今までも夕方にもピーヒョロロ ピーヒョロロが聞こえてきた気がしていたが、特別夕方の鳴き声を意識したことがなかった。しかし、今日、確かに聞こえてきた。時間的には20分ほど続けて鳴いている。朝夕、彼らは鳴いてメッセージを送りあっているのらしい。なぜか新鮮な気がした。
今日、オオゴマダラの蝶に愛されている方から渋沢栄一の著書『論語と算盤』について紹介された。そのYouTubeでの本の紹介の中で徳川家康の有名な遺訓が紹介されていた。毎日、目を通しているのかもしれない名言である。
徳川家康の遺訓
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
不自由を常と思えば不足なし。
こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
この意味は、おおよそ次のようなものです。
人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
この意味は、おおよそ次のようなものです。
人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。
急いではいけない。
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、
「怒り」は敵と思いなさい。
勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。
勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。
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智情意 はよく知られているが、視観察はなるほどでした。
どういう風に生きるか、誰のためにどう生きるか?永遠の眠りに至るまで人は問われているのですね。母は死ぬまで人は変われると話していました。