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教育はオンライン化へ?コロナ以降の世界はもはや以前の世界ではありえない。パターンは繰り返されそして次の次元へ変容していくのらしい。
地球惑星が小さいと感じられる日々、されど、国と国の壁を見えない何ものかがさらに強固にする。しかし壁は壊されなければならない未来?グローバリズムではなくインターナショナリズムへと著名な言語学者は語る。
インターネットもスマホも新しい文明の象徴で、世界はWEBで張り巡らされている。そして今、パンデミックゆえに人と人の移動が阻害され、社会・経済・文化の大変動を体験(目撃)している。疫病という妖怪が世界をさまよい私たちを恐怖に落とし込めている。社会機能をストップさせる妖怪を相手に人類の知恵、協調、共生、協働、共創、共働《連帯》が試されている。
戦後構築された世界経済の現在に至る全てが機能不全に陥るかのような様相を前に、唖然としつつ、21世紀の変動が急速に世界を席巻する勢いに「いったいこれは何なのだ」と、意識がコロナウィルスに翻弄されるこの地球惑星のそれぞれの国々の状況に向けられる。といっても常時そこに向き合っているわけでもなく、そうする余裕もない。それどころか、それゆえに余儀なくされた教育システムのオンライン化に対処するために時間が費やされている。新しい技術(システム)を習得し、順応し、使いこなさなければならない今、「難儀だなと思いつつ、その可能性に瞠目させられている」のも事実だが~。
確かにじっくりシステムに向き合えばPCは応答してくれるが、それになぜかためらいが伴っている。こんなはずじゃなかったのに~、やらざるを得ないというように~。「放送大学」は先駆者だったのだ。テキストがあり、教材の動画がありレポートやテストがある。授業もオンエアされている。なるほど、そうだったのだ。今ネットでそれを早急にやれと言われても、十分に満足のいく授業ができるだろうか?やれやれの日々!
集団の祭祀的空間、Efficacy、共同体のtogethernessが亀裂していくモメントなのだろうか。しかしやはり類としての人類なのだ。
一方ミニトマトの収穫は嬉しいし、種を蒔いたチンゲンサイは生長が楽しみだが、野菜には青虫が数えられるほどついて、ミニトマトにはまたトマトを愛する虫が巣くっている。この地球は無数の生き物の星だということに、思い至る。