志情(しなさき)の海へ

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浜川仁さんから『うらそえ文芸』第17号と『うるまネシア』第14号 復帰40年特集の謹呈!

2012-05-28 23:11:16 | グローカルな文化現象
            (星さんが編集責任者かな?沖縄メディアの袋小路から飛び出てくる芽?)

『うらそえ文芸』2012年、第17号に浜川さんは「思想は憤死したかーー「沖縄 わが蒼穹を求めて 上原生男全仕事」を読む」の評論を書いている。

上原生男さんの論稿を以前読んだことはあったが、氏が政治的な批評を書かれていたことは記憶に残っているが(お名前と共に)、でも出版社MUGENから出版されたのらしいその全論稿を読んでいないので、浜川さんの目線を追って読んだ。


凡百の民衆礼賛者、と常民の思想に幻想を抱いていた上原を描き出し、近代と民衆が一つの悪意に満ちた塊になり、とーー。渡嘉敷島の集団自死についてである。帝国主義、近代ナショナリズム、天皇崇拝が明治12以降50年の経緯の中で、十二分に沖縄の住民のなかに内在化されていた、という証左とみる視点、そして皮肉にも琉球・沖縄の古代からの精神性の内部の真相(幻想)がそれらに抗することはできなかった、その流れの中にある集団自死でもあったと見たいのだろう。構造としての権力システムがあり、その構図にスッポリと箍をはめられた島民がいて、じわりと時の体系化された思潮に身体も精神も鷲掴みにされていた。かつ戦場の異常な状況で自死を余儀なくされた。命令系統もあったかもしれない、しかし死を自ら希求せざるを得なかった「絶望的な囲い込まれ」があった。

戦場のガマを行きつ戻りつしつつ、死ぬ時はみんないっしょにという心理になっていたと昭和3年生まれの母も語ったことがある。死と隣合わせの磁場で死を招き寄せた、それを余儀なくされたもの、その検証は繰り返しなされている。あえて上原の論理を切開する時、憤死の二字は強烈に見える。

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