志情(しなさき)の海へ

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3・11「劇場と社会」シンポジウムの基調講演、パネラーの先生方のプロフィールです!レジメは当日配布!

2012-03-08 09:24:17 | グローカルな文化現象
         (琉球新報が告知してくれたシンポ情報:パネル報告の題名は紹介してくださらなかったので、ここで紹介しますね。ネット情報はもっと丁寧に紹介しています!沖縄タイムス&琉球新報の取り上げ方は消極的サポートですね。状況を反芻&反省している所!)

沖縄県博物館・美術館で開催されるシンポジウム『劇場と社会』に参加される先生方のプロフィールをご紹介します。
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天野文雄先生
(あまの ふみお)
昭和21年、東京都生まれ。(財)国際高等研究所副所長、大阪大学名誉教授。博士(文学)。早稲田大学第一法学部卒業後、国学院大学文学部学士入学。国学院大学大学院文学研究科博士後期課程修了。上田女子短期大学助教授、大阪大学文学部助教授、同教授、大阪大学大学院文学研究科教授を経て、現在に至る。
著書:
『岩波講座能・狂言Ⅰ〔能楽の歴史〕』(昭和62年、表章氏との共著)
『翁猿楽研究』(平成7年、和泉書院。第18回観世寿夫記念法政大学能楽賞)『能に憑かれた権力者ー秀吉能楽愛好記ー』(講談社選書メチエ、平成9年)『現代能楽講義』(平成16年、大阪大学出版会)
『世阿弥がいた場所ー能大成期の能と能役者をめぐる環境ー』(平成19年、ぺりかん社。第40回日本演劇学会河竹賞、第5回木村重信民族藝術学会賞)『能苑逍遥(上)世阿弥を歩く』(平成21年、大阪大学出版会)『能苑逍遥(中)能という演劇を歩く』(同)、『能苑逍遥(下)能の歴史を歩く』(平成22年、大阪大学出版会)がある。
現在、日本演劇学会会長、能楽学会代表。

★講演の題名「能が演じられてきた場所」

幸喜良秀先生

1938年月16日 生
沖縄市 (旧美里村)生
琉球大学時代から演劇活動をはじめ、中学校教師の傍ら演劇集団「創造」を結成。「アンネの日記」「」人類館」等数多くの舞台を演出。1988年、大城立裕、真喜志康忠、北島角子氏らと沖縄芝居実験劇場を結成。伝統と現代をテーマに沖縄の舞台芸術のッ可能性を拓く活動を展開。大城立裕氏の沖縄芝居「世替わりや世替わりや」「トートーメー万歳」新作組踊」「山原船」「海の天境」「花の幻」等や、真喜志康忠氏の沖縄芝居「多幸山」を演出。また、「ラッキー カム ハワイ」(作・ジョン・、シロタ)翻訳・山里勝己)や「椎の川」(大城貞俊・作)等の現代劇も意欲的に演出。沖縄歌舞劇団「美」の結成にも関わり、歌舞劇や舞踊公演を多数演出。国際交流事業を支援し後輩の指導にも力を注ぐ。
現在・国立劇場おきなわ  芸術監督兼企画制作課長

★ご報告は「新作組踊と劇場」だが、氏はこの間の演出作品と劇場とのかかわり、また「聞声大君誕生」などの大城立裕新作組踊についても言及してくださるかもしれない。

高江洲義寛先生

プロフィール
高江洲 義寛(たかえす よしひろ) 作曲家・歯科医師
1942年沖縄県うるま市生まれ。歯学博士・作曲家・彫刻家。東京歯科大学、お茶の水キリスト教音楽学院作曲家卒。東京音楽大学大学院(声楽科)卒。東京にて合唱団、オーケストラの指導活動。1970年、沖縄へ帰り琉球放送(RBCTV)にて「ヤングオキナワ」を組織。南沙織らを育てる。沖縄アクターズスクールの創設時に関与、初代理事長。(株)ギカン文化施設研究所代表。朝薫記念・平成組踊塾代表。2007年より、県芸大卒、国立劇場おきなわ研修生卒を中心に平成組踊塾を立ち上げ、「組踊とはなにか」などのシンポジウムや本土芸能の能・狂言との比較や3ヶ月に1回ほどの創作組踊公演を催している総合プロデューサーでもある。

