先日の乙姫劇団の記録映像を見て感想を話し合った。声はいいね。迫力が今と全然違うね、踊りにしても動きが違うね。でも手を見てごらん。今のように5本の指や4本の指がきちんと揃っているわけではない。でも身体の動きはいいよね。そうね!
それは大先生の真境名佳子さんの戦後初期の踊りの手の動き、指の動きを見ても、きちんとそろっていない指である。それが形よく整っていくのである。現在の沖縄の伝統舞踊は、戦前までの形を矯正した舞踊である。それが第一の定義だね。
そして舞踊の研究者の論文のほとんどが、戦後矯正されてできあがった、生まれ変わった、再生した伝統舞踊を土台にして論じられているから、欠陥論文ということになると、書くと、顰蹙を受けるのかもしれないね。
しかし事実である。この間舞踊や民謡を研究対象として書いてこなかった。しかし博論の中で取りあげざるを得なかったので、書かれた論文を読んでみた。しかし王府時代から近代、そして戦後への流れの中できちんと捉えられていない、ことが確かだ。
矢野輝雄さんの『沖縄舞踊の歴史』が通史としては伊波普猷賞受賞の研究書だが、それにも抜けたところがある。詳細は割愛だが、近世から近代へ、特に近代の舞踊の手が抜けている。現在の舞踊家の大先生の時代の舞踊の手である。それらが必ずしもとても良かったとはいえないのも事実だと云えよう。昭和11年にしてすり足が入ってきたとの談話もあるね。なみあし、でなされた組踊でもある。
戦前に撮影された舞踊の映像をみるとガマクさえない女踊りの映像がある。カシカケなども背中がそっているのである。
組踊や宮廷舞踊の復興という時、どこまで原型に辿れるか、興味深い研究課題だね。近代の芝居小屋主導の舞踊、そして近世から遊里でなされていた舞踊がある。
ジュリの踊り子は近代の女形のモデルである。それは否定しようがない。女踊りのモデルは「辻の美らジュリ」である。古典女舞踊は王府の士族の夫人達ではなく、美らジュリたちだね。恋もため息の対象になったのは美らジュリです。そういう意味で沖縄の舞踊の歴史も「歪み」が凄いね。チュラさん、綺麗な女性は=遊里のジュリだったのである。それを見据えない沖縄芸能史である。やれやれだね!真喜志康忠さんはよくちゅらかーぎーは手足が綺麗なチージぬジュリだったとお話していた。「チュラカーギー」には「ジュリ小ぬグとーさ」といわれたのである。
ただ高貴なる美しい琉球の女性、として見たい、という願望が籠められた古典女踊りになっているのらしい。でも彼女たちのモデルは美らジュリだったと書くと、あちらこちらから批判される沖縄だとすると、沖縄の芸能は駄目ということになるね。京都の南座で女踊りを踊った玉三郎の女はお姫様より遊女の美が主だったね。