【琉球新報:2017年8月18日】
「打花鼓」は沖縄に馴染みがある中国劇ですが、復元は快挙ですね!又吉静枝さん、玉城千枝さん、斬新な試みですね!玉城千枝さんのような方が、国の無形文化財琉球舞踊保持者になるべきですね!沖縄の主流のセンスはどうなのでしょう!独占企業体と似ているのでしょうか?舞踊の型は新聞社のコンクールでほとんど統一されているわけで、後はこのような伝統をどう活かし、掘り下げ、創造につなげるか、それらを含めて業績を見なければですね。追加認定された舞踊家の魅力?同じ型を踊るわけですから、大勢は必要ないですね。半分に減らしてもいいのではないでしょうか?税金も無駄遣いする必要がないですね。
「打花鼓」は中国人による実演を観たことがあります。確か沖縄でも公演されたのではないでしょうか?北中城の「打花鼓』も残されていますね。沖縄芝居の中でも中国人が登場したりしていますね。
崑曲と閩劇を間違って捉えていました。ユネスコに登載されたのは崑曲なんですね!以下転載です!
崑曲(こんきょく、ピンイン:Kūnqǔ)とは中国の古典的な舞台演劇である戯曲の一形式、あるいは戯曲に使われる声腔(楽曲の曲調や演奏法、歌い方などの体系)の1つである。前者の意味で崑劇(こんげき)、後者の意味で崑腔(こんこう)とも言われる。現代ではもっぱら前者を指すことが多い。後者は明・清代の戯文や伝奇で用いられた。無形文化遺産保護条約の発効以前の2001年に、ユネスコによって「人類の口承及び無形遺産の傑作」の宣言を受けており、無形文化遺産に登録されることが事実上確定していたが、2009年9月の初の登録で正式に登録された。
歴史:元末明初、崑山(現・江蘇省蘇州市東部)一帯で流行した戯文の腔調を顧堅らが整理した崑山腔(こんざんこう)があったがそれを明の嘉靖年間、魏良輔がさらに弋陽腔や海塩腔の腔調、民間の曲調を取り入れることで作られた。
明の万暦以降、徐々に各地に流伝し各地で崑曲系統の地方劇が作られ、また川劇や婺劇といった地方劇の声腔として使われた。明末清初には崑腔が戯文の主流として隆盛したが、清中葉以降は徐々に衰退した。
以下転載です!https://blogs.yahoo.co.jp/chuanyuanhao/31204154.html ←「伝統芸能”閩劇”です!」
”閩劇”、福建省の東北部に伝わる伝統的な地方劇です。
(閩とは昔のこの地方の地名、門構えに虫と書いてminと発音します。)
この地方では伝統的な節句には必ず閩劇が上演されます。
歌・舞踊・台詞(せりふ)や、立ち回りからなる戯曲・・・・・。
曲は笙・笛・三弦・簫・琵琶・小堂鼓などの古典楽器を使って演奏されます。
閩劇の始まりは300年ほど前の明朝末期・・・・・。
世界無形文化遺産となっている”昆劇(江蘇省蘇州市東部崑山の地方劇)”に閩方言の俗謡が交じり合って生まれた戯曲です。
北京や上海で上演され、いまでは中国の国劇と言われる”京劇”とおなじルーツですが・・・・・。
演目は地方劇それぞれ違いがあり、衣装などにも特徴が見られるそうです・・・・・。
歴史的には閩劇の方が100年ほど古いそうです。
台湾や東南アジアなど福建人の華僑が多い国々でも上演されています。
以下転載です!茉莉花(打花鼓)とその歴史については板谷徹さんが科研プロジェクトでいい研究報告書が出されていますね。板谷さんは王府芸能に関してもいい研究成果を残していますね。沖縄側がそれを謙虚に吟味し生かしていけるかですね。
茉莉花(明清楽資料庫)http://www.geocities.jp/cato1963/singaku-08.html
「茉莉花」は、「打花鼓」の劇音楽としても使われていた。 |
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左の絵図は、1832年、琉球の尚育王の謝恩使の一行が、いわゆる「江戸上り」の一環として、芝白金の島津邸で行った奏楽舞踊を十場面に分けて描いた巻物の一部。 沖縄県立博物館蔵。縦25.2cm、横994.5cmという長大なサイズである。
鎖国時代の江戸でも、将軍や大名の前で、中国の演劇や歌舞音曲が上演されていた。
出演者名の称号「親雲上」(ペークミまたはペーチン)や「里之子」(サトヌシ)は、士族の役職名である。 このように「江戸上り」の芸能は、完全に士人ルートの枠内であったがために、明治初年の士人階層の降替とともに消滅した。 だが、沖縄の農村部に入って郷土芸能化したものは、例えば「伊集の打花鼓」のように、今日も芸能としての生命を保っている。
沖縄における「茉莉花」の伝承ルートの担い手は、「久米三十六姓」のような移民階層、「江戸上り」のような士人階層、琉球王朝崩壊後に郷村芸能化したあとは農民階層、と多彩である。
茉莉花(打花鼓)の演変の歴史は、海域交流における芸能伝播モデルを考えるうえで、格好の材料の一つである。