太陽が最も北寄りに位置する6月21日夏至の日、標高555メートルの「朝熊(あさま)ケ岳・朝熊山」(伊勢市)山頂から直線距離で 203キロ離れた霊峰・富士山が一瞬だけ顔を出した。
同山へ車で登るには観光有料道路「伊勢志摩スカイライン」を通らないと登ることができないが、「今年試験的に夏至の日だけを 開門した」と、道路を管理する三重県観光開発(津市)の西村さん。この日の日の出時刻は4時40分。3時30分の開門を待って 頂上まで登った人は、同日に開催された二見興玉神社(二見町)の夏至祭と重なったことや朝から雨が降る悪天候、告知不足などが 原因で10人だけだった。
4時25分ごろ、御嶽山(3067メートル)の方向の空が赤くなり、続いて富士山(3776メートル)の方向の空があかね色に輝き始めると、 そこに居合わせた人たちから「おー」と一斉に歓声が沸いた。そして左右対称の美しい稜線(りょうせん)が少しずつ現れ、赤く染まる空を バックに富士山とわかるシルエットになった。約3分間の「奇跡」の後、再び厚い雲が覆い、鈍(にび)色の空に戻った。カメラマンらは 「神がかりだ」「神の計らいか」と興奮していた。
ソース(伊勢志摩経済新聞) http://iseshima.keizai.biz/headline/1452/
写真=「神の計らいか?」悪天候の中、夏至に伊勢・朝熊山山頂から富士山現る。手前に浮かぶ島が神島
http://images.keizai.biz/iseshima_keizai/headline/1340350559_photo.jpg
http://images.keizai.biz/iseshima_keizai/photonews/1340351072_b.jpg
3:やまとななしこ:2012/06/22(金) 22:02:28.57 ID:sO1EG2/y
そう…これが…富士の最後の穏やかな表情だったとは…
まだ…誰も知る由も無かったのである…
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上記は転載である、紹介されたサイトをお尋ねください。Twitterの紹介でした。自然現象が常に何かを示唆しているのかもしれません。おや、変だなと思った時にどう行動するか問われる時勢になったのは悲しい時代です。でも悲しくない時代はなかったのかもしれません。全体主義国家体制がなくなって自由をエンジョイしてきたと思った戦後67年間ですか?それとも戦後65年でしょうか?いきなりの3.11で、世界は戦争ではなく内戦やテロがまかり通っています。いつでもどこでも起こりえる災害、それが人間がどうも引き金を引いているようで、我々の日常の体系そのものが崩れ落ち、形骸化しそうな雰囲気です。そのなかの真実を見据えるとは、厳しいことなんですね。今はどこにも監視カメラがついていて、その眼差しを逃れることは難しい状況です。ネットの中も監視だらけだと言えるのでしょう。それでもネットで声をだし、連帯を求める声が、ことばが響いています。新しい時代に即した新しいメディアのつながりにまだ希望をたくしたいところですが、どうだろう?
TWを見ると既成メディアの応戦も凄いようで、その嘘をまた暴いている姿は頼もしいところで、権力は自らの都合の悪いところをうまくカムフラージュせんと躍起なんですね。既成メディアの寵児たちの嘘を暴いているTWの闘いはんん、見ていてスリルがあるし、実は実在《現象》以上に危機が押し寄せているのかもしれません。いわば、TWはまた直感的な知恵の塊でもあります。民族的憎悪のTWさんもありますが、それがもろだとスルーですね。真の弱者の視点、真に究極的な良識を追求していることばが残ります。フルイにかけられることばがありますよね。吸血鬼、バンパイヤのように多くの他者の血を吸って生き生かされる生命があり、その血を最も多く飲み干す者たちがいて、わたしなどは吸われる方でもあるのですが、やはり弱者の血を吸って生きているのだと言えます。地球の全体構図の中でどこに位置づけられているのか、グローバルにローカルに見る視点、複数の視点が交わるところに真実の雫が落ちてくるのでしょう?さて校正に戻ろうかな?