(三途の川で見る美しい幻想)
「67年目の戦争は昔話ではない。おじいちゃんおばあちゃんが戦争を生き抜いてくれたからあなたは生まれることができた。あなたの体には沖縄戦を生き抜いた人の血が流れている」
このコピーは生きていた。生きることが嫌になり自殺を図った主人公ニイナ。いつしかあの世の入り口・三途の川にいた。川を渡ろうとすると見知らぬ男が現れ、見せたいものがあるという。男が連れていったのはニイナのふるさと沖縄、1945年、太平洋戦争の真ただ中、アメリカ兵が上陸し戦場と化した沖縄だった。そこで彼女が見たものーー16歳で招集され、学徒兵として必死で戦うオジーの姿だったーー。
ライブの川満睦のピアノが流れる。ピアノの伴奏がまさにこの音楽劇の色合いそのもので静かに、激しく情感を打った。というか感情に沿ってそこにあった。ライブの中に挿入された戦場のドラマの悲惨が物語の中でコンテンポラリーダンスや優雅なバレーの踊りと共に語られる。花のようなイメージや希望のイメージを軽やかなバレーが表現する。土着的な沖縄の色は安次嶺正美を中心とした琉球舞踊の所作とのコラボがなされる。
池田卓、下地勇、UA,Niinaが歌う。歌の中で戦場が動く。身体の表出は多様で、飽きさせず、歌とダンスの幻想美が戦場に浮き上がる。しかしそこは無残な死の修羅、殺されることを前提にした戦場、地獄とはかくあるのだろうか、地獄とはこの世の中にあれば、ウジと血の匂いと、呻く声、怒声、人間が殺戮を恐れガマの中に隠れ、あるいは集団で殺しあう、空間、これが繰り返された事実、想像を絶する事実が山のように迫って来る、戦争の物語、だがこれは自殺未遂を犯した若い可愛い少女が自らのオジイの姿を通してみた戦場の凄まじさである。16歳のオジイの姿を追う。若きオジイを慕う優しい勇敢な少女との密やかなロマンスもやんわりと物語につないでしかし、残酷な殺し方をする物語でもある。この辺は物語性として玉那覇君と山城さんの物語の綾は面白いと感じていた。人が人を思い、大切にする。それはそれでいい。あんまーたちのウチナーグチの語りや同郷の者への優しい眼差しも、そしてかつエゴイズムもー描かlれたがー。
現在中東で、イラクでアフガニスタンで人間爆弾が炸裂するニュースにすでに感覚は一部慣れてきた残酷なリアリティーを生きているが、中学生高校生たちが、67年前、ここ沖縄戦でも同じように爆弾を持って戦車に飛び込み殺されたのだ。戦車がくる道に穴を彫り、そこに爆弾を持って潜み、戦車の下で爆破させ、自らも犠牲になった。戦場に駆りだされた2400人の生徒たちが戦場で鉄血勤皇隊として、あるいは14歳から15歳は通信隊として戦争に奉仕させられ、その内1300人が殺された。2400人の内600人は女子学生で看護隊として負傷兵の看護にあたった。ひめゆり部隊はよく知られている。ただ例えばアフリカの内戦で少年兵や少女の兵士の問題が一時NHKでも大きく取り上げられたが、何と67年前の沖縄の地上戦では、内戦で血生臭い殺し合いをやっているアフリカの国々と似たことがなされていたのである。
当時の沖縄の官公庁のリーダーたちのほとんどは戦争が始まる前に遁走したと物の本で読んだことがあったが、置き去りにされた多くの沖縄民衆ば50万以上のアメリカ軍、対戦する10万人余の日本軍の間に挟まれて、15万人以上の民衆が3ヶ月の間に殺されたのである。
相次ぐ空爆や火炎放射や、毒ガスや米軍の砲撃、日本軍の敵対の中を生き延びてきた祖父母、父母があって、たしかに今日の君や私の存在がある。
この物語の始まりはよくできている。オジーが生きた戦場、生き延びた戦場をドラマの中軸に据えて成功した。そして三途の川を渡ろうとした少女がそれを目撃したという構図になっている。少女を導いたのは守護霊のような存在、生死を往復する天地の精霊のような存在。これだと若者にも受ける構成である。残虐さが歌により踊りにより、ダンスにより緩和される。まさに生きることに疑問を持ち、生きるエネルギーを喪失した若者に、君の存在は過酷な戦争をくぐり抜けた者たちの必死な生き様があったからだよ、と諭すような物語で、それはそれでその通りではあるので、楽しめて、歴史の復習になり、改めてこの存在の背景の歴史に思いがいく、のは悪くないね。
脚本の鍵山直子さんはこの作品ではなかなかいい着想を見せたと言えよう。演出の田原雅之のセンスの良さがしかし全体を牽引しているのはいうまでもなかろうが、冒頭からの配役たちのウチナーグチがとても耳に響きが良かった!んん、ウチナーグチと日本語とウチナーヤマトグチのコラボでいいね!まさにInterperformativeである。コラボの面白さである。五感が刺激される。しかしこれはやはり若者向けの音楽劇として捉えられるべきだろうね。
物語の残酷さなり神秘的な美しさなり、徹底したリアリズムなりフィクションのドスンとした作品で見たいという思いも抱く。しかし多くの若者に見てほしい。感じてほしい。ガマの中の民衆の語り、ウチナーグチにはほっとした!
慰霊の日、とてもいい取り組みでした!来年も是非上演してください。ああ、歌より《川満睦さん》のピアノ感動した。
ライブはいいね!出演者のみなさまごくろうさま!いい音楽劇でした!
(高江洲義寛さんのお姉さま安田未知子さんと久しぶりにお会いした吉田妙子さん)
後で少し吉田さんとお話したのだが、彼女は米軍が上陸した翌日4月2日、平良川で捕虜になったという。彼女はラッキーだったのだ!すぐに捕虜になった人々は戦場の地獄から逃れることができた。ただその後の収容所時代と米軍占領時代の明暗もやってきたのだろうがー。
nasakiさんのことや沖縄劇との関わりのことなどは、こちらにもお邪魔して拝読させて頂きます。
ちなみに関西朝一会支部長の先生の所で三線習ってます。
名前の中の‘琉’というのは、軍人となっていた伯父が、戦争中に本土人として見られる様、内地風の和田という名字に変える前の名字です。
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ところで琉球の琉を名前にすることが最近のはやりかと思ったのですが、和田さんのご両親は先んじていたのですね。琉一文字で苗字だったのですか?(誤解がなければいいのですがー、結構早とちりしがちで《笑》)
奄美民謡(北三島)の旋律の暗さや恨みの歌詞が多いことで良く分かる通りです。
そんな中、鹿児島の顔色を伺う必要の少ない大阪で、先祖が使って来た琉球諸語を聞き語ること、琉球古典、民謡を演奏、歌うこと、これらが抑圧されたアイデンティティーのはけ口にとてもなっています。
琉球弧の文化遺産に感謝です。
あ、「うない」についてのブログ全部読みました。他、歌劇について、少しずつ読ませて頂きます。