志情(しなさき)の海へ

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『八月十五夜の茶屋』のスナイダーと『兵隊先生』のスナイドルは同じ人物!

2013-06-03 20:47:56 | 「八月十五夜の茶屋」科研研究課題

5月28日、29日の驚くべきエッセイを読んですぐに梓澤 登さんにメールを出しました。ぜひ松本仁一さんにコンタクトを取りたいのでメールアドを教えてほしいということと、ぜひ、松本さんのエッセイの中の知念千代さんにお会いしたいと申込みました。残念ながらお返事がありません。沖縄タイムスの方にやはり同じことをお願いしました。松本さんに連絡してくださるとのことで現在待っています。北谷町役所にも電話で問い合わせたのですが、個人情報なのでということでまったくコンタクトが取れない状態です。ぜひ知念千代さん(性が代わっているかもしれませんね)にお会いして自分の耳で確かめたいと思いは膨らむのですが、実際に千代さんにお会いされた梓澤さんが仲立ちしてくださらないかぎり厳しいですね。

松本仁一さまご本を読ませていただきました。わたしは≪『八月十五夜の茶屋』の原風景≫について、以前論稿を書いたのですが、それをもっと緻密に掘り下げ、収容所時代の沖縄やスナイダーの実像も書き込めたらと考えています。今回『兵隊先生』を読んでその中に描写されたスナイダー=スナイドル大尉の姿がほのぼのとした人柄に感じられました。小説の中でまさにフィズビー大尉と同一人物だとして論評されてきたこの間の論文が書き換えられるほどの発見です。それでぜひ千代さんや松本さんが実際にお会いされた収容所時代を体験された方のお話をお伺いできればと切に念じています。もしこのブログをご覧になりましたらご連絡ください。梓澤さんはとても慎重なお方のようで、メールで松本さまのご連絡先を教えていただけません。よろしくお願いします。アフリカの広大さを飲み込んだ松本さんの文章を読みますととてもおおらかな柔軟さをもった方だと推測できます。

よろしくお願いします。みなさん、かなり高齢ですので、可能でしたら明日にもお会いしたい気持ちです。

もちろんお父様の比嘉(松本)康男さまの戦時中、戦後の物語(実話)も心温まるお話です。虐げられた沖縄人が虐げられた敗残兵をかくまって沖縄人としていっしょにキャンプ生活をしたこと。1000人以上の子供たちの学校の教師として奮闘したこと、三つの収容所の合同運動会、そして康男さんの正体を知っていながら大目に見ていたスナイドル大尉(軍政府)、そして康男さんが無事信州に戻れるよう配慮したスナイドル大尉の心遣いなど、読ませます。当時の収容所の様子がこんなに沖縄芝居の涙がこぼれる「人情物語」のように実話としてあったことは嘘のような、しかし実際あったと思えるような物語です。これはお芝居にしてもとてもうけると思います。映像化も可能ですね。

ラベルで決めつけられた位置づけ、日本兵=悪、沖縄人=犠牲者にとどまることのない人間の情感がこぼれてきます。踏みにじられた沖縄人も多かったと思います。しかしそんな将兵ばかりでもありませんでした。戦争のコマ(使い捨ての命)として踏みにじられた日本兵でもあったのですが、犠牲の重さに差異があるのか、もう、戦争そのものの残酷さの前に、戦争そのものを引き起こした人々やその歯車になって時代の悪夢を生きざるをえなかった宿命に唖然として立ちすくまざるをえません。しかしどんな地獄にも恋はあり、愛もあり、善意も良識も残っていたのだと信じられます。

『兵隊先生』はその点で沖縄・日本・アメリカ人の善意が流れるヒューマンドキュメンタリーですね。新垣先生とお父様の恋は実らなかったのですが、お父様の心の中に新垣先生と共に沖縄は永遠の島になったのですね。松本さまのこの物語を読んで、またわたしにとっても人の情けの大切さがしみじみと伝わってきます。沖縄、日本、アメリカは友好的な未来を築いていけると思います。

長くなりました。、ぜひメールください。nasaki78@gmail.com

 

 


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