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「人類館」に表象された沖縄人の身体!Okinawan Bodies represented in 'the Human Pavilion' directed by Ryoshu Koki

2018-01-02 21:06:38 | 沖縄演劇

Bodies in/and Asian Theaters:February 2018 がフィリピンのフィリピン大学で開催されます。初めてのマニラです!不安だったのですが、友人がタガログ語を研究している甥がそちらで調査していて、そのついでに行きたいということで決心がつきました。1人では不安でどうしょうかと考えていたのですがー。←友人から年末に行けなくなったと連絡があり、身近な親族の病状も気になり、二度目の断念をしたのでした。

Okinawan Bodies represented in 'the Human Pavilion' directed by Ryoshu Koki

 Jinruikan, written by Chine Seishin, and awarded the prestigious Kishida Prize for Drama in 1978, has represented Okinawan socio-political reality since 1903 when two female Okinawans (actually prostitutes) were displayed as Okinawan nobles along with Ainu, Taiwanese, Koreans and other minorities in the human pavilion, an exhibition held in Osaka. Simply put the theme is about discrimination and assimilation forced with visible and invisible violent system.

 Only three characters (a trainer, Okinawan man, and woman) appear in the play. Its time span is quite long from 1903 to around 1976. Accordingly, the three characters change the roles as observed in the form of the theater of absurd. From modern to contemporary, a cyclical history of Okinawa is depicted.

 Koki Ryoshu is a dealing director in the modern history of Okinawan performing arts. His concept of Okinawan bodies and identities has been penetrated in his performance (production) from classic Kumiodori (traditional Okinawan musical theatre) to contemporary ones.

 Okinawan bodies are to be reexamined through the anatomy of three actors in Jinruikan and how they fit in the same sphere of Asian bodies would be discussed.

 Note: In 2010 Kumiodori was inscribed on the UNESCO Representative List of the Intangible Cultural Heritage of Humanity.

 沖縄の身体にこだわって演出を続けてこられた幸喜良秀演出家のコンセプトや舞台で演じた役者の身体に表象された沖縄の身体、その様式、型について少し英語で纏めなければなりません。当初1人でどうしょうか、行けるか、不安だったのですが、強力な友人がマニラまでご一緒してくれるとのことで、安心しました。←彼女は行けなくなって、ちょっと心配です。躊躇していたIFTRのレジストレーションをやりました。

人類館について研究発表するのは久しぶりです。アジアの身体がテーマです。沖縄の身体についての発表です。

世界からやってくる研究者に『人類館』について紹介できるのはいいですね。多様なバージョンがあり、そのエキスを短い時間で紹介するのですが、それまでに少しまとまった論考を書いて紹介したいものです。国際学会での発表はフライト代金やホテル他、エントリ料金とか、お金がかかります。「人類館」の発表のための助成をしていただけましたら、幸いです。沖縄文化や歴史的コンテクストのアピールだと考えているのですが、どうでしょう。←何とかフライト料金などの助成(カンパ)がいただけそうです。その基金はお願いしたばかりで1月の半ばまでに大会への登録やフライトの予約などしなければなりません。遅いのですが、2度諦めて、せっかく概要は受理されたので、発表できないかと考えあぐねて3度目の挑戦です。感謝!頑張らなければなりません。(今回分ったことは、東京や大阪からマニラへの便は安いのですが(乗客が多いので)、沖縄からの直行便はありませんので、台湾や韓国に行くより割高になります。最低6万円以上かかりますね。LCCで乗り継いでもです。)

将来的に最近問題になっている琉球舞踊の古典の型の問題、また沖縄芝居の名優真喜志康忠氏が追及し、演じた芝居の型、様式、その身体美についても論じたいものです。空手の型が舞台で登場しますね。その意味と価値、沖縄男性の身体性ですね。女性は?男性、女性を問わず、身体様式に関して、沖縄の場合、琉球舞踊や琉球音楽がコアになりますね。伝統の捉え返しです。皆同じでは面白くないパフォーマンスです。独特な個性は身体様式や身体性そのものに潜んでいるはずですね。

身体論、身体性、身体のありか!抵抗する身体、屈服する身体、抑圧される身体、抑圧する身体。可逆性、非可逆性。

 

 

 


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