【学会】
東洋音楽会会員 / 米国法医学会会員
【著書】
沖縄のわらべうた / 沖縄民謡合唱曲集 / 沖縄音楽総目録 / 沖縄音楽文献目録 / 沖縄わらべうたの世界 / 鹿児島・沖縄のわらべうた / 小学校教材「おきなわのわらべうた」 他
【作曲】
みやらび / レクイエム姫百合 / あけもどろ / 南風の詩 / きじむなあ / レクイエム沖縄 / てだこ賛歌 他
【レコード】
ニライの海 他
【CD】
竹富島のわらべうた / 南風の詩 / おきなわのわらべうた 他
【彫刻レリーフ】
栄光の復活(安里カトリック教会)
【受賞】
作曲「南風の詩」で文化庁芸術祭優秀賞 他

★ご報告は「組踊とわたし」でこの間の平成組踊塾の取組について、また氏の劇場に対するコンセプトをお話してくださると期待しています!

狩俣恵一先生
(沖縄国際大学総合文化学部・教授)

1951年沖縄県竹富島生まれ。國學院大學文學研究科日本文學専攻博士課程単位取得後、國學院短期大学国文科教授を経て、現職。専攻は、琉球文学・琉球芸能・民俗学で、博士(民俗学)。奄美沖縄民間文芸学会事務局長、民俗芸能学会評議員。受賞は1998年 第20回沖縄文化協会賞、2000年第17回日本歌謡学会賞。主な編著書は、『八重山諸島竹富島小浜島の昔話』同朋舎出版/1984年、『芸能の原風景』瑞木書房/1998年、『南島歌謡の研究』瑞木書房/1999年、『琉球の伝承文化を歩く2―西表・黒島・波照間の昔話―』三弥井書店/2003年。主な論文は、「八重山舞踊の成立」(『南島文化研究所叢書1八重山の地域性』沖縄国際大学南島文化研究所/2006年)、「沖縄における近代化と伝統芸能」(『東アジア文化圈の諸相Part3-近代化と伝統芸能-』沖縄国際大学南島文化研究所/2008年)、「沖縄芸能史研究の先達群像―折口信夫の琉球芸能論―」(沖縄藝能史研究会/2010年)、「祭祀と行事」(『竹富町史第二巻 竹富島』)竹富町史編集委員会/2011年)

★ご報告は「竹富島の民俗芸能など地域芸能に照らした組踊芸場への提言」です。氏の細やかな研究者の視点は鋭く、とても勉強になります。

鈴木雅恵先生
京都生まれ。東京女子大学文理学部英米文学科卒業。早稲田大学文学研究科博士課程前期修了。東京の株式会社東北新社国際部(翻訳・通関業務)勤務、英語通訳ガイド(京都府知事認定608号)などを経て、現在京都産業大学外国語学部教授、国際羽衣大学日本文化研究所客員研究員。能は観世流・河村信重氏に師事。2006年10月には、「英語能・ハムレット」宮古島公演に地謡の一人として出演した。

「アジアのシェイクスピア受容と上演―沖縄と大和を中心として―」(2002-2003年度の文部科学省助成プロジェクト)、「世界の中の『沖縄』演劇-女優の表象を中心とした考察-」(2006-7年度の文部科学省助成プロジェクト)など、日本と沖縄を含む世界のシェイクスピア上演や女優史、東西演劇交流が主たる研究対象である。現在、科学研究費助成プロジェクト「伝統演劇・地方劇・大衆文化と「日本」のシェイクスピア ー大和と沖縄を中心にー」に取組み、ロンドン大学・ロイヤルホロウェイ校芸術学部演劇学部に博士論文の提出を予定している。

主要論文:
「日本のオセロは何人(なにびと)か」(『産業大学論集人文系列第31号』、平成16年、京都産業大学)
「近代沖縄とシェイクスピア受容」(西成彦・原毅彦編『複数の沖縄-デイアスボラから希望へー』平成15年、人文書院)
“The Rose and the Bamboo –Noda Hideki’s Sandaime Richaado–”( Performing Shakespeare in Japan, Eds. John Gillies, Minami Ryuta and Ian Curruthers, Cambridge University Press, 2001.)
“Performance Review; The DRUNKARD’S REVENGE and LOVE’S LABOUR, Adapted and directed by Sekine Masaru from William Shakespeare’s Twelfth Night. Performed by Roma Kyogen, Japanese National Tour, 2005” Asian Theater Journal, Volume 24, Number 1. pp.278-284 (2007)
“Shakespeare, Noh,Kyogen and Okinawa Shibai” (Shakespeare in Hollywood, Asia and Cyberspace, Eds. Alexander Huang and Charles Ross, Purdue University Press,
2009)
 “Shakespeare and Class: Othello in Mainland Japan and Okinawa." Lingui Yang (ed.) 17th issue of The Shakespeare Yearbook, Shakespeare and Asia, New York: The Edwin Mellen Press (2011) など
★「シェイクスピア・能・組踊ー「マクベス」と「オセロ」の翻案舞台化を中心に」イギリスのグローブ座の紹介や実際にお能の舞台で上演されたシェイクスピアのお能の映像などもご紹介する予定です。今後沖縄芸能が世界に発信をする意味において、参考になると思います。

