(千原池のバンはそこにずっと住み着いているのですね!)
伊波さんにとって辻遊郭は家族の問題でもあったのですね!
伊波家はどなたが位牌を守っているのでしょうか。
沖縄の遊郭は一種風変わりでこちらのものとはちがい、妓楼は妾宅のようであります。その頃まで娼妓は芭蕉布などを織る内職をしておりまして、妓楼主は女でありました。これは職業教育を女から施すのであります。紳士といわれる琉球の当時の人々はおおかた娼妓を囲い者にせねばならなかった。それは薩摩や首里の官史を歓迎するのにこういう場所を用いるためで、娼妓をもたぬのを恥としたのであります。今猶そうであります。私の祖父や曽祖父などの娼妓のいた家からはずっと後まで七月と正月とに小女郎などが焼香に来ました。かように中流社会の家には娼家との交際があり、反物などの取引関係などもありました。また冠婚葬祭には手伝いにも来ました。琉球の遊郭には子どもがいくらも生まれます。それで普通の家で遊郭に兄弟のあるものもあります。私も弟一人妹一人あります。こうしてこの社会の事情を私はよく知ることが出来ました。[伊波2000:126]
伊波さんは恋愛結婚ではなかった奥さんと息子さんを捨てて冬子さんと同棲するため沖縄を後にするのですね。ご自分に正直に生きられたのですね。
信念に生きるとはどういうことなのだろう。