1959年に「沖縄タイムス」の演劇コンクールで優秀賞ではなく奨励賞だった作品が、なぜか評価が高い。最も優秀賞は出なかった。特に当時のインテリ層の代表大城立裕さんや嘉陽田さんや船越さんがべた褒めの演劇作品だった。
なぜ真喜志康忠さんはその脚本を残さなかったのだろうか?
特別な出来事があるわけではない、抒情が流れた作品への小説家の皆さんの評価が高いということが以前から気になっていた。
今、当時、舞台に出た方々のインタビューを始める。平良とみさんはすでに他界されている。平良進さんは健在で康忠氏の奥様の八重子さんも健在である。玉城政子さんも健在だ。今、当時の舞台に出た方々の記憶を手繰り寄せて一つの作品を再現できるか、試されている。できるかいなか、時間的に間に合うかどうか、は未知数だが~。
真喜志康忠生誕100年記念公演や記念冊子は中身を充実させたい。
たしかに、「真喜志康忠生誕100年記念イベント」の実行委員長を引き受けてくださった「宮城弘岩・沖縄物産企業連合取締役会長」がおっしゃったように、来年7月の公演予定でも時間はたくさんあるようでないのだと、肝に銘じる。
大きなイベントのプロデュース、周りの心ある方々のご協力で歩き始めている状況だ。みなさんに感謝!
(50年代の真喜志廉忠氏、29歳!)