板谷徹先生
昭和22年東京に生まれる。早稲田大学第一文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科演劇専修博士課程単位取得満期退学。専攻は民族舞踊学。現在沖縄県立芸術大学教授。

主な著書に、『沖縄におけるエイサー芸能の動態の総合的研究』『尚育王代における琉球芸能の環境と芸能復権の研究』『沖縄における身体の近代化ー御冠船踊りの受容をめぐってー』(以上科研報告書)、『芸能による地域共同体の再構築ー沖縄における村踊り伝承の支援ー』(トヨタ財団研究助成報告書)、『瀬良垣の豊年祭』『喜瀬の豊年祭』、『交錯する琉球と江戸の文化』(2010年、榕樹社)

板谷先生はコメントをされます。板谷先生の他に沖縄の戦後の劇場を多く調査してきた大嶺かよさんにもコメントしていただくことにしています。(残念ながらかよさんはご家族の事情で参加できなくなりました!)

コーディネーター:与那覇晶子
   「組踊の系譜ー朝薫の五番から沖縄芝居、そして「人類館」へ」(2009・4-2012・3、文部科学省科研プロジェクトの代表です。演劇批評・研究をしています。表象・Sexuality& Genderの観点から博士論文に取り組んでいます。沖縄演劇論をまとめたいと考えています。論文は「沖縄のハムレット」(大城立裕先生がいい論稿だとおっしゃって下さった事が励みになっています!)「演劇に見る琉球処分」「『カフェライカム』に見る戦争、女、記憶」など、英文論稿はこのブログにUPしています。Ethnicity and Identity of Okinawan Drama: under assimilation to Japanだったかな?タイトルが間違っていたら後で直しますね。

この「劇場と社会」のテーマは、去年の2011年6月、日本演劇学会で組踊の系譜の中で劇場の系譜が気になって調べてみて、発表したことが発端です。「劇場に見る組踊の系譜」が題名です。現在の「国立劇場おきなわ」の張り出し舞台が、四間四方であることに驚いたのがきっかけになっています。

歴史的に見ると、狩俣恵一先生が今回具体的にお話されると思いますが。1719年の中国式(?)の長方形の舞台からいつどう三間四方になったのか、1750年代には天使館辺りで三間四方の仮設舞台が那覇に登場していますね。それから1800年代まで長い50年ほどの開きがあって、どうもこの形態になっていったようです。それが近代以降(王府滅亡後)歌舞伎などの影響で明治39年頃には額縁舞台になっていきます。そして現在?

それから劇場は、集団の意識・無意識の夢・幻想・希望(歴史・文化)の記憶装置であり、娯楽の場であり集団的な公のイヴェントの場でもあります。それが管理の対象としてパブリックに開かれなくなった時、単に国家的、あるいは地域の権威の砦に成り果てます。劇場はどう社会に開かれていくのか?どう地域と連携をとっていくのか?今沖縄にある劇場は「国立劇場おきなわ」だけですよね。他は公のホールです。県立劇場もありません。もし再建するのなら戦前の模範とすべき劇場を再現してほしい!(小さな劇場はありました。シアターテンや我が町の劇場など)

文化行政の欠陥はまさに四間四方を推進した沖縄の芸能研究者の欠陥でもありえると言えます。現代人は身体が大きくなったから四間四方と言い訳するみなさんの認識に関心を持っています。

劇場が沖縄の言語やアイデンティティーを保持・継承し、さらに力強く「沖縄の文化表象」を発信していく核であることを考える時、劇場のありかたが社会と大きな関わりをもっていることは言うまでもありません。

御関心を持っておられる皆さまと論議ができることを楽しみにしています。よろしくお願いします!

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