いつも男役を演じている中曽根律子さんのあやーめーの役柄には不思議なあいらしい姿が印象に残った。首里の殿内のあやーめーの役柄である、おっとりとして、どこ吹く風でいつも祖先祭祀を気遣っている女性の姿である。彼女の中に今に続く沖縄の風俗習慣が込められているのである。つまり位牌相続の心配に明け暮れる沖縄のあやーめーの姿はある面そこだけ牧歌的に描かれる。あわてることなく孫の里之子が中城のウサ小に子供を懐妊させることを念じていたあやーめーである。血筋が絶えないことは財産とステイタスの温存でもあった。が動乱期である。これまでのシステムの体系が360度崩れる時勢の中で揺れる人間模様である。滑稽である。しかし笑えない滑稽な悲劇でもある。「あんないかんない、なんくるなるさ」生き延びるのは百姓である。作家大城氏の結論である。支配階層は権力温存のための自己保身に苦慮する。今も変わらない。庶民の力、その根源に富・金がまたうごめいているのも確かなようだ。沖縄を盗む大泥棒が日本で百姓をだまし税を取り立てるのは首里の士族層である。やれやれ!シムルになった時、未来はどう微笑み、どう刃を振るうのか?
状況を認識することのない無知と欲望と身分制度の過酷さがまた表にでるのだが、やーどぅいの侍一家の位相が面白い。戦前まで沖縄の身分制度は色濃く残っていたのだ。戦時中の戸籍には士族XXと記載されている。戦後のアメリカ世がもたらした恩恵も大きいと言えるのかもしれないね。何しろ神の前で人間は平等の建前がある聖書である。戦後民主主義にアメリカシステムが果たした役割はマイナスだけではなかった、ということになるね。軍事要塞化=沖縄島とはまた別の思潮もある。