り注いでいる」
 ローゼルさんにとってはあくまで映画館だったのだ。しかし元々劇場だった。小さな花道もあり、二階席から眺める舞台もなかなかに良かったに違いない。劇場としての首里劇場が映画に転換したのは、時代の推移、変化によるが、それでもたまには劇場として、舞台上演もあったのである。首里劇場の記録は映画通の方々がしっかりまとめているようで、頼もしいが、沖縄演劇の上演の場だった記憶や記録はどなたかまとめているだろうか。
 ところで長編詩の「痕跡の長い一日」は戦後78年経ってなお、当時の未使用砲弾80発が実際見つかった現場にいたローゼルさんのドキュメンタリータッチの詩編で、戦後「0」年の沖縄そのものが実在した壕と共に、せり出してくる。
 「とおいあなた」や「おかあさぁーん」はローゼルさんの癌で亡くなられた奥様との出会いと別れの詩だと推測したのだが、京都で暮らした青春時代の思い出と共に、沖縄を背負って立った若き頃の姿とその後の「おかあさぁーん」の叫び声が胸に迫ってくる。故郷京都を偲ぶ奥様への思いが込められているようだ。
 今回の第2刷には過去に出版された詩集から抜き出した詩編が収録されている。なかでも全部うちなーぐちの「まんがたみー」そうがかえ、が味わい深い。
 最後の詩編「と歩の道くさ」は『あすら』74号にも掲載された詩だが、現在の国際通りの風情と失われた光景や人々への追慕の念が、ユーモアを込めてまとめられている。「ブラインド越に空を見上げると 西寄りの天空に 満月は煌々と輝き 地上は銀色の昼間のように 満月はソッポをむいた」
 淡々と描かれているように見えるのだが、奥深い。
 さて『あすら』74号の装丁が幾分変わってきた。

 『あすら』も「あすら舎」も持続してほしいと念じる。
ローゼルさんゆえの「あすらの扉」を紹介したい。

 


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