〔中秋の名月:7階の学舎の7階ベランダより〕
(つぶやき)
手に取るような中天に 浮かぶのではない君は、ちょっと遠く、風に吹き飛ばされる雲の間から光を伴って顕れる。この場所に居てもう1年になる。月日の速さに驚く日々の道ずれ、たまさかに扇見る君を意識したのは中秋の宴ゆえだ。タイから来た学生が昨夜首里城に行き、見慣れない琉球の芸能を見たという話にハットしたのだった。そうだ今から296年前の中秋の宴で『組踊』が仮設舞台で冊封使の前で披露されたのだった。重陽の宴にもまたー。
一番満月が美しいといわれる中秋の名月、ゆっくりと愛でることもできず、7階ベランダからしばし見つめていた。不思議な光の輪の中にあって雲と風に隠されながら毅然と頭上にあった。君の顔を見てなぜか、ほっとした。300年前もそして紀元前400、500年頃のギリシャでも哲学者やヘタイラもまた月を愛でたのだ。
ヘタイラが頭にこびりついて離れない。女性が始めて選挙権を得たのは1920年代のアメリカでさえ、1960年代まで黒人や女性は白人男性と同じ権利(人権)を持っていなかった人類史である。まして紀元前の世界、王も王妃も女王もいた世界だが、直接民主主義で麗しい冠を持つギリシャ、アテネの世界のヘタイラや娼婦や妻たちの世界、当時の哲学者や科学者の世界を見ると、人類史の変わらなさに、唖然としつつも、変わってきたこの世界でもあることは事実なのだと、月を見上げる。
『ファロスの王国』は今注目の日本の春画に優るとも劣らない「壷に描かれた絵画」が、あらゆるセクシュアリティの当時の現実を描き出して余りある。前にも書いたが伊波普猷がヘタイラを「沖縄女性史」の中に持ってきたのは、凄いことだった。ただアテネと近世や近代沖縄を比較したとき、沖縄からアリストテレスやプラトン、ソクラテスは登場してこなかったが、かの社会の仕組みの中に比べたら琉球の女性たちはもっとましな扱いを受けていたのだと言えようか?祭祀をつかさどっていた。妻たちは同じ屋敷に妾と一緒に住む者も一部はありえたかもしれないがー、夫たちがこぞって遊里に妾のような女性たちを囲っていたとしても、家の財産を残し、引き継いでいくための妻子を屋敷の中にしっかり有していた。ソクラテスは妻を同じ人間とみなしていない。自分の子孫を生む女、家を仕切る女である。対話やエロスの快楽はヘタイラであり、少年愛だった。やれやれ、今また世界は個としての自由な権利や選択において、n個の性を生きるようになっているのかもしれない。n個の性が登場して20年はなるのだろか?
小野さんたちが編集した『女性史新聞資料大正・昭和』を今眼にしているが、明治時代の資料に比べて少ないという事実は、新聞資料そのものが少なかったのだろか?女性や家族をテーマにした小説等も含め、そぎ落としたものをできれば100%収録して2巻本を作成しても良かったと思う。略されたり削られたところに、何が秘められていたか、気になる。しかし膨大な綿密な作業だね。
(2015年9月27日午後9時頃の月)