志情(しなさき)の海へ

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≪キジムナーフェスタ≫存続提言:シンポ「文化の損失」l危惧←沖縄の声があまり聞こえてこない!

2013-12-26 18:25:29 | グローカルな文化現象

このシンポジウムの詳細が知りたいが、この小さな紙面から、問題の焦点が浮かんではこない。商標権の問題はどうだったのか?下山 久総合プロデューサー体制のどこがよくて、どこに問題があったのか?単に文化の損失と言い切る前に、問題点を指摘してほしい。下山独断体制はなかったのだろうか?キジムナーのスタッフとして、演出の冨田さんが海外経験を豊富にする恵まれた位置にあって、それが育ってきたのはいい。しかし、一番の疑問は、8年間、主に戦争や世界の問題をテーマにして平和的世界のコミュニケーションをテーマにしていたにも関わらず、例えば一回きりの津嘉山正種の朗読劇の「人類館」ではなく、真に沖縄の本質的な問題を世界の演劇人に知らせるために、「劇団創造」のその作品を毎年上演するほどの、≪演劇のもつ本質的な力=想像力や政治的物理パワー≫を生かすことをしなかったのである。

謝名元慶福さんの「島口説」「命口説」も一回も上演されなかった。真に沖縄の歴史・文化・戦争を問う舞台を下山さんはプロデユースしなかったのだね。観光客が安易に喜ぶような軽いタッチの舞台を冨田さんなどと創作していた。ACOの舞台がそうだ。しかし、それは海外から招聘された世界の演劇に匹敵するものではなかった。軽すぎたのである。その軽さのままでよしとする姿勢は、どんなに平田オリザが「同フェスタの国際的な評価は高まっている」と発言しても、平田オリザの作品すら見たことのない沖縄の演劇人が多く、坂手洋二や佐藤信のような日本の著名な劇作家・演出家がキジムナーに参加しても、沖縄側との接点は弱かったのではなかろうか?

下山さんは何を恐れていたのだろうか?キジムナーの優れたフォーラムやシンポジウムでも、内輪のもので、沖縄の演劇人を巻き込むパワーは弱かったと思う。一部の方々がその輪の中に入っていたかどうか、よくわからないが、途中から見に行く興味を失っていた。

「みんなのフェスティバルという意識」がなぜ育たなかったのだろうか?商標を私する代表だったからではないのだろうか?予算の透明性を見せてほしい。内輪の組織による海外からの招聘劇団や演劇人との交流ではなかったのだろうか?沖縄の現代演劇人もフリンジで関わっていたようだが、その作品のレベルがどうも、やはり沖縄を根っこから捉えかえす作品になっていたかどうか、気になる。伝統芸能のカリカチュア的な作品、脱構築は、結構ですよ。井上ひさしの作品のような笑って笑ってシリアスに社会の傷を痛みを突き刺すほどの作品が出てこなかった。なぜ?子供が観衆だからか?そうではない大人も一緒に楽しめる舞台である。その点、海外からの作品は鋭いものが多かったようだ。

例えば上里和美の「さよなら人類館」などはいいね。まだ上演されていないが、ぜひやりたい。

「沖縄の誇るべき国際的なフェスティバル」を体験し、どれだけ、世界レヴェルの鋭い作品に肉薄する作品がこの沖縄の地から生み出されただろうか?ACOさんプロデュースの作品が目だったが、その質がとてもいいとは思えなかった。なぜ?「人類館」は優れた作品だが、それを超えるものを生み出せないままだ。シリアの演出家の「ゴドーを待ちながら」を上演するなら、なぜ知念正真の「コザ版ゴドー」を上演しなかったのだろうか?

党派的な狭い枠組みから抜けきれないキジムナーフェスティバルだったのだろうか。最近はほとんど見ていなかったが、下山体制は沖縄の演劇人をあまり巻き込めなかったのだね。党派的な枠内の作品で自己満足しても将来ビジョンは弱くなる。それではどこかで綻びがでるかもしれない。キジムナーフェスティバルそのものは大胆な発想で良かったが、8年間の間に沖縄に何がもたらされたのか?膨大な予算はどう運営されたのか?気になる。下山さんやスタッフが海外公演を観る機会が多いところは羨ましい限りでー。(←違っていたら訂正)海外派遣の概要も知りたい。どなたがいつどこへ何の目的で海外渡航したのか、知りたい。また、機会均等に沖縄の演劇人のどなたがキジムナーの予算で渡航してきたのか?も。すべて開示してほしい。

シンポの参加者は地元からはお一人ですか?それがすべてを表していますね。軸になる主催団体沖縄市のメリットは何だったのか?海外からの参加者や日本本土からの演劇人や児童演劇関係者がメリットを得たのだろうか?と、うがった見方をするキジバトもいるね。沖縄や参加団体にもたらされたメリットは何だったのだろうか?アンケートも集計されているようだから、それも開示してほしい。

一番関心があるのは、地元への還元である。どれだけの演劇人が育ち、どれだけの優れた作品が登場してきたのか、またどれだけ多くの沖縄の子供たちや父兄が演劇鑑賞し、どんな精神的糧を得てきたのだろうか?演劇大好き人間としてはキジムナーフェスタの開催は続けてほしいが、そこからの輪の広がりが見たい。多くのボランティアを巻き込んでいるが、実利的メリットをいつも同じ人々が得ていたとしたら、問題だね。←誤解もありえるので、間違ったコンセプトは批判をよろしく!内部をよく知らないので、新聞記事から憶測しているだけのコメントです。

 


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